【小説 津軽藩起始 浪岡編】第七章 津軽為信、浪岡へ入る 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月三日夕

誘い 1-1 幕開け  梅は咲く。池の水面にその姿は冴え、淡い色は薄いながらも華やかにも見える。仙せん桃とう院いんは...

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卑怯

7-1 下準備

十日ほど前に長老の北畠顕範が暗殺され、浪岡御所は混乱。津軽為信はこれを好機とみて、兵らを密かに浪岡へ潜伏させた。それも少しずつ何人か、時やルートもわける。顕範の葬儀もあったので街道筋の出入りは激しく、いつもとは見慣れぬ者が通ってもそんなに不審ではなかった。

ちなみに大浦城から浪岡へ直接向かうには板柳を経由するルートがあった。(現在その道筋をたどることはできず。津軽統一以降、浪岡を中心とするルートのいくつかは意図的に消された。途中半端に形跡を残すのは県道34号線と35号線。)板柳を抜けた先に滝井館というかつて顕範が対為信のために築いた砦があった。このような事態になると守将がいないので監視の目もすでになく、すんなりと通り過ぎることができただろう。


加えて浪岡周辺でも多くの兵らを潜ませるだけの受け皿の準備もできていた。それは浪岡北畠氏家臣の中でも為信に付くべきと主張してきた家臣ら。その多くは浪岡に出仕するのを止め様子を窺っていたが、浪岡の町中には彼らの出仕用の屋敷が数多く存在した。加えて浪岡在地の不埒者、商家長谷川を拠点として他国者や鯵ヶ沢西浜衆の築いたネットワーク。浪岡が一年以上も揺れていた陰で為信の闇の手が伸び、今まさに成果を上げんとする。


果ては御所号北畠顕村に対する調略。賭け事にのめりこませ、いつ何時でも使える手段とすること……。ただし他国者など浮浪人のリーダーのヤマノシタという男。あくまで彼は複数いるリーダー格の一人であったが、ちょうど長谷川の若旦那が浪岡に進出するということで付いてきただけに過ぎない。なので為信の策に協力するといっても、成り行き任せな面があった。御所の蔵にある宝物を褒美にと言われたが、顕村が賭け場に通い続ける限りはイカサマで好きなように奪い取れるし、なにも御所へ押し入ってまでせしめる必要性を感じていなかった。

7-2 歯止め

転機となったのは、亡き北畠顕範が商家長谷川を摘発したことだった。我らと為信がつながっていると分かったうえで叩いたのか、偶然にも叩いた拠点が為信の悪巧みの中心だっただけなのか、今になってはわからない。

とにかくその出来事によって商家長谷川の面々や賭け場の仲間らが捕まり、さらには逃げようとして殺された者もいた。……野郎どもは初めこそ逃げうせることで精いっぱいだったが、落ち着いてくると次第に顕範への憎しみがわいた。仲間らは無事であろうか、なんとしても取り返さなくてはならない。

……現実的に見て助け出すのは不可能だ。顕範という意志の強い存在がいる以上は方針が変わるはずはないし、御所内の牢屋は大変な警戒なので忍び込むのも難しい。かといってこのまま捨て置けない。


その日の夜、生き残った者らは密かに唐牛屋敷へ集まったが、考えても良い手だてが見つからないわけで、いつしか顕範ひいては浪岡御所への憤りばかり叫んでいた。まだ理性の保てた者は大声をだすなと周りを宥なだめるが、これで怒りが止まる野郎どもではない。
浪岡の不埒者らも加わり、そのなかで蒔苗と自称する賄い夫。彼の無謀なる決断により、偶然にも憎き顕範の住まう源常館の使用人であるので、隙を見て殺してやると宣言した。皆々大層驚き、そして大いに囃した。


……もちろん顕範を殺したところで、牢の仲間たちが戻ってくるわけではない。だが何か一泡吹かせてやりたいとの心のみ。

そうして蒔苗は顕範を殺め、逃げることにも成功した。野郎どもは彼を称賛し、今度は我らもと威勢をあげる。……思い出してみれば御所の北畠顕村は賭け事に滅法めっぽう嵌はまっており、我らの操るがままだ。長老顕範のいない今、彼を止める者はいない。

7-3 無駄

野郎どものリーダー格の一人であるヤマノシタ。実は為信に協力するようにと策を託されていた。御所の北畠顕村を賭け事に溺れさせたのはその内うちであり、一方でその先の策にこれまで応じずにいた。


“顕村をこちら側で捕え、身柄を盾に御所へ押し入る”

密かに為信の兵も我らと同じように紛れ込ませ、徹底的に御所の中を荒らす。そこまでしてくれれば、褒美として御所の蔵より宝物を好きなように奪ってもよい……。その先の策も聞かされてはいたが、ヤマノシタにとって興味はなかった。それに当時は長老の顕範や南部代官の滝本重行もいたので、顕村を自由にできても滝本などは顕村含め容赦なく叩きのめしてきそうな風であった。危険を冒してまでする必要を感じない。


ところがどうだ。今の状況を見ると、好機といわんばかりである。それに生き残った野郎どもは浪岡御所に対し相当恨みを募らしている。どこかで抜いてやらねば、どのような動きをしでかすかわからない……。

それに策に応じて御所へ押し入れば、牢で捕われている商家長谷川の面々や他国者不埒者の仲間らを助け出すこともできる。

……ヤマノシタは、何やら面白くなった。もしやここまで考えられていたのか。こうなることを見越して、策は作られたのか。為信の策とは申せ、実際はヤマノシタと同じ他国者の面松斎の企みであろう。……いやいや、本当のことまではわからぬが。


策に応じるため、ヤマノシタは吉町へ顕村を連れてくるように命じた。もちろん吉町は顕村を呼ぼうとしたが、それよりも先に顕村は自らの意志で吉町を誘い、共に賭け場へと向かった。しかも同日昼下がりに自らの権力を使って商家長谷川や野郎どもを助け出した上である。このこと自体はヤマノシタたちにとって喜ばしいことであったが、すでに助けるまで一日早いか遅いかにしか過ぎない。

顕村の善意は、ことごとく無駄である。

7-4 進む

他国者ほど卑怯な人種はいない。訳あって違う土地に流れ着いたのであろうが、それだけ及びもつかぬ苦労をしている。騙し騙されているうちに否応なく知恵がつく。生き残るためにはなんだってしてきた。面松斎こと沼田祐光はそれを極めた人物ともいえる。津軽為信の家来となって忠義を尽くす傍かたわら、己を含む他国者の勢力拡大を目指す。

以前より為信は掲げていた。

“防風と治水がなれば田畑は増え、すべての者は豊かになる。そうすれば在地の者と他国者に差はなくなり、争いや苦しみもなく平和に暮らせる……”


治水のためには岩木川水系の一元管理が必要。川沿いに位置する諸勢力が一つの意志を持って動く必要があり、そのための“津軽統一”である。

沼田はこの為信の意に賛同した。だからこそ為信の誘いを断った浪岡は悪であり、容赦なく取り潰す対象であった。経緯こそあれ、沼田の策に情けはない。

浪岡は滅びる。下った者は許すが、従わぬ者らは死を、逃げた者は路頭に迷えばよい。かつての私と同じように……沼田はこのように考えたのかもしれない。


彼の策通り、事は進む。搦手門(西門)より入ったヤマノシタら野郎どもと、同じような恰好に扮した為信の兵三百。北畠顕村の身柄を盾に堂々と城門を押し通る。まず検校館を固め、無血のうちに占拠。中の者らは恐れおののき、武具の備えもロクにないので震えることしかできない。ひとまずそこへは三十人ほど残し、他の者らは堀に架かる木橋を渡り、続いて西丸(西館)そして本丸(内館)を目指した。

7-5 押し入り

ヤマノシタは大声で叫ぶ。


「黙って従えば、命はとらぬ。」


本丸(内館)を守るは御所警護の長である補佐武時を含む将兵五十名ほど。普段より人が少ないのは当然のことで、招集もかけていないので兵らの多くは事態に気づかないままそれぞれの町屋にいる。加えて両管領の一人である水谷利実など浪岡北畠の主要な者らが油川へ出かけている最悪の状況。それでも補佐らは鎧を身に着けていないものの、常に刀は持っている屈強な者らなので戦おうと思えば戦えた。しかし御所へ押し入った野郎どもは御所号である北畠顕村を盾にしている。刃向えばすぐにでも御所号は殺されるかもしれない。

補佐は歯を強く横に動かしつつ何もできぬことにいら立つのだが、ここは黙って従うほかない。……身なりを見れば不埒者の集まりであるし、蔵の宝物を与えれば満足して退散するのではないか……。そのように事態を甘く考えた。実際に押し入った何人かはすでに奪ったかと思われる宝剣や白銀の珠などを手に掴んでいたので、推測自体は見当違いではない。確かに先頭を進んだ野郎どもの目的の一つは宝物にありつくことであったし、押し入ったこと自体が御所に一泡吹かせることともなる。

野郎どもの中には牢でみたことある顔もいたので、しばらく前に捕まえた商家長谷川や不埒者らの仲間であるのは確実だ。……補佐は悩ましい。彼らに好き勝手に荒らされたままでは納得いかぬし、浪岡御所の権威は地に落ちたと同然。かといって御所号はあちらの手中にあるし、野郎どもを斬り殺すのも躊躇われる。

補佐と将兵らは困り果ててしまう。ひとまず賊が押し入ったことを伝えるため、大手門(東門)から近くの源常館へ向けて人を送った。もちろんこれは親族の北畠顕忠へ助けを求めるためである。

見捨つる

7-6 諦め

野郎どもと為信の兵らが押し入ったのは朝方の卯の刻で午前六時ぐらい。それから本丸(内舘)へ進んだのは一時間後ほど。さらに三十分ほどたち源常館の北畠顕忠へ事態が伝わる。


顕忠は仰天した。まさか賊徒が御所に押し入るなど……聞いたことがない。これは何かの間違いかとも思ったが……話を聞く限り本当だ。後から伝えられてくる筋も同じである。

なぜ討ち果たさぬかと問うと、伝令はこう答えた。
「賊徒は御所号を盾に押し入っております。刃向えば死をもたらすと。」


最初に驚きが来る、次に補佐らの行動への理解、……そして最後には御所号への呆れ。

あれほど私の父が御所号を教え導いたのに、治る見込みはなし。どうしろというのか。おそらく仲の良い賭け場の野郎どもに呼び出されて捕まったのが落ちだろう。……自分の御身をなんだと考えておる。様々なものが噴き出てくる。もちろん我らは浪岡北畠の忠臣。助けに行かねばなるまい。


だが……悪い考えがよぎる。

“今……事を治めたとしても、また繰り返すのではないか。元をただせば、私の父が亡くなったのは御所号のせいではないか……”

いや、だめだだめだ。そのように思っては。しかし……存外に名案では。焦り、事に追い立てられると、普段とは異にすることを思いついてしまう。今それが顕忠に来た。彼はこれまで父の顕範が悩み苦しんだ姿を近くで見ている。苦労する様を見て、やるせなさを十分に感じた。それでも浪岡を思うがこそ、御所号に尽くそうがこそだ。それを無碍にする……。


……御所号さえいなければ、今の浪岡よりは確実にいいものになっていたはずだ。


それに幼少ではあるが御子はおろうし、北畠の血であれば私もしかり、隠されてはいるが水谷殿の養子もしかり。この際、すっきりさせようではないか。

7-7 運のなさ

御所の本丸(内舘)にいる補佐と、後から伝えられた顕忠。いまだ本当の事態に気付いていない。相手が“賊徒”とばかり思うがあまり、それにすべてを把握する前であるのでせいぜい多くても二十人三十人ほどではないかと考えていた。まさか賊徒が百も二百もといるはずはなかろうし、少ないながら気付いている者もいたが、この混乱であるので上に伝わることはなかった。

残った者らでも本気を出せば、倍以上ある我らなら平らげることができるだろう。

北畠顕忠は源常館を守る兵ら三十名を連れ、西に見える浪岡御所へと急いだ。辰の刻(午前八時)を過ぎたあたりである。……これとは別に七日町などに住まう武士らにも召集をかけていた。だが残念なことに彼らの集まるのを待たなかった。少し待てば二百ぐらいにはなっていただろうに。なぜなら手元に控える兵三十と、本丸(内館)で補佐が率いる兵五十。足して八十となれば、確実に賊徒の倍以上はいると考えた。七日町などに召集をかけたのは賊徒征伐というよりかは、町屋の治安維持が目的だった。

……勢い余って、近くの源常館へも押しかけようと考えた野郎ども。顕忠の兵が御所へ向かっているのと鉢合った。御所から見て東側の川辺であったというが、ちょうど顕忠の兵らが橋を渡り終えたころだった。野郎どもは身を隠すこともなく堂々と兵らの前へ進んでいったという。殺されることはないだろうとの意識からこの行動がでたのだろうが、まさか敵方が殺す気満々だったなど思いもよらない。いとも無残に斬り殺されてしまった。野郎どもはまさかと思い、慌てふためき元来た方へ逃げた。

実は……誰かが斬り殺される瞬間を、不埒者に扮する為信の兵らは待っていた。それは合図となり、御所をさらなる混乱へと陥いれる。

7-8 決定事項

誰かが斬り殺されれば、それでよかった。


不埒者に扮する為信の兵ら三百。彼らを率いるのは為信家臣の小笠原信浄である。元は他国者であったので、ヤマノシタら他国者も混ざる野郎どもと息が合った。互いに知っている仲であるし、かつての万次党以来である。

普段は口を開かぬ性質であったが、兵を率いるのは随一である。当時の津軽家の二柱といえばこの小笠原と乳井建清である。後になって兼平綱則と森岡信元が上がってきて乳井が亡くなり、三家老と呼ばれることになるのは別の話。


小笠原は恐ろしくも太く低い声でどなった。


「御所の外で仲間が切り殺されたと聞いた。お前らは約束と違えたので、これより誅殺する。」


補佐武時ら御所の兵すべてにこの声が届いた。広い館ではあったが、小笠原の声はしっかりと鮮明に聞こえたことだろう。もしや御所号を殺すのではないかと誰もが思ったが……斬られるのは自分らの方だった。

突然豹変した者らに殺られる。もちろんあの滝本重行の訓練も積んだ御所の兵であるし、元からも屈強な者らが揃っている。戦おうとすれば戦えるはずだ。しかし戦ってしまうと、こんどは御所号である北畠顕村の命が危ぶまれる。その迷いの中、戦わなくてはならない。……この混乱であるので、源常館北畠顕忠の決断はいまだ御所の兵らに伝わっていない。


抵抗すれば御所号が斬られ、抵抗しなければ己が斬られる。

さらには予想外に多そうな“兵数”。そう、これは不埒者もしくは賊徒の集まりでない。気付いた時にはもう遅い。

7-9 遅し

御所の兵らは本来の力を発揮できない。出来ぬままに斬られていく。

刃を交えれば己が斬られないように敵と“同じくらい”の加減で抵抗するが、思わず力まないようにしなくてはならない。……急に敵が刃の向きを違えると、もちろん敵にも一瞬だけ隙ができるのだが、それを見なかったことにして敵のするであろう手合いをする。

……出来ない者は、無惨に斬られていく。


御所警護の長である補佐武時は、浪岡一の武者であるので、攻めたてる敵には抵抗するし、さらには殺してしまわぬように敵を気絶させたりした。……いつしか補佐の周りだけ誰も近寄らぬ。


……このように戦っているうちに、御所の外より上り込んできた武者が、その誰もいないところを通って補佐へ指示を伝えた。


“源常館殿は、賊徒を倒せとの仰せです。御所号は……この際、諦めると”


その指示を聞いて、何とも言えぬ想いに襲われた。御所号を守るのは我らの使命である。だがそれとは異にすることをお伝えなさる。源常館殿、お戯れを。……御所号、忍んでお祈り申し上げます。

もう、正しい判断などできぬ。何が良くて何が悪いのか。辺りは乱れ、御所の障子は破れ、畳などは置き立てられ鏃やじりを防ぐ手立てに使われている。


……果ては、何も考えぬ。目の前の敵を斬り殺す。補佐は大いに吠え、周りにいた為信の兵を後ずさりさせた。……奴がこちらの方へ向かってくる。殺されるぞ、逃げろ逃げろ。

ここで小笠原信浄、あちらに屈強な武者がいると聞き及び、補佐のいる軒先へと姿を現した。こうして補佐と小笠原、二人の達人は対峙したのだが……確かに補佐は強かった。彼は冷静さを失っていながらも二人でずっと争っていたし、小笠原の持つ槍をさばき、最後には彼の懐に入り込んだ。……次にまっすぐ体へ向けて刃を突き刺すのかと思ったが小笠原の機転も早く、横へ反れて槍の反対側で補佐の背を撃った。そのまま補佐は倒れこみ、背に足で上がられ、勢いをもって槍を突き刺され、……一向に動かなくなった。

7-10 仕掛け

御所を守る兵らはすべて絶えた。使用人などは一目散に外へと駆けだしたが、すでに大手門(東門)と搦手門(西門)は封鎖されており、残すは北の口(北門)といった小さな通用口ぐらいしかない。ただしそこにも為信の兵らが待ち受け、次々と殺していく。ただし雪崩を打って人の波が押し寄せるので、すべてを殺し得るわけではない。幾人かは御所の外へ抜け出ることができたらしい。生き残った彼らは急いで御所の東側にある源常館へと伝えに向かうのである。

そして三十人ほど引きつれて御所へ向かっていた源常館の北畠顕忠。大手門を突破し東丸(東館)で敵と戦っていたはいいが、予想外に賊の数が多く、そして勢いがあるのを知った。明らかに賊の動きではなく、大将がいる元での集団的行動……そして御所で一番強い者を敵が倒したと叫んでいるのを耳にし、圧倒的な不利を悟った。……味方の兵らも斬られていくし、このままでは自らの命も危うい。敵は何百人いるかわからぬ。……ここは逃げて、形勢を立て直すしかない。しかし辺りは混乱を極め、巳の刻(午前十時)にもなるとさすがに民百姓らへも伝わっており、道中は人であふれていた。源常館は落ちたとの誤報が流され、顕忠らは自分の屋敷に戻ることも叶わなかった。

ここで遅れて源常館に集まっていた兵ら、二百人ほど。大将である顕忠も戻らず、これからどうするか。内一人が突然立ち上がり、このようにう。


“賊を平らげるためには、津軽為信に助けを求めるのがよろし”


まさか……大勢の者が反対した。だが意見をまとめる余裕はなく、しかも決まるのを待たずにその者は使いを大浦城へ向けて送ってしまったので、もうどうしようもならぬ。……南部氏に助けを求めようとする者らは北の大釈迦や東の王余魚沢と高田をめざし、為信へ参じる者は浪岡に残った。

……津軽為信の用意は素晴らしいもので、兵を三つに分けてすでに出発していた。途中にはいくつかの砦があったが、もちろん疑い深しということで水木館などは兵の進むのを喰いとめた。ただし為信本隊である七百の兵はというと……板柳経由で浪岡を目指したのだが、途中に亡き北畠顕範が築いた滝井館がある。残念なことに……彼らはロクに抵抗せず、さらには浪岡を助けるといって自分らの軍も為信兵に混ざった。この顛末は不甲斐ないこと甚だし。

こうして一戦もせずに為信本隊は浪岡に入った。名分を持った、正義の軍として。


賊とされたものは、その前に霧散した。

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