【小説 津軽藩起始 六羽川編】第九章 田中吉祥落命。終戦 天正七年(1579)旧暦七月十一日夕

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身代わり

9-1 危機

 同じ頃……為信のいた津軽本軍も滝本たきもと重行しげゆき率いる百の兵らによって襲われていた。五日もの間……滝本は兵を潜め、静かにその機会を狙っていた。福王寺や乳井茶臼館に籠った安東軍千五百もの大軍をおとりにして。

 所々にあった松林や竹藪の陰より銃砲は放たれ、突如として湧いた敵軍に対し津軽の兵らは大混乱に陥り、特に為信本人も物見と言って遠くへ離れてしまっていたので……あたふたするしかない。武勇に優れたものは前線の部隊に出してしまっているし、本軍には初陣の者もいれば、八木橋などの頭脳を持って仕えるどちらかというと文系の集まりである。束ねる者は……田中ぐらいしかいない。彼は一軍の指揮をしたことは無いものの、戦の要領というものは心得ている。“静まれ、者共”と怒号を発し、普段の落ち着いた様から一変して周りを驚かせた。そして無事だった者らをまとめ上げ、急ぎ為信の向かったであろう道を走るのだ。

 ……あっという間に三百は半分に、刀を持って争わねばならぬのに思わず放してしまい斬り殺される不慣れな者は論外だが、前や斜めより数人が同じくして襲ってこられては戦さを数度経験している者だとしてもなすすべない。藪の向こうより隙間をついて鉄砲は撃たれるし、木などによじ登り頭上よりも矢が放たれる。逃げようと周りに広がっている田んぼへ身を落とし、せっかく稲が青々と育っていたところであるのにその場で激しく動くので、その色はたちまち鮮やかな緑から泥の濃い黒で荒らされていく。いつしか鎧の帯の色も、人の肌の色も黒く染められ、そのうち赤い色も混じり、体をムカデやら名もよくわからない虫らがう。

 田中が前へ進むと……向こうより馬に必死につかまっている為信が見えた。あれは自分で馬を走らせているのではない。馬が自らの意志で逃げてきたにすぎぬ。供回りも後を追ってこちらへ走ってくる。さらに向こうからは……敵兵が。

9-2 具足を借り受けまする

 これではかなわぬと田中は……悲惨なる決意を固めた。ドゥドゥと為信がつかまる馬をなんとかなだめ、呆然としている為信を無理やり荒々しく下ろした。そして一家来の分際で……顔面を殴った。

 ……意識が飛んでいた為信、まだどこかへ旅立ったわけではなかった。全く聞こえなかった辺りの音が一気に頭の中へなだれ込んできて、思わず“うるさい”と叫んでしまう。鬼の形相だったろうが……そんな為信の姿を見ながら田中はお構いなしに、一方的に為信の甲冑を結んでいた紐をほどき始めた。……今も周りの者が必死に戦っている、抗っている。逃げるには前へ後ろへも進むのではない。横の田んぼの畦道あぜみちへ、怖くなって逃げている兵らのように失せるしかない。

「殿、具足を借り受けまする。」

 為信の理解はやっとで追いついた。我らは負けたのだ。どういう訳か敗れ去ってしまったのだ。だからこそ逃げ粘らなぬ。そういえば昔も……滝本にしてやられた。そういえば先ほど奴の姿を見たような気もする。そのように思いながら為信は田中が具足を取り去らいやすいように格好をつけ、なすが儘に身を任せてしまう。そして問うのだ。

“いいのか”

“殿は逃げ帰って、再起を図ってください”

 いやいや……お前は冬に妻を娶ったばかりだろうに、子供だって身ごもっている。そんなことをさせてなるものか。

 為信は田中の腕をつかみ、頭を下にしつつも懸命に横に振った。すると横から八木橋やぎはしが口を挟んだ。

「従ってください。」

 お前も生きていたか……。すでに田中が全てを取り去ってしまったので、後は八木橋に連れられて逃げるだけ……横の畦道へ、多くの兵がまだ戦っている。しかしすべてが死んでしまえば……こちらへ目が向く。今しかないのだ。

9-3 諦めぬために

 田中たなか吉祥よしゆきは叫んだ。もう二度と叫ぶことは無いので、ありったけの力を込めて腹の奥底より声をひねり出した。敵味方誰もが驚き、その声は遠く逃げる為信にも聞こえたであろう。

 「津軽つがる右京うきょうのすけためのぶである。まだワシは諦めておらぬ。お前らすべて切り捨てて、この戦を勝ちにしてくれるわ。」

 安東の兵らはこぞって田中を指さし、我先にと為信の首を獲らんと槍や刀で勝負を挑む。……彼は義勇の士であるだけではなく、これまで津軽家の誰よりも努力を積み重ねてきた。天才であるわけではない。かといって小笠原のように強いわけでもない。どこにでもいそうな凡庸ぼんような人間であったが、必死に役目を全うするために努力を欠かさなかった。

 その成果は死ぬ間際で大いに役に立つ……殿を逃がすため、そして少しでも長い時間を……数えるだけでもいい。それだけ殿が遠くへ逃げるいとまを稼げるのだから。

 いつしか鎧の真上より槍が刺さっていた。腹の中へ向けてその長い一本が突き刺さっていた。……痛くはない。鎧の方も傷を受けすぎて弱くなっていたのだろう。そしてさらにもう一本を脇腹より、さらに首元に刃が……痛くはない。

 次に安東の兵らは勝鬨をあげた。

 “為信を討ち果たしたぞ”

 大いに声を張り上げ、途轍もない歓喜に浸った。その兵らの中で津軽方より奪い取った馬に跨るのは滝本たきもと重行しげゆき。彼は晴れ渡る空を見上げ、腕を遥か上へと伸ばして……太陽へ顔を向けた。大光寺だいこうじ城を奪われて以降、なんとか憎き為信を倒そうと奮闘してきた日々。様々な軋轢を生んだが……主家の南部氏より離れてまでみた夢。今こそ果たすことができた。……ほほつたい、土へ涙が落ち行く。絶えることのない美しさ、涙は太陽に照らされてたいそう輝かしい。それは津軽の大地も同じであり、これから自らの手で新たなる歴史が築かれていくのだ。

9-4 逃げうせた後

 為信はわずかな供回りを連れて……おそらく大坊だいぼうという辺りだろうか、堀越ほりこしの本営に遠ざかってもいなければ一気に近づいたわけでもない。ひたすら安東の兵らより逃げることを考えていたらそのようなことになってしまった。他の津軽の兵らも散り散りとなり、六羽川沿いで戦っていたはずの乳井にゅうい小笠原おがさわらがどうなったかも全くわからない。そこで傍付そばつき八木橋やぎはしは目の前に放光寺ほうこうじという荒れ果てた場所があったのでそこへ為信に入っていただき、生き残った兵らを廻りに遣わして様子を見ることにした。時間は昼を過ぎ、ひつじこく辺りだろうか……。

 するとある者が偶然にも小笠原を見つけた。彼も為信を探していたらしく、堀越には戻らずに生き残った兵らをまとめつつも、岩舘いわだての周辺を密かにめぐっていたらしい。しばらくして乳井も生きていたことが分かり、半刻後には彼も為信の元へ合流した。

 小笠原は気分が悪いのか……決して語りだそうとはしない。もともと話が好きな性質たちではないのだが、今日は特に際立っていた。ならばと為信は乳井に問うが……首を振り、“しばらく待っていただきたい”と小屋の外へ出て行ってしまった。仕方ないので為信は彼らの近習に問うてみた。すると……

 “安東軍と津軽軍は六羽ろくわかわの東岸にて争い、小笠原隊と乳井隊はよく戦いました。しかし中央を占めていた水木みずき御所ごしょの兵らは呆気なく崩され、御所号でらせられた水木みずきとしあき様は討ち死に。あとはなすすべなく、我らも同じくして壊滅。六羽川を渡られ、殿のいるであろう岩舘を目指して進んだ模様です”

 ……六羽川自体はたいそうな川ではなく深さは1mほど幅は3mぐらいなので、千の兵の誰もが容易たやすく渡れる。全軍を持って目指されても……すでに本陣は籠らずにひそんでいた敵にやられてしまっているが。

 ああ、負けるべくして負けたのだ。伏兵がいなくてもやぶれる運命は変わらなかった。

9-5 最期の一戦

 乳井にゅういが外より戻ってきた……。そして急に手をついて、ひたいを下に敷いてある汚い藁の上にあてた。そして強い口調で願い出るのだ。

「殿……これは津軽衆の総意でございます。どうかお聞き届けを。」

 為信は疲れ果てていたので少し投げやり気味に……“言ってみろ”と乳井にうながしてしまった。対して乳井は至極真剣そのものである。

「我らは不本意なことで生き残ってしまいました。しかしながら安東に黙って従う気は、これっぽっちもございません。」

 周りの者らも賛同し、少しだけ首を縦に動かしていた。

「かと申せど籠城して抗うといっても、援軍がない以上は滅びるしかございません。そこでです……今一度殿には先頭に立っていただき、安東軍へ攻めかかっていただきたいのです。」

 ……何ということを申すのだ、乳井……。お前は比較的温厚な性質たちであったろうに……津軽衆ではない小笠原も心は同じようだ。周りを囲む兵らも……同じだった。

 為信は……ため息をついた。そうさ、こうなるだろうとは思っていたよ。津軽衆ども……“じょっぱり”の精神だな。死ぬことが分かっていても、いまさら考えを曲げることはできぬ。華々しく散った方がましだと。

 そしてまた、ため息。己はそのための身体からだだ。だからこそ……後始末は弟のためきよたくしたし、沼田を付けてやった。兼平かねひらという柱も残してある。思う存分、したいように生きるがいい。そして死ねばいい。のう……誰に伝えればよいのだ。死にたくはない、私は生粋の津軽衆ではない。糠部ぬかのべ久慈くじの生まれ、大浦おおうら家に養子として入り、なぜか裏切る方向に駒が進み、今や”津軽”と名乗るに至ってしまった。……別の人生もあったろうに。津軽衆として生きるしかないのよ。そして津軽衆として死ぬしかないし、選ばされるのだ。

逆襲

9-6 もし戦うのならば

 津軽衆は残る力を振り絞り、腹の奥底から声を張り上げた。その寂れた小屋で声が上がると、外にいる兵らもここぞとばかりに呼応こおうする。あたかも恐ろしい地響きのようであったが、何やら寂しげな感触も含んでいる。為信は……神輿として身体からだを預けるだけ。思う存分すればよろしいし、気のすむようにさせるのが己の役目……。かつて何を言われようが、その場の感情に乗っかってしまうのが人の宿命。田中の想いを果たせないのが唯一の心残りだ。

 ここであろうことか傍付そばつき八木橋やぎはしは盛り上がる場をめにかかった。何事かと皆々八木橋の方へ目を移し、なぜ空気を読まぬ真似をするのかといぶかしむ。それでも……八木橋は勇気を振り絞り、為信に進言するのだ。

「このままでは無駄死むだじにでございます。」

 一斉に者共は怒号を上げ、話を聞かぬまでもないと彼を罵り始めた。しかし八木橋は意志を曲げるそぶり一切なく、どんな罵声を浴びせられようとも続きを語ろうとした。一向に静まる気配がない中……為信にも思うところがあったので周りを落ち着かせ、改めて八木橋に口を開かせるのだ。

「私の傍付としての役目……いまだ果たせておりませぬ。どうせ攻め込むならば……試してみたき儀がございます。どうかお受けくださいませ。」

 八木橋の目に曇りはなかった。それは真剣な眼差まなざしで、それは沼田のすべてを見知っているかのような余裕のさまとは異なり、見えている物はまったく違うだろうし視野は狭いかもしれない。それでも必死に考え尽くして出した最高の結論らしかった。

 為信は問う。

「その策は、どれほどまでに使えそうか。」

 八木橋はあろうことか首を振る。しかし強い眼光は変わらない。

「わかりませぬ。望みはほぼないかも知れませぬが……試す価値はあります。」

9-7 憎し

 比山ひやまらが率いる安東軍は、さるこく(午後四時)になっても未だに六羽ろくわかわ沿いにとどまっていた。津軽軍千三百を打ち破った彼らは本陣のある岩舘の方へ進もうとするも、すでに滝本が為信の首を獲ったと知らされたのでそちらへは行かなかった。その代り……川の水をひたすら飲んだ、鎧兜を脱ぎ捨てて目一杯めいっぱい浴びた、そして体ごと川に沈めて体の火照ほてりを取り除いたのだ。

 完全に油断しきっているが……為信は死んだのだから、こうなるのは当然だろう。強いて言えば、これまで籠っていた乳井にゅういふく王寺おうじに敵方の兵が入ったようだが、主軍がやられてしまった以上は何もできまい。使いを出して降伏を促すか、この大軍を持ってしいたげるだけである。

 加えて大館おおだて扇田おうぎだじょうより急使が到着した。その内容は……その場にいる諸将にとって待ち望んだことである。

安東あんどうちかすえ様は扇田城にて酒田の大宝寺だいほうじの様子をうかがっており、これまで津軽へ向かうことができなかった。ところが安東と大宝寺の間で盟約が成り、大宝寺は安東に手出しをしない代わりに安東は大宝寺側の使者を安土あづちじょうへ伴い、織田と大宝寺の間でよしみを通じる手助けをする……”

 この一件によりのち大宝寺だいほうじよしうじは織田信長より屋形号を認められるに至り、力の弱まっていた上杉の代わりに織田という大きな後ろ楯を得ることができた。そして大宝寺との取り決めによって安東氏は南を一時的であったが警戒する必要はなくなる。愛季自ら津軽へ乗り込む環境が今になって整ったのだ。

 諸将らはこの知らせを聞いて “遅すぎる”と苛立つ声を上げたし、もう少し本軍の出発が早ければ苦しまずに済んだと愚痴を言い合った。しかし我らは負けたわけではないし、殿様が自領周りを警戒することは当然のこと。それで出立が遅れても文句は言えない……。

 それよりもだ。安東の殿様よりも滝本が憎い。アイツだけ籠らずに苦しみを味合わず、しまいには為信の首級という手柄まで横取りしてしまった。……ただではすまぬ。

9-8 いまさら

 恨み言を漏らしつつも明るい顔をしている諸将の中に、事の受け止め方が違うものが二人いた。北畠きたばたけ顕則あきのり石堂いしどうである。北畠同士で争ってはならぬと互いに申し合わせをして、為信方に与していた水木みずき御所ごしょの面々と裏で交渉を重ねていたがこのざまだ。肝心な時に寝返らず、加えて攻められはしないだろうとどこか油断していたらしく、他の津軽兵が粘り強く戦っている時に水木兵は呆気なく崩れ去ってしまった。だからこそ我ら安東方は勝利に至ったのだが。御所号ごしょごう自身が亡くなったとも聞くし、ゆえに手放しでは喜べぬ。

 そんな折……陣中の白い布幕の向こうより、たいそう疲れ切った様子の鎧武者が使いとして参上した。どうも安東方の者ではないらしく、かといって敵対心が見えるわけでもない。彼が言葉を発すると……秋田とは違う、我らと同じ津軽訛なまりではないか。顕則と石堂は一瞬だけ嬉しさが、次には“なぜ”という思いがよぎる。諸将に囲まれる中、使いの者はその場にひれ伏して哀願するのだ。

 「水木御所はこれより安東方に付きとうございます。こちらの兵らの中に加わることをお許しください。」

 大将の比山ひやまはたいそう喜び、その使いに自らの刀を褒美として与えてしまった。目付の浅利あさりはその様を見て少しだけ不安はあったが、津軽軍は負けたし為信も死んだ。津軽方の諸将は雪崩なだれを打って我らに寝返ってくるのは当然のこと。だが水木であれば散々裏切ると約束しておいてつい先ほど戦った相手……果たしてどこまで信じることができようか。次に浅利は顕則の顔を見た。顕則も己と同じような表情をしていたので、なんだか可笑おかしくも思えた。……まあ、勝ったことには変わりない。安東本軍もそろそろ大館扇田城からこちらへやってくるだろうし、あとはどれだけ津軽民の支持を取り付けて、津軽方の残党を取り込んでいくかが肝要である。

9-9 油断

 津軽平野は何も障壁のないただただ広い土地である。所々に川や林はあろうが、眺めれば遥か遠くまで透き通る。山に登るのには劣るが、人が集団を作ってこちらに向かって来ようものならほどなくわかるだろう。相手に身を隠す意図がない限り、何もかも筒抜けなのである。それが秋田からきた将兵らにとって途轍とてつもなく新鮮で、山が多いところで生きてきた者にとっては、遠目に何か動くものが見えるというだけで面白いのだ。

 なので水木みずきの兵と思われる集団がこちらに近づいてきたことが分かった時も……互いにあちらを指さして、次第に大きくなる姿を臨んだのだ。それも六羽ろくわかわで水浴びをしたままで。近づいた相手は鎧兜で身をぎっしりと固めおり、何やら雰囲気が違うようで物々しさを感じた。いわば敗軍の兵団というのはこのようなものなのだろうか……。さぞ疲れ果てているようで、ゆっくりとした足取りでこちらを目指してくる。百、二百、三百……人の身体が次第に大きく映り、大将の比山ひやまは前に立ってそのさまを見据えるのだ。さすがに彼はころもこそ着ていたが、鎧はすでに身に着けていない。その太めの身体には少々きついものがあり、汗を拭くための手ぬぐいを横に持ち、さあ出迎えようと数人と進み出でたときには、さすがに失礼だろうとその手ぬぐいを後ろの者へと渡した。

 だが、かの集団は気を緩める様子はない。それぞれの表情が分かるまでに近づいたのだが、これから仲間になるような雰囲気ではないし……彼らは一斉に刀を抜く。おのれらに対し斬りこんだのだ。

 比山は慌てて“敵襲だ”と叫んだものの、誰もすぐに応えようとする者はいなかった。その場には確実に千以上の兵らがたむろしていたはずだが、武器甲冑などは川岸に捨て置かれたままで、だれもこれから戦があろうと考えていない。騒ぐ声ばかりでまともな者はおらず。大きな戦いがあった後で、その同じ日に再び大きな戦いがあるなど……誰が考えるか。しかも敵は散々負けて大将も死んだのに。

9-10 逆転

 津軽軍は油断する安東軍に対し猛攻を加えた。それも内通していたであろう水木みずき御所ごしょの名を語り、従うふりをして敵軍に近づいた。……これは八木橋やぎはしの計略である。決死の覚悟で津軽の兵らは戦いを挑み、疲れは相当溜まっていただろうが、再び刀を持つのは“意地”である。津軽衆の“じょっぱり”そのものであった。為信はかつてその“じょっぱり”を扱いにくく感じていたが、いつしか己も津軽に永く住むうちに染まってしまっている。命を家臣に預け……いざ戦ってみると、あろうことか天は我に味方した。

 津軽軍は四倍以上もいる安東軍に対し果敢に切り込み、慌てふためく敵兵を一人で五人も十人も斬り殺していった。夕日が今にも岩木山の裏に隠れそうになる中、六羽ろくわかわ水面みなもは将兵らの足でさんざん叩かれ、人の荒々しい声やら水しぶきを上げる音やら大いに交じり合い、川底を歩こうものならどこを進んでも死体を踏んづける羽目になる。川岸の石の上で争うので草履ぞうりは使い物にならない。誰もが裸足はだしで、津軽の兵は相手を殺すために、安東の兵は逃げるために痛さは一切気にならぬ。勇気あるものは近くに置いてあったはずの武具を取りに戻ろうとするが、まともに探せるような状況ではない……結局は逃げるしかないのだ。この状況を乳井にゅういふく王寺おうじより見ていた森岡勢もここぞとばかりに山を駆け下りて為信を援けた。安東方は大混乱に陥り、我先にと逃げうせようと川手を南へと走るのだ。

 ……その場にいたほとんどの諸将は討ち取られるか、もしくは捕まった。大将の比山ひやまは討ち死に。北畠きたばたけ顕則あきのり石堂いしどうも同じく討ち死にと相成り、生き残ったのは浅利あさりさねよしただ一人。この成果に津軽衆はさぞ驚いたことだろう。己らのつまらぬ意地だけで攻め込んだつもりだったが……八木橋の計略もうまくいくとは信じていなかったし、当たれば儲けもの。当たらなくてもそのまま突撃する気でいたのだから。死に場所を得るためのいくさだったはず。

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