【小説 津軽藩起始 油川編】最終章 外ヶ浜平定 天正十三年(1585)夏

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虐殺

10-1 意を決して

 三月三日の昼に入り、浄満寺じょうまんじへの絶え間ない弓矢による攻撃は一段落を見た。寺を囲む壁の後ろで備える者はおらず、皆々仏殿や庫裏の中へ身を潜めているようだ。昨晩、隣の明行寺みょうこうじを攻めた勢いはどこへやら。きっと体を震え上がらせ、怯えているに違いない……。

 そう思い、大浦軍は再び寺に使いを送った。すると怯えるどころか、誰もが恨みをもって使者を睨みつける。境内には無数に散らばる折れた矢と……建物の方に前のめりに果てている死人の群れ。反撃できぬほどの間隙を与えず、大浦軍は絶え間なく矢を浴びせた。使者からすれば “お主らが降伏せぬからだろう” とも思えるが、籠る側からすればそうはいかぬ。心を汲むことをせずに、さも一方的に攻め立てる……許すはずがない。

 そして籠る者らが使者に伝えたのは、 “大浦には与しない” との答えだった。おそらく奥瀬残党と町衆併せ七百名ほどいた人は今や五百人ほどになっているものの、それでも強固にも……じょっぱりのさがを出し、降伏することは無いと意地を見せつけたのだ。我らが領主は奥瀬善九郎のみ。卑怯な手を使う大浦為信に従う気はないと。

 “……もうよい”

 油川城の本陣より浄満寺の門前に姿を表したのは為信本人。その髭面を見れば、誰もが彼だとわかる。脇から事態を見守る町衆も含め……固唾をのんで見守る。

兼平かねひら。南部が津軽に対し直接攻撃をかけてくるというのは真か。」

 兼平は……少し戸惑いつつも、主君に答える。

「はい。横内に潜めている者から伝わるところには、すでに南部氏は津軽への侵攻を決断。その機会に合わせ、蓬田よもぎだの相馬や高田と横内も合力し、油川と中心とする外ヶ浜そとがはま一帯の鎮圧を目指すとの報あり。」

「大将は誰か。」

「浪岡三奉行の一人でしたひがし重康しげやすの父、東政勝まさかつになるものかと。田舎館千徳氏とも血縁がある人物でございます。」

 ならばここで手をこまねいてはいられぬ。ここで始末してしまわねば、もっとややこしい事態を迎える。油川には申し訳ないが……大浦軍の大将として、私は決断を下す。

「ただ今より、浄満寺じょうまんじを攻め落とす。皆々抜かりなきよう、申し付ける。」

 為信は淡々と申し渡した。このような鬼の決断を、感情をきにして非情さを見せつける。奥瀬残党だけでなく、町衆も籠るこの寺に、容赦なく ”死” を与える。もちろん周りで見守る籠らぬ町衆にも、親類縁者はおろう。だがこのように導いたのは他ならぬお主らだ。お主らの行動によって、今の事態がある。……今後一切逆らう気が失せるぐらいに、彼らの目に焼き付けさせるのだ。

10-2 声は大きけれど

 申の刻(午後3時ほど)、大浦軍により再び浄満寺への一斉射撃が行われた。矢の嵐に襲われる籠る兵と町衆ら、元から外でうろついている者は少なかったものの、また血を流す羽目になる。

 そして次に大浦軍は大きな丸太を持ってきて……浄満寺の前門へ勢いよくぶつけた。相手には守る者もいないし、所詮は防備を考えて作られた寺ではない。呆気なく破れ、戸は粉々に果ててしまった。一気に境内が視界に広がり、音に驚いて仏殿や庫裏から出てきた者らがこちらを見て……思わず逃げる。ただし走って追おうにも、足場は折れた矢が散らばっていつのはもちろん、未だ片付けられていない死体、死体、死体……。中には鎧も身に付けぬ町衆もいるわけで。攻める側としては思うところありながら、一歩一歩前へと進む。辺りを警戒しつつ……横から矢が飛んでくるか、銃弾が放たれるか……。ただただ籠る者らは開かれた襖の奥にて刀を両手で持ち、怯えながらこちらへと構えていた。槍を持つ者も、女子供はさらに奥で互いを抱きしめながら震えている。

 だからといって、降伏の意志はない。従うより死んだ方がましだと言わんばかりである。しかしそれでも戦うか。数多の傷を受け、大将はもちろん不在で……抗いたいがために抗っているだけ。戦う必要のなかった戦いなのだ。ただ静かにしていればよかっただけなのだ。それをいらぬ意地を張り、“じょっぱり”の心を露わにし、自ら死に行こうとする……。

 大浦兵は彼らに近ずく。一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄る。籠る者らは……震えが止まらない。思わず後ずさりする者もおり、かといって逃げ場はないのだが。この寺の外は……すべて囲まれているのだから。

 すると誰かが馬鹿でかい大きな声を上げた。悲鳴ではないがどことなく哀しさを含む怒鳴り、結果としてそれは “鬨の声” となり、籠る者らを奮起させた。そうだ、戦わなければ生き残れぬ。絶望しか感じないが、戦ってこそ極楽浄土へもいけるに違いない……いや、その実は生きたいのだ。生きたいという潜在意識はあれど、うやむやにせあるを得まい。今は叫び声をあげ、目の前の敵を殺すのみ……。

10-3 滅亡

 喧嘩ではない。これは命の取り合いなのだ。刀を鞘から抜き、光るところを互いに交じわらせ、力と力をぶつける。これに破れる者は無残にも斬り捨てられることは明白……。足場の悪さなど理由にならぬ。板間だろうが死人の上だろうが、それは当人に課せられた運命でしかない。ただし “運命” と申しても、その者が “籠る側” ならば、大浦兵を殺したところで五分十分しか違わぬ。それでも戦うのだ。何が為に、もう目的などどうでもよい。目の前の敵ならばひたすらひたすら……ひたすらに殺すだけ。この由緒正しき寺の中で争うのは不本意ながら、……もしやこの咎で、極楽浄土へは行けぬかもしれぬ。必死に南無阿弥陀仏を唱えても、この罪は償いきれぬのではないか……。ただし一つ言えることは、考える暇も与えられずに死に果てた者と比べれば、少しだけ幸せかもしれぬ。それだけのこと。

 大浦の兵らは “死兵” と戦い続ける。“死兵” こそやっかいな者はなく、逃げ場が一切ないのだから恐れずに立ち向かってくるのは当然である。刀や槍を手に取りて、獣のような雄叫おたけびを上げて、般若はんにゃ形相ぎょうそうで迫りくる。これには大浦兵もタジタジで、一応彼らには後ろに下がりさえすれば逃げ場はあるので、籠る者らと比べれば切迫感はない。ただそれでも ”ならず者” で兵に加わっている奴らは覚悟が異なるらしく、率先して前へ出て戦っている。同じように人間らしくない声を上げ、身なりがいかにも武装していない者でも斬り殺していく……。容赦がない。他国者ならば生きるための土地欲しさに、あぶれ者はその野蛮さが故、浄満寺の私兵と真正面……いや、一対一で刃を交えている時ならば、手柄を横取りしようと横から槍を入れてしまう不作法。味方の危険を顧みず、自らの火縄をぶっ放してしまう身勝手さ。

 強いこと、この上ない。そのように譜代の大浦兵どもは関心しつつ……一抹の不安も覚える。もし彼らが大出世して互角の立場になれば……これまで繋がりのなかった我らを躊躇ためらいなく落としていくのではないかと。現に軍師の沼田はそうだ。

 ふと気づけば、畳や板間には踏み場もないくらいの息絶えた人の山。衣は破れ、その隙間からは鮮やかな血が伝い落ちる。壁を見れば、弧を描いた黒ずんだ線。障子は破れ、仏像は倒され、争う声はなくなった。その代り蔵を暴き、物置の中身を取り上げ、経文など金目になりそうなものをことごとく奪っていく。女で生き残っている者いれば、これも我が物とす。

 これにて浄満寺じょうまんじは敗れた。建物が荒れ果てたのはもちろんのこと、為信に逆らったということで誰も寺を建て直せず。結局は三十四年後、元和五年(1619)の再興を待つことになる……。

10-4 立場逆転

 今度は華やかで明るい声に変わった。再び夜となり、鍋に水を張り火を起こし、行商から買いたての魚などを入れて食する。死体をけた後の境内で、大浦兵でも特に不埒な者どもが騒ぎはじめていた。……その声は隣の明行寺みょうこうじまで響き、未だ縄で繋がれたままの妙誓みょうせいにも聞こえる。

 歯を食いしばりつつ、もちろんすべてが終わったことをわかるが、本当の意味で理解をしたくはない。ただし実際にその悲惨な現場を目にしていないこそすれ、十分に想像できてしまう。戦の最中に届いた悲鳴、刀や鎧がぶつかり合う音、果ては女が手籠めに遭う声……。

 妙誓は無駄に “じょっぱり” を張り、手前に出された夕餉を嫌でも取ろうとはせず、水さえ受け付けぬ。周りの僧侶らは困り果て、師匠である頼英らいえいを呼ぼうとするが……彼もまた避けているようで。すると興味本位で再びやってきた男が一人……生玉なまたま角兵衛かくべえだ。

 とことんいたぶってやろうという顔つきで、妙誓の座る高さまでしゃがみこみ、彼女の目の前で大いににやつくのだ。

「これはこれは尼の妙誓様。まだご健在でございましたか。それは良きことでございまする。」

 妙誓は思わず舌打ちをし、横へ目をそらす。そこを無理やり角兵衛は片方の手で妙誓の顎をつかみ、自らを直視させた。

「もうご存知でしょうが、戦のすべては終わり申した。我らも褒賞にありつけまするし、他の者もたいそう喜んでおります。……もし戦が起こらなければ、こうはなりますまい。戦ってこその褒美でござろう。その点は油川の者らに感謝せねばなりませぬな。」

 そして大いに笑い焦げる。周りにいる僧侶らは引きつるように笑い、一方で妙誓の辛酸をなめる表情も窺いながら、複雑なことこの上ない。

 角兵衛は再び言い放つ。

「それで妙誓様はどんな悪きことをされたがために、未だお縄にかかっておいでなのでしょうな。」

10-5 屍

「では妙誓みょうせい様、これにて戻りまする。またどこかでお会いしましょう。」

 生玉なまたま角兵衛かくべえはそういうと身をひるがえし、庫裏くりより去って行った。妙誓は彼の姿が見えなったことを確かめるなり、唯一動かせる脚を畳に向かって蹴り付け、縄で繋がれたままの体と腕をこれでもかというくらいに荒らげた。このように鈍い音と揺れでその場を騒がしくはしたが、中年の女の身でできることは限られている。暴れれば縄が解けるほどの怪力は持ち合わせていないし、ただただ疲れはてるだけ。ものを食べていないのだから、力など続かなくて当然……。わざと食べないのは妙誓当人の意志なのだが、すでにやつれてしまって、見るも無残な顔つき。しかれども最後の力を振り絞り、縄で縛られたままの身で暴れるは暴れる。罵倒された悔しさのあまり……何もかも忘れ、一心不乱に。

 寺の僧侶らは恐れおののいて少し遠くから眺めるのみ。誰も灯をつけないので遠目に見ると “暗闇” のまま黒い塊がうごめいているようにも見えなくもない。

 しばらくして……叫びは途絶え、うめきも止まった。さては疲れはて、力尽きたか……。周りで様子を窺っていた僧侶らは安堵し、その内一人は恐る恐る近寄り、妙誓の肩に厚手の衣をかけてやった。

 ……北国の春の寒さは、身にこたえる。

 油川での悲惨な日は、こうして幕を下ろした。

 ……いつしか朝となり、気を失ったように眠りについた妙誓に外から日が差し始めた。項垂うなだれた彼女の横顔に光が当たり、まるでそれは如来が舞い降りたかのようである。

 師匠の頼英らいえいは近寄り、静かに縄をほどき始めた。ふと妙誓が目覚めると、傍らには老いた顔の僧侶が。だがすでに恨みの心を向けるだけの気力はなく、ただただ漠然としてその見慣れた顔を見つめるのみ。

”すべてを見なされ。これが起きたことすべてだ”

 頼英は己の肩を妙誓に貸し、少しずつ少しずつ前へ歩む。互いに揺ら付きながらも前へ進み、明行寺みょうこうじより出でて隣の浄満寺じょうまんじへ。崩れ去った門構えを何とかくぐり、未だ無造作に置かれたままの矢束に足を気を付けつつ……境内より遠目に仏殿を眺める。引き戸は穴が開き、障子は破られ尽くされ、奥に座すはずの仏像は横に倒れていた。息絶えた体こそすでに片づけてしまっているが、黒ずんだ土や石や壁の色はむごさを訴えかけてくる。

  二人以外、この場にいない。

 妙誓は……しゃがみこみ、顔に手を当てて嗚咽する。

 頼英は……手を合わせ、ただただ南無阿弥陀仏を唱える。

千徳の奮戦

10-6 訳が分からぬ

 天正十三年(1585)四月、ひがし政勝まさかつ率いる南部軍三千は三戸さんのへより出陣。城ヶ倉じょうがくらの山岳地帯を経て、直接津軽に軍事行動を行った。それと同時に外ヶ浜そとがはま勢に決起を呼びかけ、蓬田よもぎだや横内などの南部方は油川に詰める大浦軍へ攻撃するように見せかけ、彼らを津軽へ助けに行かせないように仕向けたという。加えて油川町衆にはびこる不穏な空気……再び浄満寺じょうまんじの二の舞は踏めぬ。

 結果としてまともに攻撃を受けたのは大浦為信の同盟者である千徳せんとく政氏まさうじ。川を伝って東から攻めてきた敵軍の先には浅瀬石あさせいし城。その城の城主である千徳は為信の同盟者ながら、実質は従属する身。新浪岡体制に組み込まれた際は奉行の一人として半ば独立を得たが、為信が南部に反旗を翻したことにより逆戻り。何より為信の正室は己の娘であるとく姫。すでに二男一女を設けているので、為信がために働かざるをえない。

 しかしながら此度の決起は何も知らされておらず、“欺くのは味方からというではないか” と言われる始末。しかも何やら大浦軍は援けにきそうでない。……となれば激怒するのは息子の政康まさやすであった。

「為信め。かつて妹の徳を手籠めにしたに飽き足らず、今度は我が家を滅ぼそうとするか。赦さない。決して赦さぬ。」

 ではこのまま南部方に膝間付くか……いや、徳は人質も同然。それに一部の兵は大浦兵と共に油川に詰めている。勝手なふるまいは、仲間らを危機にさらす。

 果ては政氏がというよりは政康が先頭に立ち、大浦軍の助けなしでも独力で立てることをのたまうため、単独での戦闘を決意。民衆らも彼の心意気に奮い立ち、次々と浅瀬石城へ入城。結果として城兵三百のみで三千に抗う無謀な戦だったものが千もの雑兵が加わって、策さえあれば堂々と渡り合えるほどの兵力と化した。

 敵軍が通るであろう道は判り切っていたので、あらぬところに穴を掘ったり柵を結いつけ地味に手間を掛けさせ、通る敵兵に石を投げてそのまま隠れたり、ざわと農馬をけしかけて敵兵に突撃させたりもした。そして敵が城を囲み、いざ攻め入らんとすれば……弓矢や槍で戦うばかりではなく、大釜に熱湯をわかしたものを長柄の柄杓ひしゃくで敵の頭上に浴びせさせる。こうであればひ弱な女や子供でも戦に参じることが出来よう。

 こうして ”宇杭野うこうのの合戦” が火蓋をきった。

油川攻略の陰で行われていた、途轍もなく激しい戦である。

10-7 苦心

 浅瀬石あさせいし城は一向にひるむ様子なく、ならばと大将ひがし政勝の息子である東重康は自ら使いとして敵城へとおもむいた。今や争う相手とは言え、かつては浪岡で同じく詰めていた奉行仲間である。もしや説得に応じてくれまいかと思い……馬から下りて城門で待つと、鈍い音をたてながら扉は開かれた。馬を近くの者に預け、言われるがままに奥の方へ。すると大きな館の前にある砂利の広間に、床几が二つ。そのうち一つに、すでに千徳せんとく政氏まさうじが座っている。ここ最近で一気に髪の色が白く変わった彼は、苦い顔をして待ち構えていた。

 次いで東も空いている方へと座った。そして何を言わんとしたか、東は口を開いて語りだろうとするが、思わずしり込みをしてしまう。千徳も……わからない訳ではない。仕方なしに千徳から話し始めた。

「一か月後にこうなろうとは思いもよらぬ。ご存知の通り、我らには為信決起の企みを聞かされておらず。此度はあなたがたと相争うのは不本意な事である。」

 東は大きく頷き、このように返す。

「我らとしても内情を知っているが故、こうしてあなた方の手を借りれまいかと浅瀬石へと兵を向けた。しかれども意に反し、あなた方は我らと刃を交じらえてしまわれた。いかようにお考えか。」

 千徳は哀しそうにため息をつく。

「ワシの息子は為信嫌いでの。だからといって南部に寝返ってしまえとはならぬのだ。お主も存じているように、為信の元にワシの娘とその子らがおるし、何人かの家来衆がそのそばで仕えている。」

「知っております。そこで我らとしては戦わずして逃げて下されば、命の奪い合いはせぬとお約束いたします。そして我らを素通りさせ、堀越城と大浦城を突かせてくだされ。為信一人がいなくなった暁には、再び浅瀬石の城主へとお戻しいたします。すでに一戦はいたしましたので、不名誉は避けられましょう。」

 また、ため息。

「ところがの、息子は一度決めると考えを変えぬのじゃ。”為信無しでも追い払えることを証明してやる” と逆に意気込んでおる。」

10-8 決裂

 東重康と千徳政氏、互いに弱り顔を見せつつ……相合あいあわぬことを悟った。そして二人の座る砂利の広間を遠目で見守るのは浅瀬石あさせいし城の兵ら。誰もが二人の様子を窺うが……突如として重康は床几しょうぎより立ち、千徳に対して怒鳴った。誰もが聞こえるかのように。

「お主らは南部家の御恩を数代にわたって被ったにもかかわらず、こうして敵方についた。もし城を明け渡して詫びるならば皆々方の命まではとるまい。」

 続けて千徳も似合わぬ大声をたてる。

「何を申される。己は千徳の枝葉として南部家とよしみがあったことは確かである。しかれども為信決起の元をただすと、南部家の治世が至らぬが所以ゆえん。……これも武士の情けじゃ。命を取らぬ故、ここを一刻も早う立ち去れ。」

「そういたそうか。正々堂々と一戦し、お主らを滅ぼしてくれよう。」

 ……こうして交渉は決裂。南部軍は再び浅瀬石城へと攻め寄せた。籠る側も必死に抗い、何千もの矢が絶え間なく放たれ、数こそ少ないものの火縄も互いを狙って撃ち合う。城門をつなぐ橋は敵味方で入りまじる。 “このままでは城に近寄れぬ、埒あかぬ” と攻め手側の将が叫び、城を囲む水堀に兵を泳がせた。無理やり石詰みを登らせようとけしかける。もちろん功にはやる兵らは身を軽くして、胴丸と腰刀のみの装いで泳いでいった。ただし彼らほど狙いやすい標的はなく、次々と堀の中に沈んでいく……。

 南部軍大将である東政勝(重康の父)は苦虫を潰しながら城を睨みつけていると……後を詰める兵らから急進が入る。

“敵方と思われる五十人ほどの小勢が雑音を囃し立て、こちらが蹴散らそうとするとすぐに退散。これを幾度となく繰り返してきております”

 政勝の頭に血がのぼる。しかれども彼は決して猪武者ではない。小勢の誘いごとに載って大軍を動かすようでは大将の器とは言えぬ。”打ち捨てておけ” と伝え、すぐ持ち場へ戻れと追い払う。

 相当苛立いらだっている。そして彼は怒鳴りこそはせぬが、周りの兵らの些細な動きに文句を付けたくなってくる。”もっとはっきりモノを言え” だとか “鉄砲の弾を無駄にするな” など。見るモノすべて彼の標的……。

 そのようにまごついていると、それは丁度昼下がりに起こった。突如として法螺の音が鳴り響き、浅瀬石城の一番大きな南門が放たれる。姿を表したのは馬に跨る立派な大将とそれに続く兵ら。彼こそが徹底抗戦を主張した千徳政康(政氏息子)その人である。橋で争う者らを次々となぎ倒し、南部軍本陣めがけて走り行く。併せ三百ほどの決死隊であった。

10-9 高みの見物か

 “小癪こしゃくな” と兵数の多い南部軍はすぐさま千徳政康率いる決死隊を潰そうと一斉に囲む。先頭を馬に跨り駆けるのは政康本人。彼が本陣への道を切り開くと、その後ろを歩兵らが進みゆく。これは大将首を狙えば終わりぞと南部の将兵はわっと湧いて彼を狙う。しかれども政康、神仏を味方に付けているのだろうか。一向に矢が当たらぬ。当たっても身に着けている鎧や兜に弾き飛ばされるのみ。余多もの刀や槍も彼を狙うが、その度に斬り殺されていく……。軍神とは彼の事か、いやいや彼もまた人だ。今こそ勢いを以て攻め立てているが、大軍の中を無謀にも突進しているにすぎぬ。ならば周りの兵をまず先に狙えと、後ろ側から容赦なく矢の雨を降らせる。しかし兵らもまた政康に感化されているのか、いくら鏃で(やじり)が体にめり込もうとも、戦うのをやめぬ。

 だからといって怖気づく南部軍ではない。大将であるひがし政勝をはじめ、息子の重康や他の将兵ら、屈強な者ばかり。辺りは土埃を上げ、金属の当たる音や鎧がぶつかり合う音はもちろん、さらには人の叫びあう声で辺りは包まれた。ところ嫌わず浅瀬石の河原から田園地帯も含め、他の城兵らも政康の勇ましさに続き出てきたので、途轍とてつもない混戦模様である。

 ……となるといずれ不利になるのは兵数の少ない千徳勢。次第に押され……夕方日が落ちかけることには、さすがの政康も城へと引き上げようかと思った。城にいる政氏も引きの陣太鼓を叩こうかとバチを取っていた。

 だが……あろうことか、南部軍はその優位さは保ちつつも、東へ東へと次第に兵を退いていくのが城から見える。その場で戦っている将兵にもその報は知らされ、だからといって我らも多くが傷ついた。深追いはしまいと城の方へ体を向けると……浅瀬石城には馬鹿でかい “卍” の旗が翻った。

“これが為に、南部軍は引き上げたか……”

 政康は悔しそうに自分の城を睨む。しかも後から聞く話では、すでに前の日のうちに大浦軍は詰めていた油川から津軽領内へと戻り、本日昼過ぎには浅瀬石より南西の高木村にて悠々と様子見。旗指しも掲げず、ざわと気づかれぬように……千徳軍と南部軍が相争っている様を眺めていたという。

 何たる侮辱。特に為信嫌いである政康にとって、これを看過できるはずがない。独力で南部軍を追い払ってやれと決めていたのに……結局は大浦軍が追い払ったかのよう。大浦軍が助けに来たから、南部軍は引き上げたのだ。

 これでは、やってられぬ。

10-10 次の火種

 なぜ大浦軍は千徳と南部軍の戦を悠々と様子見していたのか。実はこれは沼田祐光の献策であった。内偵から伝わった話によれば、城から兵を率いて突撃していったのは千徳の息子の方だとわかっていた。彼は何故か為信嫌いで有名……あまよくば彼が死んでくれれば不満分子を除けることができるだけでなく、現当主である千徳政氏の亡き跡は……その所領は自然と大浦家へと転がり込んでくる。なぜなら政康の他に男子はおらず、残るは為信の正室である徳姫のみ。

 ただしあまりにも千徳兵がボロボロになると都合が悪いので、夕方になって浅瀬石あさせいし城へと入った次第だ。”卍” の旗差しをみた南部軍は東へと引き上げ、千徳の兵は辛勝と相成った。しかしながら政康にとって何たる侮辱。……城に戻ると、為信と父親の政氏は本館の前で丁度ちょうど立ち話をしていたのだが、政康は他を顧みずに……為信を睨みつける。為信と政氏両人ともこれに気づいたが、わざと彼に触れずに話を続ける。

「この度は祝着至極に存ずる。油川から参ったのが遅れたのは申し訳ないが、これからは外ヶ浜そとがはまを気にする必要はなくなった。これより外ヶ浜の領有を高々と宣言しようと思っておる。」

「……と申しますと、すべてを統一を成されたのですか。」

「いや、未だ南部方の諸将はおる。しかし蓬田よもぎだ城の相馬が当主の首を差し出して参った。弟が兄を討ったというが……首が偽物だということは判っておる。それよりも我らにひれ伏したという事実が重要なのだ。」

 これにより油川奪還の目途がなくなり、横内よこうち平内ひらないの南部方も静かとなった。大浦軍が油川より千徳氏の救援に来ることができたのは、これがためである。そして浅瀬石城から南部軍が引き上げたことにより、しばらくは南部方は津軽に手出しはできまい……。

 であれば、次の標的は田舎館いなかだて千徳氏。浅瀬石千徳氏の分家にあたる。当主である千徳政武は南部方に付いたままだ。津軽の中で孤立してしまった彼を南部方が援けることできない以上……またとない機会が巡ってきた。加えて原子はらこ菊池氏や飯詰いんづめ朝日氏などの旧北畠残党も討ち果たすべく、動き出す。

 これよりは次編へ譲る。

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