”これはいかなることぞ”


 信直は困惑した。大殿は、娘を返せと仰せだ。……盲目しておられる。後継をとられることを怖れ、ここまでするとは……。

 信直は言う。

 「……大殿も心を落ち着かせれば、いずれ撤回するだろうが……。」

 「殿、ではどうなさりますか。」

 心は決まっている。“離縁するはずなかろう” とそっぽを向く。第一、後継のことなれば九戸実親も離縁しなければなるまいと、不公平だとも感じた。

 家来らはうろたえている。“もし大殿のお考えが変わらなければどうなさいます” “お子はどうなりましょうや” とめどなく信直に問いかけてくる。

 信直は叫んだ。

 「あーうるさい。やかましいわ。」

 私だって、同じ心うちだ。わざわざ言われなくてもわかっている。……念のため、手を打っておくか。

 「泉山、頼めるか。」

 家来の泉山は信直の元へ駆け寄る。

 「お主に願いする。今から三戸に向かえ。北信愛殿にこの件をお話しし、大殿を諫めていただきたい。」

 「早急に致します。」

 泉山は大きく頷き、小走りで部屋を後にした。信直は大きく息を吸い、そして吐いた。

 残った家来らに問うた。

 「して……裏にいるのは誰かの……。」

 “九戸殿だ” ”九戸しかあるまい“ と口々に言う。

 九戸に、恨みは募る。口車に乗せられた大殿も問題だが、彼はあくまで己より早く去る人間。同じ時を生きる九戸兄弟を早いうちに何とかしておかないと、安心して眠れやしない。

 信直は気分を変えるため、館の外へ出た。風が少し強い。南から吹いてくる。

4-3 哀しさ

 夜となり、風はさらに強まる。信直は外付けの廊下を歩き、離れにある一室へ向かった。そこには妻の翠姫と娘の美が住まう。

 襖を開けると、翠姫は幼いわが子を抱いて、ゆったりとあやしていた。妻は信直に気が付くと、“そろそろ木戸も閉めて、備えなければなりませんね” と、にこやかな表情で話してくる。

 信直は襖をしめる。翠は赤子をつぐらのゆりかごに移した。すやすやと眠っている。

 信直はその様を見て、少し安心した。同じくして、心の中に何かが込み上げてくる。おもむろに傍に座し、次に妻の両肩をつかんだ。翠は不思議そうな顔で見つめてくる。

 「どうなさいました。」

 信直は肩から腰に手を移し、妻を抱きしめた。

 静かだが、力強く言った。

 「守るから、絶対に守りきる。」

 翠は何も知らない。改めて主人の顔を見ると、どこか寂しそうだ。

 ……しばらく、そのまま互いの体は動かない。翠は口を開いた。

 「……何かあったのですか。」

 信直は、小声で返した。

 「お前は、知らなくていい。」

 外では風のみならず、横なぶりの雨も加わった。台風は、南よりこちらへと迫って来る。いつものように、夜のうちに抜けるかも知れないが。

 ……木戸を閉じると、ガタガタと音が鳴る。そんな中、二人は布団に揃って眠りについた。信直の心は外とは違い、だいぶ落ち着きを取り戻せていた。


 朝。雨風は止む。木戸を開けると、庭先には割れた瓦が無数あった。心配になった信直は、いつもの簡素な青い直垂を身に着け、館より下へ見回りに出た。

 田子の田畑は荒れ果て、木々の小枝がいたるところに落ちている。屋根ごと潰されている家もあった。

4-4 凶報

今度の年貢は望めまい。ヤマセは弱く、日が高々と暑く照りつけ、作物の育ちも順調だった。しかし大きな嵐で、すべてがなぎ倒されてしまった。
株大根のような土物はいいだろうが……米はだめだ。農民の暮らしに直結する。この分では田子はおろか、三戸辺りも不作だろう。

信直は家来らに命じて、自らも率先して後片付けを始めた。家を失った者を館に呼び、誰かが死んだ家には葬儀をだしてやる。田畑も共に耕した。これぞ為政者の鏡である。


……救民に明け暮れて、夏は過ぎようとしていた。そんなとき、とんでもない話が三戸よりもたらされた。家来の泉山が早馬で、畑を耕す信直の元に参上した。

彼は息を切らし、今にも倒れそうだ。信直の泥がついている顔を見るなり、そのかすれた声で訴えた。

「大殿が、大殿が……。」

“なんだ。大殿がどうしたのだ”


「兵を集めております。」


周りの者は鍬を止め、泉山に目を移す。彼は続けた。


「大殿は兵を集め、若を討たんとしております。」

泉山は、その場で力尽きる。体は横に倒れ、気を失った。慌てた周りの農夫は彼を館へと運び、気が戻るのを待った。

……南部晴政は、田子信直を討たんと五千の兵を集めた。“信直はいまだ離縁せず、それはきっと後継の目を諦めていないからだ” そのように九戸政実は讒言した。
泉山はその話を聞き、飛んで田子に戻ってきたのである。

信直は憤りを隠せない。台風の被害で民が苦しんでいるこのようなときに、何を考えているのかと。田子と三戸も荒れ様は同じと聞く。大殿に、民の声は届かないのか。

本来であれば、こちらが引き下がるいわれはない。正々堂々と戦ってもいい。

しかし……民は戦を望まぬ。特にこのたびは無益の極み。お家の内輪もめ。


……信直は隣にいた農夫から手拭いを借り、泥の付いた顔を拭いた。そして、離れにある一室へと向かう。

4-5 別れ