《追記有》明治19年 安方病院放火事件 &後から方言版も読めるよ♪

《追記》21/09/11、コロナ禍が未だ収まらぬ現状に対して

コロナ禍が未だ収まらぬ世情において、これからどのようなことが起こり得るのか。過去の出来事からある程度推測できることもあります。それは天然痘スペイン風邪であったり、2000年代に起こったSARSの事例を紐解くと……成功例や失敗例どちらも貴重な資料となりえます。

https://aomori-join.com/2020/03/31/aomorinobakayarou/

もちろん疫学的な試みも大事ですし、その “疫学的な試み” を正しく実践するためには “人々の心の動き” も予測していかなければなりません。最初のうちは我慢できたのに、無理強いされ続ければ……頭ではわかっていても、逆らいざるを得なくなる。その”疫学的な試み” によって己の生活基盤が破壊されるのなら、抵抗したくなくても抵抗せざるを得なくなる……。

この現象をまさしく表している過去の事件として、”安方病院放火事件” はあります。なんといっても明治の世の中ですから、正しい情報が多くの人にもたらされていたのか。そしてコレラ患者への潜在的嫌悪、加えて伝染病という事実もありますから……患者が収容された病院には近づきたくなくなった民衆は、次第にその町区画ごと近寄らなくなりました。歴史的事実として、そのようなことが起こっています。

令和の世の中になっても、医療の技術は飛躍的に進歩しても……人の心の動きは昔と同じ。でも過去の事例から防げるモノもあると信じて。この話が各々の自制のために行かされることを願っております。

記事内には 『青森市のありえない話 安方病院放火事件』の全文を掲載しています。

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青森市のありえない話「安方病院放火事件」|虹倉きり@note朗読|note

以下、19/10/21時点の記事

 

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A-join特派員のかんからです。

度々行っている#方言de小説という企画がありまして、ここ最近は太宰治さんを取り扱っておりました。ところで10/23津軽弁の日なので、いつもとは違うことをやりたいなーと考えまして。たまには自作品を津軽弁化させてもいいじゃないかと。ただし長編すぎるのもキリがあまりよろしくありません。ですので短編4話収録の “青森市のありえない話” より掲載させていただきます。そして標準語で読み終わった後、津軽弁でもお読みいただけるようにしておきました!

青森市のありえない話

かつて青森市でおこったありえない事件、または青森市出身者たちが織り成す出来事。それらをまとめた一作である。明治時代から昭和初期まで。

主だった出典
〇青森市史 第六巻 政治編
〇歴史と文化 旧町名事業計画書

実話を”物語調”に仕立て上げた作品です。個々の話は事実ですが、部分的に詳細を詰めることのできていない箇所がございますのでご注意ください。(何分なにぶん昔の話ですので)

 

①安方病院放火事件

 

明治十九年(1886)のことである……

日本全国でコレラという伝染病がはやった。特に青森町(当時は市ではない)においては井戸水があまりよろしくなかったこともあり、1000人以上が死亡したと記録される。当時の町内人口は約2万5000人であったので、単純計算で4%が死に至ったことになる。感染者を加えるとそれ以上だろう。もちろん他地域で先んじて流行していたとき、対策をしなかったわけではなかった。青森県内の諸々の港には検疫所を設けたし、衛生指導等も行ったという。だが蔓延は防げなかった。

このような状況であったので、感染者を一ヶ所に隔離しようと試みた。その場所は青森の安方町である。ちょうど藩政時代の倉があいていたのでその建物を臨時の病院として改装し、患者をその一角に押し込めたのである。(なお近くに青森駅があるが新設は明治二四年(1891)なので、鉄道が開通する5年前である。当時は存在しない)

……となると、コレラは伝染病である。あまりその病院に近寄りたくない。いつしか青森の町民は避けて通るようになった。すると元から住んでいる住民は困ってしまう。突然にも町のど真ん中にあまりにも危険な物ができてしまったので、怖さのあまりに引っ越しを考える者も出始める。加えて商店を開いている者はさっぱりお手上げである。いつも買いにいらしてくれたお客様が、安方町まで来てくれない。周りの住民も逃げてしまった。閑古鳥である。

 

安方に、人ひとり歩かない。

 

どこに向けていいかわからない恨み。

 

もちろん、理性ではわかる。これはコレラという伝染病がなした業だ。

ならば、この心の底にうごめくものを、どこへ向ければいいのか。

 

 

青森安方町の町民。松田平次郎。彼は病院に火を放った。
それは夜。火は高々と上がり、周りの家々へも燃え広がる。風向きは東から吹いていたので青森町の他地域への延焼はなかったが、病院はことごとく崩れ去り、近場は荒れ地と化した。

だが、家々を失った町人たち。松田を恨むかと思いきや、喝采を送った。彼らも同じく鬱憤がたまっていたのだ。松田の周りを囲む町人たち。もはや異常者の集まりである。お祭りである。しばらくコレラのため劇場やすもうなどの興業は禁止されてはいたのだが……それを差し引いても、やはりおかしい。警官らは外より突入する機会をうかがったが、待っていれば群衆が増すばかり。一線を越えさせまいと銃弾を真っ暗な空へ打ち鳴らし、群衆の目は警官らへ向く。……その群れの真ん中一点、松田はいた。彼は警官に捕えられた。

最初に述べた数字 ”1000人”。青森町で亡くなったコレラの死亡者数。実は火災で死んだ者も含まれる。

裁判の結果、懲役10年の刑に処せられた。
しかしこの年数さえも、町人らの減刑運動によって3年に減らされた。

この実話をどうとらえるかは、あなた次第である。

 

 

 

↓↓そして方言版でーす♪↓↓

明治十九年(1886)のことだばって……

日本全国でコレラっちゅう伝染病がはやったんだと。特に青森町(当時は市でねばっ/\て)で井戸水があんまいくね\/かったはんで、1000人以上もしんでまった_/んだと。当時の町内人口は約2万5000人だったはんで、単純計算で4%がしんでまった_/んだ。感染者ば加えかでるどそれ以上だべか。もちろん他地域で先に流行はやちゃあ時に、対策すねかったんで\/ねえ。青森県内の諸々の港は検疫所設けたす、衛生指導等も行ったんだど。だばって蔓延は防げねえでろ。

こった_/状況だったはんで、感染者一ヶ所にはんつけさしたんだど。その場所は青森の安方町だ。ちょうど藩政時代の倉があいちゃあはんでその建物ば臨時の病院としてろ、患者その一角さ押す込めたんだ。(ちけくに青森駅があるばって新設は明治二四年(1891)だはんで、鉄道開通する5年前だ。当時は存在すね。)

……だばってろ、コレラは伝染病だ。あんまその病院ちけ寄りてくね\/。いつすか青森の町民はげで通るようになった。へば元がら住んでら住民ふと困ってろ。突然にも町のど真ん中たんげ/\危ね物ができたはんでこえくて引っ越すかんげえるふとも出始める。加えて商店開いちゃあふとなんも/\まねんでろ。むった_/ど買いにきてけるお客様、安方町まで来てくれね。がわりの住民も逃げでまった。閑古鳥だ。

 

安方さ、ふとひとりあさがね。

 

どさ向げでいがわがんね恨み。

 

もぢろん、理性だばわがるんだ。こぃはコレラちゅう伝染病がなすた業だ。

 

だば、この心の底さじゃかめらせるもんば、どさ向げぃばいんだが。

 

 

青森安方町の町民。松田平次郎。彼は病院放った。

それはばんげ火っこ_/たけく上がり、がわりのも燃えふろがる。風向きは東がら吹いでらはんで青森町の他地域への延焼はねば\/って、病院はみそくたもねく崩れ去り、近場は荒れ地なった。

ばってばねく\/した町人たち。松田恨むかといぎや、喝采送った。あらん/\ども同ずく鬱憤がたまってらんた。松田のがわ囲む町人たち。もはや異常者の集まりだ。お祭りだ。すばらくコレラだとこで劇場や相撲むすべなどの興業は禁止さぃでらばって……それば/\差す引いでも、やはりおがすい。警官らは外よりる機会めるばって、待てば群衆が増すばす。一線越えさせねえど銃弾ば真っくれえ空打ち鳴らす、群衆の目は警官ら向ぐ。……その群れの真ん中一点、松田はいだ。彼は警官捕えらぃだ。
最初にしゃべっ/\た数字 ”1000人”。青森町でくなったコレラの死亡者数。実は火災で死んだふとも含まぃる。

裁判の結果、懲役10年の刑処せらぃだ。

ばってこの年数さえも、町人らの減刑運動にかって3年減らさぃだ。

この実話どうかんげえるは、おめら/\次第だ。

Author: かんから
本業は病院勤務の #臨床検査技師 。大学時代の研究室は #公衆衛生学 所属。傍らでサイトを趣味で運営、 #アオモリジョイン 。

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