Contents
アオモリコネクト特派員のかんからです。
それは4月のことでしたか……
北海道の隣にある青森県の場合は地名の成り立ちや由来って経緯はひとつじゃないような気もします。これは読んでても難しいですね。
別件ですが個人的には今の善知鳥神社の建立についての事もいつか調べてほしいと勝手に思っております。ちょっと興味があるもので。 https://t.co/1hIVnznCH6— 須麿鷸夏雄 (@marinehouse1963) April 30, 2020
・
このようなお便りを、いただいていたのです。
・
お忙しいのに大変すみません。
今となっては急ぎませんのでお手隙でお時間あるときの興味が湧いたらで結構です。
今の善知鳥神社建立時に全国から大工さんを集めて工事中は本町あたりに大工町と地名をつけて大工さん達を住まわせたって故事が真実なのか知りたいだけなんです。— 須麿鷸夏雄 (@marinehouse1963) April 30, 2020
・
ということで、調べていきましょー!
**参考文献** 青森県地名大辞典(角川書店)、青森市史 第十巻 社寺編(青森市)、青森市町内盛衰記
青森市、旧町名の由来(一例)
1、安方町(やすかた)
由来は善知鳥沼の前身である、安潟よりきている。かつての善知鳥沼は大船の出入りが自由な大きな沼で、難風を避けるのにちょうどよかったので、安全な干潟という意味より安潟となる。
善知鳥神社(うとうじんじゃ)〜青森市発祥の地〜 (sakura.ne.jp)
https://aomori-join.com/2019/10/21/yasukatanohigeki/
・
2、本町(ほんちょう)
一時期は大町(おおまち)と呼称。青森町の設置時に土木水利事業を行い、その際に移民を本町・浜町・米町に住まわせたという。中でも本町は全国を行商、辛酸をなめ商人的訓練を積んだ人々であった。各方面で商取引をするのはもちろんのこと、青森町で初めて酒造に取り組んだのも彼らである。青森町を代表し、中核を担う町として”本町”の名は当然といえよう。
・
3、横町(よこまち)
現在の「金セ」かまぼこ店の横から北に入って、浜町までの間を横町という。横町の海側は、船を巻き上げるのに絶好の場所だった。いつしか漁船相手に、自然と魚屋が集まったという。
青森市・かねせ高橋かまぼこ – トップページ (kamaboko-ya.com)
・
4、米町(こめまち)
もとは五戸町という名前だったが、米問屋が多く住んでいたので米町と名前が変わった。
・
5、浜町(はままち)
青森町設置時に移民を募り、浜町には船問屋が多く住んだという。浜辺に町があるから、浜町となった。
・
6、寺町(てらまち)
移住民の精神的慰安と宗教的指導が必要と考えた弘前藩は、寺町を設置し寺社を集中的に建築した。有事の際は青森町の南側の防備線として、平時には旅人その他の監視の役目を担う。
・
7、蜆貝町(しじみかいまち)
蜆貝町(村)は青森市設置の以前より存在した。由来は蜆貝沼という大きな沼があったからという。当時その辺りは豊富な蜆貝の産地であった。いまはもちろん獲れない。なぜなら人口増加により、沼は埋め立てられてしまったから……。
・
8、鍛治町(かじまち)
青森町設置当時は多くの職人が必要で、鍛治町を作って鍛冶職を住まわせたという。ただし藩の御用勤めは極めて少なく、農具や船釘、錨および漁具の付随品などを製造。
・
9、大工町(だいくまち)
大工町は町名の通り、大工職人が住んでいた。ただし戸数の少ない町なので、各町単位で行う仕事は鍛治町と共同でやった。火消やネブタ等。
ここで質問にあった、”善知鳥神社の建立時に全国から大工さんを集めて、彼らが住んだ場所が大工町となった”という説について。青森町設置に伴う善知鳥宮の再建は寛永十八年(1641)、大工町の設置は寛文十一年(1671)なので……30年もの隔たりをどう思うかですが?ここから考えると、どうもそういう風ではなさそうな雰囲気です。でも改修工事にはもちろん関わっていたと思います!
・
10、博労町(ばくろうちょう)
はじめは馬町。そこに住む人には、馬を専売する特権が与えられていたという。
・
旧地名参照マップ
がんばって今から作ろうか……大変だな……と思っていたら、すでに作ってる方を発見!
#青森古写真 戦前の絵葉書などに、青森市内の旧町名が出てくる。今の私達は、それがどのへんなのか、すぐにはピンと来ない。知人が作ってくれた便利な対照地図があるので、紹介する。 pic.twitter.com/Vvk14YYn40
— 青森太郎(ソウマ シンキチ) (@aokomaki) June 12, 2016
#寺山修司 「青森市旧町名・ゆかりの地表示事業計画書」に添えられていた「旧町名表示図」である。寺山修司の「 大工町 寺町米町 仏町 老母買ふ町 あらずやつばめよ」に出てくる旧町名が、どれが本当でどれが虚構なのか、一目瞭然。この地図を頼りに、寺山の足跡を辿ってみるのもいい。 pic.twitter.com/HwYgOcfJv9
— 青森太郎(ソウマ シンキチ) (@aokomaki) November 4, 2017
一応解説しておきますと、昔の町は一本の道の両側をひとくくりにしたもの。今の”町”は道で囲まれたブロックごとに区分けされてますので、もし昔の町を今の位置で置き換えようとすると、複数の町がダブることになります。
現在住所との照会
1、安方町(やすかた)……現在の安方1~2丁目。
2、本町(ほんちょう)……同じく現在の本町。
3、横町(よこまち)……現在の本町5丁目
4、米町(こめまち)……現在の新町1~2丁目、本町1~2丁目、安方1~2丁目
5、浜町(はままち)……現在の本町1~5丁目、安方1~2丁目
6、寺町(てらまち)……現在の中央1~3丁目、本町1~5丁目、新町1~2丁目
7、蜆貝町(しじみかいまち)……現在の青柳1~2丁目、本町1~5丁目
8、鍛治町(かじまち)……現在の橋本1~3丁目、本町1~5丁目
9、大工町(だいくまち)……現在の橋本1~3丁目、本町1~5丁目
10、博労町(ばくろうちょう)……現在の青柳1~2丁目、本町1~5丁目
これまでの青森市、他調査結果。
**前編**
https://aomori-join.com/2020/04/29/kusukusukususu/
**後編**
https://aomori-join.com/2020/04/30/kusukususu/
久須志神社って、実はOOという噂が?徹底取材しました!!
・
**前編**
https://aomori-join.com/2020/05/05/matsubokkuri/
**後編**
https://aomori-join.com/2020/05/06/matsumorisan/
松森という地名は、青森市内に二ヵ所もある。それって多くない?