https://aomori-join.com/2020/03/01/tsugaruhanizen/
→→第二章へ←←
鉄砲との出会い
3-1 戦の後
田子信直は、南部家の跡取りとなった。九戸実親の働きは一歩及ばず、たいそう悔しがる。信直は為信を信頼し、大いに褒めたたえた。ただしこれは二人だけの話である。本当は為信が首を打ち取ったのだとバレてはいけない。“いつの日か恩を返す” と約束するしかできなかった。
ただし、為信の家来である兼平と森岡は知っていた。その様を遠くから見てしまったからである。……こうなれば、森岡も認めざるを得ない。いつしか大浦の家中に知れわたり、秘話として心に留め置かれた。
・
小笠原は見事に手柄を立てたので、大浦家に正式に仕えることになった。これまでのあばら屋ではなく、もうすこし造りのしっかりした屋敷を与えようとしたが、小笠原は断る。なんでも、これまでの屋敷の方が身の丈に合っているという。謙遜なのか、放浪のうちに身についた貧乏性か。
・
大浦城に軍は引き返す。為信の気は久々に緩んだ。やっとで己の意思が家来に伝わるようになってきたことに、手ごたえを感じ始めていた。少しばかり気が晴れやかだ。
・
……面松斎はどうしているだろう。いまだ、占いの真似ごとでもしているのだろうか。
昔は愚痴を聞かせたものだ。今も続く悩みは……頭によぎるのは妻の事。決して仲睦まじくとはいえない。どう接すればいいかわからぬ。……面松斎なら、何と言おう。
……しかし、高山稲荷にも行き辛い。万次と鉢合わせてみろ、不測の事態を生みかねん。
理右衛門殿に頼むか……そう何度もな……ああ、小笠原ならどうだ。同じ他国者だろうし。
・
秋の頃合いである。為信は小笠原の住まうあばら屋に出向いた。真昼ぐらいだったろうか、彼は戸を叩いた。戸は少しだけ開き、小笠原とは違う顔が見えた。科尻は訝しそうに “どちらさまでしょう” と訊いた。為信はもちろん、“大浦為信だ” と答える。当然、科尻は仰天した。
・
「すいません。いまだ殿と会ったことなく、顔を存じ上げませぬ。」
慌てて、机に無造作に置く紙をしまい出した。
・
3-2 図面
ひらりと一枚の紙が、為信の元へ飛んでいった。自然と目がいく。
・
……そこには、筒状の何物かが描かれていた。
・
「これはなんだ。」
為信は問う。眉間に皺をよせて、いまだ理解していな様子であった。
科尻は渋々ながら答える。
・
「……火縄でございます。」
火縄とな。聞いたことはある。なんでも中央では戦に取り入れられていると聞く。
・
そのとき、後ろから鵠沼がやってきた。
科尻は “こちらは殿よ” と耳打ちをし、科尻と同じくかしこまった。為信はあばら屋の中へ通され、談義が始まる。
・
為信は言う。
「なかなかの……火縄は高価な物にて、こんな田舎には手に入らぬ。しかしここにその図面がある。何をしようとしていた。」
・
科尻と鵠沼は顔を見合わせる。いくらか青くなっているような。
「いえ……後学の為でございます。将来、殿のお役に立てるよう、知識だけでもと入れていたのです。」
・
それはあっぱれなこと。
……為信は、まじまじと図面を見る。
・
“……いまいちわからんな。実際に手に取ってみたいのお”
・
ここで鵠沼は恐る恐る為信に訊ねる。
・
「為信様……なんのご用件で参られました。」
「うむ。小笠原殿に、面松斎殿と会えるように席を設けてほしいと願うつもりであった。」
・
科尻は答える。
「確か……面松斎は鯵ヶ沢に移ったはず。」
彼の占いが評判となり、大家主から店を出させてもらったという。
・
3-3 進呈
「この図面、しばらく借りてもよいか。」
為信は手を合わせ、二人に懇願する。二人としては、なすすべがない。
そうして為信は帰っていった。
・
“…………危ないところだった”
・
“殿自ら、下々のところに来るとは”
・
“今後は気をつけねば”
・
道すがら、為信は考えた。鯵ヶ沢の大家主と言えば、一人しかいないだろうと。理右衛門だ。そこで面松斎は世話になっているか。
話の種として、火縄のことも話してみよう。
・
山々の頂上の葉は落ちきり、平野にかけては丁度紅葉の見ごろである。理右衛門屋敷の庭先モミジも、鮮やかな様であった。
為信が客間で茶をすすっていると、渡り廊下より面松斎が、着飾った格好でやってきた。
「為信様、お久しゅう。」
思わず、大きく笑ってしまった。面松斎も故はわかっている。
「客もそれ相応のものを望んでおります。……仕方なしにこのような……。」
手を曲げて、いかにも芸者のような身振りをする。“大占学者”としての雰囲気とはいかなるものか。
・
落ち着いたところで、面松斎は客間に入る。早速、火縄の図面を見せる。
「確かに……こちらはこういうのが遅れておりますな……。」
面松斎は相槌を打った。為信は言う。
「一度でもいいから、触ってみたいのだ。」
・
“……そうなると、やはり理右衛門様ではないですか”
・
“理右衛門のう……”
為信は、この家の主人である理右衛門を呼んだ。理右衛門はいつものように朗らかで、大黒様のようでもあった。火縄のことを言ってみると……。
・
「一丁だけ、持ち合わせております。よろしければ進呈いたします。」
・
3-4 実演
“それは真か”
・
理右衛門はたいそう軽やかであった。
「はい。為信様には、鯵ヶ沢の警護を強化していただきました。これはほんのお礼です。」
・
為信は身を乗り出して、理右衛門に請う。
「火縄をここに持ってきてくれ。」
・
手代は火縄を、布に何重にも包まれた状態で、恭しく慎重に抱きかかえて持ってきた。それほど貴重な代物である。
厚い布を、一枚一枚広げていく。すると真っ黒な筒が現れた。光を受けていないのに輝き、辺り一面に煙の薄い臭いが立ち込めた。
為信は手に取る。しばらくじっと眺めた。筒の穴を覗いたり、縄のところを触ってみたり。
・
「して……どうやって撃つのだ。」
ここで初めて理右衛門は、困った顔を見せた。“それがわからないのです” と。面松斎も知らぬという。もちろん、手代もだ。
・
「為信様のご家来衆で存じておる者はいないでしょうか……。」
・
なに分、田舎侍の集まり……為信のように、見たことのない者も大勢いよう。……いるか。小笠原ならどうであろうか。
翌日、為信は面松斎を連れ立って小笠原の元を訪ねた。科尻と鵠沼もいる。小笠原に火縄は撃てるかと問うと、こくりと頷いた。全員、庭にでる。
・
科尻は少し欠けている不要な茶碗を用意し、遠くの台の上に置いた。鵠沼は筒以外にも必要なものがそろっているか確認した。
さて、小笠原は言葉を発っせずして支度を始める。筒に付いてあった長い木の棒を外し、火薬と弾を筒の中に押し込めた。手元にある火皿と呼ばれる小さな隙間に、口薬を入れる。縄に火をつける。
・
ジリジリと音を立て……火蓋を切る。弾は一瞬で飛んだ。
茶碗は、砕け散る。
・
3-5 身内の仲
小笠原は表情を変えず、一つ頷いただけである。筒を上に向けて、持ち手を変え、為信の方を振り向いた。
・
「……雪国には、向きませぬ……。」
ほう、このような声であったな。久しく彼の声を聴いた。……しかし雪国に向かぬとは、どういうわけか。科尻は言う。
「火縄は、湿気をたいそう嫌います。夏はいいでしょうが、冬はどうなることか。」
・
このあたりは、体が埋もれるほど積もる。そのような欠点があろうとは……。しかし、為信の決断は変わらない。
・
「小笠原殿……火縄を教えてくれまいか。」
・
科尻と鵠沼は、“いやいや殿にそのような恐れ多い……”と、小笠原に目をやる。小笠原はだまって、首をすんとも動かさない。
傍らで話を聞いていた面松斎は、為信のために口を添えた。
「ますます、他国者は認められましょうな。」
・
科尻と鵠沼は口をしかめ、考え込む。そうしているうちに、小笠原は……
・
「……主命なれば……なんなりと。」
・
為信は喜ぶ。面松斎も、まるで弟のことかのように嬉しかった。対して科尻と鵠沼は暗い顔。この二人はいったい、何を企むのか。
・
……為信は、気持ち晴れやかなままに城へ帰った。が、肝心なことを忘れていたのを思い出す。妻の戌姫だ。
次第に外は暗くなり、お日様はお山の向こうへ隠れようとしている。……為信は、密かに居間へ向かう。
・
……戌姫は、歳の離れた弟二人と鞠で遊んでいた。こちらに気付くが……つれない。
顔を背けたまま、“おかえりなさいませ” と言う。為信は“うむ” とだけ言い、隣に座った。為信は “鼎丸、保丸” と呼び掛ける。二人はこちらに顔を向けるが、少し怖がっているか。
・
戌姫は、二人を抱き寄せた。
・
・
最後の鷹狩
3-6 不穏
夜、為信は戌姫の元を訪ねる。戌姫は今、一人だ。
二人は座るだけ。互いに無言で、顔を合わせない。同じ方を向く。
・
「なあ……三年も続いておる。」
・
“……そうですね”
・
「……私は、こなければよかったか。」
・
…………
・
為信、十九。戌姫、十七。久慈より養子に入ってこのかた、さして変わらぬ。
……鼎丸と保丸は怯えていた。家来らのかつての妄想を真に受けたのだろうか。あの二人を殺せば家督は譲らなくても済む。だから為信はなにか企んでいると。
戌姫も、信じ切れてないだろう。
そのような状態で、ましてや体を交わすなど、できようがない。
為信には耐えきれない。話をしてみようと来てはみたが、無理だ。いたたまれなくなって、その場を去る。
・
戌姫は手鏡を見た。己の顔はどうであろうかと。
“このまま全てが終わるのか。いや、終わりたくはない”
……どうすればいいか、わからない。
・
冬に入り、再び正月を迎えた。為信と戌姫、二人は上座にて、家来らをねぎらう。この時ばかりは“仮面”を被る。
去年の正月は偽一揆があったため、ニ年ぶりの祝賀であった。
ここで兼平は二人の横に立ち、三戸から届いたという吉報を皆々に伝える。
“南部晴政公側室の彩子様、ご懐妊”
・
ん、待てよ、それは……一抹の不安。男子なら、田子信直公はどうなる……んん、酒で頭が回らない。家来たちも同じだった。それよりも、為信と戌姫の間に子がいないことを口々に言い立てる始末。
・
3-7 変化
夜はまた来る。為信は戌姫の部屋を訪れた。
……互いに口を開かない。そんなときが長く続いた。月は頂上に達する。眠ることなく、隣で座り、同じ方を向くまま。
・
やっとで、為信は言葉を出す。
・
「どうする。」
・
戌姫は為信の方を向く。為信は続けた。
・
「家来らは、以前のようには思ってない。幼い子を殺そうなどと、ありはせん。」
酔いはまだ抜け切れていないせいだろうか。少しだけ本音が混じる。
・
戌姫は、恐る恐る為信の膝に手を置いた。目を合わせるが……すぐに背ける。
・
為信はその手を、彼女の膝の元へ戻した。
「無理せんでよい。」
為信は立ち、その場を去った。
・
戌姫は、手鏡を持つ。持ちはしたが……そのまま下に置いた。
・
・
朝は来た。白原に太陽は照りつける。為信は火縄の訓練に行く。小笠原の屋敷には、松明を大量に焚かせ、火縄を乾かす。雪も徹底的に除ける。故にその一区画だけ土の色が見えていた。
小笠原は言葉で教えない。手に取り、このように動かすのだと、体で見せる。為信は慎重に、その様を真似た。
動作は遅いが、着実に腕をあげてきている。その感触は確かだ。科尻や鵠沼も、太鼓判を押す。
心地いい汗をかく。たまに面松斎もやってきて、差し入れをする。港よりはいる珍しい書物もしかり、新しい情報も入れてくれる。小笠原の屋敷は、為信専用の塾と化した。
・
……時は経つ。
雪は融け、年号が永禄から元亀に改元された頃。石川高信公の容態は一向に良くならず、彼は覚悟を決めた。最後は鷹狩をして、武将としての生涯を閉じようと希望する。
津軽衆は、高岡の地に集まった。
・
3-8 鷹狩
平原は、新しき命に湧く。新緑は勢いづき、冬眠から覚めた獣たちが駆け巡る。野兎など小さな花を見つけては片手で触ってみたり、花を近づけて匂いを確かめていた。
為信ら含む津軽衆は、郡代が到着するのを待つ。大光寺や千徳など、名だたる武将が集結していた。その中でも唯一、為信だけが布に包まれた長い棒を持つ。隣の者が面白がり、“ほう、珍しいこと” などと話しかけてくる。
・
・
遠くより、石川高信公は籠に乗せられてやってきた。その隣を馬に乗って次男石川政信が付き従う。後ろには、籠の簾を半開きに外を見る女もいた。老齢に見えるが……高信の奥方か。女を連れてくるのは異例である。
高信は籠から降ろされると、寄り添う奥方の肩に寄りかかり、もう片方を家来に支えてもらう。顔は少し膨れ、肌は黄色がかっていた。ただし息は荒れておらず、苦しい素振りをみせない。
・
高信は問うた。
「信直は、まだか。」
・
政信は辺りを見回す。上座にはもちろん、家来らの中に紛れ込んでもいない。
「いないようです。」
・
高信は歯がゆそうだ。もともと領地が遠いため、少し遅れるとは聞いていたが、そうとわかっていても寂しそうであった。
その長いあご髭を触る。次に手を開いて、じっと見つめた。何本もの毛が抜けて、汗で手の平についていた。決して外は暑くはない。高信の体のどこかしこ、おかしくなっている。絶え間ない疲労感。それでも無理を押してやってきた。……これが、最後。
・
・
狩は始まった。
一番手は野原に足を置き、棒であたりを叩く。白い兎がびっくりして、高く飛び跳ねる。遠くへ逃げようとするが、鷹が素早くその鋭い嘴で獲物を捕らえる。
二番手は長い槍を持ち、自分の力だけで獲るという。慎重に辺りを観察し、茶色い毛肌のイタチが見えた。そこをすかさず突き刺す。獣は悲鳴を上げ、その場で倒れこむ。
次は三番手。鷹を使って大きな獲物を捕まえるという。木々の生い茂る方へ近づき、なにかいないかと探る。……すると、大きな角を持った鹿が一匹。鷹は木々の間を飛びぬけ、大物を挑発する。鹿は角をつつかれて、鷹の逃げる方へ向かう。すると森の出た先に、武者は待っている。
・
3-9 称賛
長い太刀を持ち、左腕には縄をつりさげてある。鹿は目の前に迫る。間近に来る。もう少し、少し……今だ。太刀は、鹿の首根っこを刺す。
“おおっ”と皆々歓声をあげる。さて縄で縛って終わりと、武者は太刀を鞘に戻す。
・
……すると、鹿は突然暴れ出した。足を高く上げ、今にも武者に襲い掛かろうとする。
固唾をのむ。武者は何とか踏み切って逃げようとしたが、縄が鹿の体と絡まってしまい、思い通りにはいかない。周りの者も助けに行こうと走り出した、その時。
・
辺りに爆音が響く。
・
ここは田舎者の集まり。初めて聞くものも多く、慌てて耳をふさいだ。
・
……為信は鹿に向かって撃ったのだ。獣は心の臓をやられたか、動きはなくなる。武者は間一髪で命拾いをした。
為信は皆から称賛を受けた。その筒は何だと、触らせてくれと大勢が寄ってくる。為信は次の火薬と弾を込め、もう一度遠く撃つ。再び爆音とともに、生い茂る草を颯爽と通り抜けた。自然と拍手が起きる。
席に座ったまま遠目で、石川高信も見ていた。隣の政信に耳打ちする。“信直のようだな” と。政信は“はい、津軽にも扱える者がおろうとは” と甚だ驚いていた。
・
……少し経ち、田子信直も到着した。最初に遅れたことを釈明し、父に許しを乞うた。父高信は“よい、よい” と優しくなだめた。彼の奥方は肌触りの良い小さな布を、高信の額に当てる。とめどなく出る汗を丁寧にふき取っていた。
信直は、神妙な顔つきになる。そして、父に言った。
・
「私は……大殿の子が男なら、家督を辞退します。」
・
父は息を一つ出す。“だろうな” といった感じで、信直に言った。
「戦国の世は、生きてこその大事だ。」
・
父は傍らに置いてあった水筒を、息子に渡した。信直はその蓋を開け、ぐいっと飲む。そして兄は弟に残りを渡し、弟も同じようにぐいっと飲んだ。奥方はその様を見て、微笑む。
・