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密談
5-1 手打ち
田子信直は北信愛の勧めに応じ、一旦は北氏の剣吉へ、後に南部分家の八戸政栄を頼ることにした。
九戸氏を中心とする信直追討軍は八戸の手前で足を止める。八戸氏は家督争いにおいて中立を保っており、ここで戦えば敵を増やす結果になる。しかも津軽の軍勢がいつこちらに牙を向けるかわからない。
事実として信直の弟の石川政信は、津軽の諸将に出陣の準備をするように命じた。ただし“準備”までだ。なぜなら兄は主君を殺そうとした極悪人とされる。これを公然と支援していいものなのかどうか躊躇われたからだ。
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そうしているうちに、秋が終わろうとしていた。両陣営とも膠着状態のまま、事態の打開を見いだせない。
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頃合いを見た北信愛は、和睦案を提示した。
“一つ、晴政公は信直の罪を許す”
“二つ、信直は田子の領地を返上す”
“三つ、信直は当分、八戸に謹慎す”
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信直の妻に関しては、すでに出家していたため、復縁は叶わなかった。どういう経緯であっても信直が大殿を殺そうとした事実は否めず、大幅譲歩した形となった。
そして南部家後継は唯一の娘婿となった九戸実親。ひとまず九戸氏の勝利である。
……ただし、近いうちに戦端は開かれるだろう。晴政は右のふとともに大きな傷を抱え、次第に膿が溜まっていく。熱があり回復の兆しもない。短いうちに亡くなると誰もが考えた。
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とある冬の始め、九戸城。空風が吹き荒れ、あたりの葉を散らす。糠部の地は、雪が遅い。
九戸政実は弟の実親や仲間たちを呼び、後継を確実なものとするための話し合いを持った。
政実は、ひとつ咳払いをする。そして語り始めた。
「津軽の軍勢が一番厄介だ。何か方策はないか。」
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部屋を見回す。仲間らは腕組みをして悩む。そんな中、一人が顔をあげて、前へ進み出た。
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「私の弟が、津軽の大浦家に婿で入っております。彼に密書をしたためておきましょう。」
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5-2 選択
久慈信義は為信の兄である。彼の手紙は秘密裏に大浦城へ届けられた。為信は大変驚き、夜遅くに兼平と森岡を呼び寄せる……。
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ろうそくの火は揺れながら、燃え続ける。話す人の反対の方へ煙がたなびくかと思えば、もう一人の強い息遣いでまた別の方へ流れる。
為信はいう。
「……悩ましい。」
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九戸をとるか、信直の下につくか。大浦家の行く末が決まる。判断をたがえれば、家は滅びる……婿殿にとって、荷が重い。
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兼平が口を開く。
「恐らく、他の家にも誘いがありましょう。」
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津軽に石川家が入って日は浅い。石川高信公は既に亡く、次子の政信が新たに郡代となった。もし先代が存命であれば、軍を率いて助けに行っただろう。ただし政信公はそこまで至らず。今回のことで彼の決断力の鈍さが露呈した。
諸氏は情勢をどう考えているだろうか。……石川家の下、津軽で大きな力を持つのは主に三家ある。大光寺、千徳、そして大浦。大光寺は石川家随一の重臣、千徳は穀倉地帯を有する。大浦家は港から金銭の収入が多い。この三氏のいずれかが九戸につけば、均衡は一気に崩れるだろう。
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……ここで森岡は、兼平に耳打ちをした。兼平は少し戸惑ったようだったが、話すことを許す。
「殿、これまで通り信直様につくのがいいと存じます。」
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為信はいぶかしむ。森岡は続けた。
「実は……私と兼平は、見ていたのです。鹿角合戦で殿が信直様をお助けになり、手柄を譲ったことを。」
兼平もうなずいている。為信は困惑こそしたが、すぐに真顔に戻した。二人に問う。
「他の者に知れているのか。」
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兼平は即座に嘘を返す。
「いえ、二人だけの秘密にて。」
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5-3 変化
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5-4 才の発掘
為信は考えた。……譜代の臣と他国者の違いに限らず、力のある者が見いだせればさぞ喜ばしいことか。正直これまで目を内側にやるのを疎かにしていた。それは元々彼らが“婿殿” という蔑視により協力的ではなかったことが原因だ。
為信の力が認められた今、改めて家来の力量を把握するいい機会かもしれない。
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「来年は必ず大きな戦が起こる。新しい戦いの仕方にも対応できるように、兵の訓練をしようと思う。その時に譜代の家来には、小笠原以上の活躍をすることを期待する。」
兼平は“よきお考えかと存じます” と相槌をうつ。森岡も同意する。
「働きが良き者には、それ相応の立場も与え、格を引き上げようと思う。」
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中央では織田家が徹底した能力主義を敷いているという。新しい戦の時代はきっと、能力高く変化に対応できる者が勝つ。火縄を入手できれば勝ちというわけではない。ないならないで、あるものでどう強くできるか、考えることのできる者が上にいるべきだ。
為信は続ける。
「なるべく実戦に近い形で……雪降る前に行いたい。そうだな……ひとつの村ごと借り切って、演習を行いたい。」
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戦はなにも平原ばかりで行われるわけではない。浜辺があれば、森林もある。なかでも民家ほど厄介なものはない。いくらでも隠れることができ、民衆に紛れることもできる。誤って民を討てば……その土地からの支持は得にくい。
しかし……どこでやるか。兼平は即答こそしなかったが、ひとつ案をだす。
「野崎村はいかがでしょう。」
近くに川と森があり、様々な訓練ができる。特にこの村の家々は寂れており、火攻めをしたとしても新たに立て直せばよい。民にしても、新しい家が与えられてさぞ満足することだろうと。
「殿。では準備が整い次第、皆に伝えましょう。」
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だが、ざわと為信は止めた。ある心積もりを持つ。
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5-5 忠誠心
「仔細を伝えず、“村を焼討する” とだけ言え。」
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兼平と森岡は驚く。森岡はまた文句をいおうとしたが、先に為信が制した。
「私の命令で、どれだけの家来や兵が動くか試してみたい。それが乱暴な話だとしても。」
家来たちの中に、いまだ心服していない者がどれだけいるか。参じた者は、為信がために忠を尽くすだろう。
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……森岡は口をつぐみ、だまってうなずいた。彼はすでに“単なる婿殿” と見ていない。ほかの者も“為信公は優秀だ” との評だ。ただし、それが本心かどうか。ほかの者につられて、話を合わせているだけかもしれない。婿殿はそこが心配なのだろう。
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森岡は“やりましょう“ と為信に言った。兼平もそれに続いた。かくして三日後、”焼討する“ と大浦の家来衆に命が下された。訳は伏せられたままだ。
敵の陣地を燃やしに行くのならまだしも……自領で、一揆や反乱が起きたわけではない。罪なき民を下すのかと、行動をするのは躊躇われた。
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しかし……殿が言う事だ。何か考えがあってのことかもしれない。かつて偽一揆を秘策にて終らせた手腕、これまでの統治能力の高さ。いきなり朦朧するはずがない。
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結果として、ほとんどの家来と兵が野崎村に集まった。
天上は青い。空風が吹き、落ち葉が田んぼのあぜ道で舞う。千五百の兵は、誰もいない野崎村を囲む。いよいよ中へ入るかと、兵らは意気込んでいる。
……森岡も到着し、村のことは全て整ったと為信に伝える。ここ兼平が皆にネタばらしをした。軍事演習は、手際よく村を包囲することから始まる。刀を持つ者、槍を構える者。銅鑼や太鼓をもって、中の敵を怯えさせる者。これらをいかに効率よく動かすか。これは家来だけでなく、大将の訓練でもある。同じくして、目を家来らに向ける。動きのいい者、際立つ者あるか。
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……日は高く昇る。兵はさらに集まる。
為信は頃合いを見計らい、皆に命令を出した。
「これより兵を二隊にわける。目標を村に潜ませてある故、先にそれを見つけること。民家や道にはいくつもの罠が仕掛けてあるゆえ、気を引き締めて進むように。」
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火は放たれた
5-6 知恵者
”目標” とは、白い旗のことだ。村のどこかにある、それを先にとればいい。
兵らは兼平と森岡の元にわかれ、それぞれ向かっていく。実をいうと二人も旗が今どこにあるか知らない。村人がこの軍事演習を手伝っており、時間が経つたびに旗の場所を変えているからだ。
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……ここに、“敵”はいない。心の何処かに安心感はある。あくまで訓練が故に、相手より先に旗を獲ろうと勇み足になる兵がいた。そいつらに、兵を統べる力はない。
村に入ると早速、仕掛けの洗礼を受ける。隠されていた“筒状” の道具から、一直線に水が浴びせられた。北風が吹く中、冷たい水だけあって体を震え上がらせる。……実戦であれば、すでに死んでいるだろうに。
その道具をもって、数人の村人は村の奥へ走って逃げていった。“白い旗はこちらにあるぞ” と呼びかける。兵らは後を追った。するとまた横から水鉄砲で浴びせられる。
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賢い者は気付いた。この水鉄砲は、火縄そのものだと。能無しの猪武者は火縄の前に役立たず。いくら白い旗が取れたといえど、濡れたまま御前に立てば、決して評価はされないだろう。しばらくはそれぞれの大将に従って動くのが賢明だ。
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……慎重に道を進んでも、泥濘がひどいところがちらほらあり、そこで足がとられる。
格好の狙撃場だ。高いところ、目の届かないところから……。火縄に、弓を引くための広さは無用だ。
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そうしているうちに、白い旗を持った男が、大家の白壁に寄りかかっているのが目に見えた。兵らは競って男に迫る。
すると数人の村人が屋根の上から現れ、ざるに盛られた土を投げ捨てた。急なことだったので顔にかかり、口にも入って慌ててしまう。白い旗の男は遠くへ逃げていく。
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……ここに隠れている者が一人。大浦家の一兵卒で、八木橋と言う。また何か仕掛けてあるだろうと踏んで、男が逃げていきそうな道陰に潜んでいた。
八木橋は白い旗を奪い、大将の兼平に差し出す。
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……この家来は津軽一の知恵者にて、後に為信の代理として豊臣秀吉に拝謁。見事に津軽の地を安堵せしめたという。
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