【小説 津軽藩起始 浪岡編】第六章 浪岡御所陥落 天正六年(1578)晩夏 旧暦七月三日朝

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線香を挿すか置くか

6-1 敵ばかり

長老の北畠顕範は死んだ。それも誰も叫びを聞かなかったせいで、息が完全に絶えてしまった後に気づく。

犯人は恐らく源常館の使用人である。事件の後、その人物のみ消え去っている。賄いを調理するのがたいそううまく、いつしか屋敷の者らすべての腹を担になっていた。だが彼と深く親しむものはおらず、何が好きなのか、家族はどうであるとか、まったくわからなかった。……もとより下人にそこまで興味を持つ者などいないのだが。

では、誰の指図で顕範は殺されたのか。ここ数日の間、顕範は賭け場を摘発し、そのことによって乱れていた御所の顕村を正そうとした。だがいざ賭け場を暴いてみたところ、隠れていた野郎ども、不埒者。為信に付くべきと主張してきた者らの屋敷へ逃げてゆく。

ならば摘発を指揮した顕範が狙われたのか。もちろん顕範を殺したところで、他の者が判断しなければ捕まった者らが解放されるわけではない。だが逃げる過程で殺された者もおり、仇を討つという意味で十分ありえた。


だが一方で、顕範を恨む人物は彼らだけではない。南部方からも顕範は嫌われており、浪岡の独立独歩を唱える彼は邪魔な存在でしかなかった。つい最近追い出された南部代官の滝本重行など大いにありえる。さらには独立独歩を危ぶむ浪岡北畠の家中という可能性もある。

つまるところ、誰が事を起こしたのかわからない。

誰もが疑心暗鬼に陥り、お前は味方かあいつは敵か、皆目見当がつかず。

6-2 宗門選択

浪岡北畠氏はかつて真言宗だったという。だが北畠具永の代に当時の大浦家の曹洞宗長勝寺より僧を迎え、鬼門七日町の北端に京徳寺を置き、北畠代々の菩提を弔ったと。

ただし津軽藩方の作った資料であるので、津軽史観が色濃く入ってしまっている。京徳寺は曹洞宗であるし、禅宗系は津軽において鯵ヶ沢や深浦などの西浜地区より入ってきた。加えて鎌倉時代に北条得宗領であったのもあり、鎌倉仏教の文化が藤崎を中心として、大浦、ひいては津軽家にも受け継がれたという背景がある。

一方で浪岡近隣の拠点を見てみると、実は浄土宗もしくは浄土真宗系だったのではないかとも思えてくる。南部拠点の油川には寺が当時三つもあり、奥瀬氏菩提寺で浄土宗の浄満寺、浄土真宗の法源寺と円明寺(=明行寺)が建っていた。そう考えると港町でもある油川より隣の浪岡へ伝播したのではなかろうか。なお家臣団の今に伝わる旧拠においても、例えば朝日氏の飯詰城跡地は浄土宗の大泉寺であるし、菊池氏(原子氏ともいうが)の原子城跡地も長喜庵という浄土宗の拠点となった。これらを考えても、浄土宗系というべきか、別名でいうと門徒宗ということになる。

また西光寺という浄土宗の寺が古く浪岡の四日町にあったという話もある。


宗派も違えば、葬式の仕様も異なってくる。置かれている浪岡北畠の現状を考えれば、一大事ともいえた。つまり南部にひれ伏すならば浄土宗系、もちろん南部家中ではあくまで奥瀬氏など外ヶ浜周辺の者らだけであったが、充分に“これまで通り南部に従う”という意味になりえた。そして禅宗を選ぶならば為信に与するということになるし、浪岡北畠の本来の宗派である真言宗を選ぶならば、“独立独歩”を示すこととなる。


そのようなところまで気にする者はいないと思われようが、北畠顕範の死によって、浪岡の些細な動きまで注目される。線香の置き方まで気を払わなくてはならない。

焦点は、顕範の息子の顕忠だ。

6-3 異なる道

わざと誰も立ち上がらぬ。僧侶の唱える経だけが、御所の仏間にこだまする。当主の北畠顕村は誰も動こうとしないのに堪られなくなって、自ら目前にある仏壇へ向かおうとした。だが管領の水谷に静止される。“御所号が立ってしまっては、誰もが判わからなくなってしまいます”と。もちろん顕村にはわからない。そのような裏の示し合わせなど及びもつかぬ。


一方で顕忠は十二分に理解していた。父の顕範は浪岡の独立独歩を主是として、強い意志を持ってかつ表裏を使い分けながら挑んできた。その道を息子も辿ろうとするのか。


ひとつ、ため息をした。その場にいる浪岡北畠の家臣らすべてに聞こえただろう。決して大きく息を吐いたわけではないが、それだけ彼を注視していたからだ。各々その意図を考えるのだが、顕忠にとってはどれだけ悩んだところで、結論など変わらぬだろうにという意味合いでしかない。


進みゆく姿を、誰もが見逃すまいとまじまじと。その先にあるのは仏壇。次には奥の仏より、手前にある砂の詰まる香炉へ視線が移る。

顕忠は、線香一本に火をつけた。そして左手で一瞬だけ輝いた炎を消し去ると、そのまま香炉へ右手を向ける。


線香を置いた。


香炉に線香は横向きに置かれた。
……父が亡き今、独立独歩は夢物語でしかない。


油川の民がするように、同じく顕忠もそうした。つまり、これまで通り南部氏に守られる道を選んだ。顕忠が戻るなり管領の水谷、次いで御所の顕村も同じく横向きに置く。後に続く誰もが横向きに置いた。もちろん最初の者が横向きに置いたのだから、それに逆らってまで線香を突き挿す者はいないだろうが、この葬儀においては別の意味を持つ。

6-4 事起こる前

旧暦七月一日(現代の暦で八月中旬)。両管領のうち一人の水谷利実、亡き長老の息子の北畠顕忠。彼ら二人は御所内で話し合いを持った。まだ日の盛りになる前の頃合いで、風も少し吹いていたので涼しい感じがしたことだろう。

……結論はすでに決まっており、あとはその進め方だけだった。ひとまずは水谷が浪岡北畠の主要な者を連れて油川を訪問。そのうえで奥瀬氏ら外ヶ浜の兵の動員を頼み、浪岡での駐留および潜んでいる為信方の協力者の一掃を願う。


即すなわち浪岡の民が心底嫌っている滝本重行の再登場を意味する。だが好き勝手いえる状況ではない。今ほど敵方に付け入れられそうな機会はなく、戸惑いを隠せない家中を安定させるためにはこれしかない。


顕忠は水谷に言った。


「念のため私は浪岡に残る。」

「源常館殿、そうしてくださるとありがたい。」

二人は至極、笑顔である。やっとのことで浪岡は落ち着くのか、それは少し経ってみないとわからない。だがせめて二人は同じ先を向いている。その事実は、少しばかりではあったが、家中に安心感をもたらしていたようだ。

「私の名代として息子の顕氏を連れていってくれ。油川の様子を見せることは、いい勉強になろう。」

「ええ、もちろんです。」


まさかこの時、一生の別れになることなど思いもよらぬ。水谷も、顕忠も。

6-5 悪手

旧暦七月二日、朝。水谷と顕忠が話し合いを持った翌日。水谷は浪岡北畠の主要な者を連れて油川へと発った。奥瀬氏など外ヶ浜衆の動員を願うためである。

少し空を見上げると、黒くて厚い雲が西側より漂ってくる。……これは一雨降るかもしれぬ。そうであったので水谷の一行は少し足早に羽州街道を北へ急いだ。


小一時間すると、浪岡の空はどす黒い雲で覆われた。いざ雨が降るかと町の者らは家へ帰るが、降りそうで降ってこない。誰もが首をかしげる。そして辺りは昼間であるのにまるで夜のような暗さだった。たまに日差しが差すこともあるのだが、すぐに遮られてしまう。


……御所の北畠顕村。彼だけは天気よりも時間ばかり気にしていた。太陽の傾きが全く分からないのは残念だが、はやる気持ちを抑えつつ時が経つのを待っていた。

……そのうち未の刻(午後二時ぐらい)になっただろうか。チャンスとばかりに近習らを連れて御所内にある地下牢へ向かう。何事かと戸惑う家臣らは顕村に問うと、彼はこう答えた。


「御一新だ。浪岡に住まう民に悪き者はおらぬ。」

商家長谷川の者らや捕まった野郎どもを解き放つという。……そう、水谷ら主要な者がいなくなったタイミングを狙っていたのだ。これだけ離れてしまえば、すぐには戻ってこれぬ。もちろんほかの者らはなんとか静止しようとしたが、顕村は自らの立場を傘に来て、逆らえば処罰するぞと言わんばかりに、無理やり強行してしまった。


ある者は急いで近くの源常館に住まう顕忠の元へ走ったが、顕忠が駆け付けた時にはすでに遅い。

終末

6-6 靄

北畠顕村は商家長谷川の者らや賭け場仲間を助けた。それも己だけの一存で。確かに顕村は浪岡の御所号という立場であるし、つまりは一番偉い人物である。だがその考え甘く、学は人以上に積んであるのだろうが、何も知らぬ温室育ちでしかない。

当人にとっては仲間を助けたことは善きことであって、民の出自はどこか身分はどうであるかで差別しない私はたいそう素晴らしいと考えている。純粋にそう思っている。だからこそ亡き顕範が彼らを摘発したことは、賭け場を潰すというより、一種の“差別”によるものかとも考えた。下賤の者らを排除する意味で。そして賭け事自体は悪いことではなく、下々の者と寄り添う非常に良いツール、さらには一緒に混ざって遊ぶ私自身は、下々の者を積極的に理解しようとする素晴らしい人物だということにいつしか変わっていた。

ただしそれらの意識や考えに則るならば、常に上下という分け方が存在する。その事実に顕村は気付かない。上が下に対し尽くそうという姿勢。その裏には自分は上の人間であり、他人は下という絶対条件があった。だか残念なことに自分が賭け事に嵌っているという事実、上の者ならば本来は教え導く立場であり己の身を律するべきであるのに、このような頽落。

学だけはあるので、顕村にはこのようなことを考えることのできる能力があった。さらにはその力で、今の状態を正当化することもできた。飛躍した論理を美辞麗句で並び立て、今いっそう賭け事へのめりこむのである。下の穢れた遊びに興じている上に立つ者。あくまで下の者の暮らしを学んでいるだけ。

そしてさきほど賭け場仲間を助けた。結果として牢を開ける際に正体がバレたろうが、それでも行く。余計なものを省いて理由を言うならば、“賭け事をしたいから賭け場にいく”のである。

……今夜は久しぶりに開かれるだろう。吉町を自ら誘い、商家長谷川の裏手へ向かう。

6-7 喰われる羊

この際に至っては、粗雑な麻の着物は無意味である。正体がつい先ほど知れたのだから。牢より出した時は当然驚いたことと思う。“あの大盗賊の霊山王が、実は御所号であった”と。


顕村は内心面白くなり、向かう暗い道中でニヤつきながら歩いた。


“このような場所にお忍びでいらっしゃっていたのですね”


“この度は助けていただき、誠にありがとうございます”


横を歩く吉町。自分の感情が変に渦まき、どのような向きで出ていくかまったくわからない。哀しいのか、苦しいのか。せめて楽しくはない。喜びもない。……ならば、負の向きであろう、負い目の心が一番濃いのか。


今決断をすれば……戻ることもできる。代わりに自分だけが獣の餌食になり、骨になり果てる。

きっと吉町は心を隠しきれず、表情にもでていたはずだ。だが顕村は浮かれていて、いちいち吉町の顔などに気づかない。気を止めない。

野郎どもは、笑顔で待ち構えていた。顕村はいつもと同じように、四角く囲まれた小さめの木口より体を曲げて入る。その先の土間で勢揃いして男どもが待っていた。並んで立っているのは異様ではあったが、なにか行儀よくも思えた。それもそうだろう、顕村の正体がわかり、逃げうせていた者捕まっていた者どちらも感謝の心を向けてくるだろうから、当然の姿勢である。


……吉町は黙って顕村の隣より離れた。代わりにヤマノシタ、賭け場の襖をあけて姿を表した。奥には珍しくも長谷川三郎兵衛。普段は表の人間であるし、こちらに顔をだすことはなかった。……でもこの度の事だ。特別に礼をつくすのだろう。

6-8 狼ども

野郎どもは一斉に顕村へ群がり、体の至る所を痛めつけた。腹に拳を入れると、硬い筋肉がそこにあるわけではないので、そのまま内蔵にもあたる。骨だけは硬いので胸などを殴られてもその奥の物は守られるだろうが、やはり何度ともなると限界がきて殴られた痛みとは違う、形容しがたい嘔吐きを覚える。

顕村は叫んだ。なぜこのような仕打ちを受けねばならぬ。早く吉町よ、助けよ。なぜそこで立っているだけなのか。痛い、苦痛だ。すべてが嫌だ。この際は誰でもよい、どなたか助けてくれ。

ある野郎は顕村がうるさく叫ぶのをやめさせようと、口に向かって拳を向けた。すると畳の上のヤマノシタ、怒鳴り声をあげる。


「顔だけはやめろ。」

野郎どもすべて、ヤマノシタの声で動きを止めた。いままでうるさかったのが一気に静まり返り、まるで遠くのフクロウが聴こえるかのようだ。


顕村は体を動かせない。激しいしびれや痛み、加えてあとから湧いてきた惨みじめさもある。だがそれでも口だけは動かせる。精一杯の声でヤマノシタへ問う。


「なぜ、顔はだめなのか。」

ヤマノシタからしたら、なぜその問いになるかわからない。本当は“なぜこのような目にあっているのか”という問いを期待していた。まあでも答えてやらんことはないと思い、やさしくも言葉を返した。


「御所へ押し入るとき、お前の顔がわからんでは通してくれぬだろうに。」

6-9 夜明け待ち

顕村は愕然とする。最初から知れていたのだ。初めて賭け場に入った時から、いやその前からの企み。自分は手のひらで踊らされ、とてつもなく滑稽である。

絶望に打ちひしがれ、今すぐにでも死にたい。そう思っていると、まさか心を読み取られたのだろうか、野郎どもの一人が耳元でささやいた。

“そんなに焦らぬでも、明日には死なせてやるぞ”

嗚呼、死なせてくれるか……だがここで枯れる顕村でもない。縄で絞められているといっても、身を動かせば緩むのではないか。それを大勢の野郎どもがみている中でやる。その様を笑いながら野郎どもは眺める。たまに蹴りを喰らわせながら、談笑しつつ日が明けるのをまつ。……明日。なぜ明日なのか。問いに誰も耳を貸さない。

「なあ、御所を守る補佐ほかいう苗字の奴は強いらしいぞ。」


「ほう、そうか。でも大丈夫だ。こちらには小笠原がいる。名勝負が観られるぞ。」


「ははっ……、お前らも能天気だな。そんなんだと御所の兵に殺されんぞ。」


「いやいや。こちらに人質がいる以上、俺らが殺されることはない。」


「そうだな。俺らと共に為信の兵が御所へ押し入る。途中から好きに蔵を暴いてもいい。嬉しいことずくめだ。」

虚しいことに、野郎どもの話し声の中へ顕村の叫びはかき消されてしまう。

ただし唯一、非情な運命が待ち受けることだけはわかった。

6-10

 天正六年、旧暦七月三日。

 昨日の厚くて黒い雲は抜けて北東へ去った。風は反対の南西より吹き、なにか心地よくも感じさせた。夏の終わりであるので、皆々暑さに疲れ切っている。やっとのことで涼むことができるようだと、門番などは気を緩めて柱に背を倒してくつろいでいた。

 ……ぼんやりして林の方を眺めていると、……なにやら物騒な集団がこちらへ近づいてくる。身なりは粗雑で、汚らしい限りである。大勢で来るので匂いもそれ相応に漂ってくる。

 朝から何事かと思い、門番は目につくヤニを指で取り除き、手前で止まった野郎どもへ問いかける。すると野郎の一人が、縄で絞められている麻衣の男を先頭へだした。

 門番は当然、そいつは誰かと問う。すると野郎はどすを利かせた声をだした。

「お前ら、主君の顔も知らぬのか。」

 そのように言うので、門番らはまじまじとその捕らえられている男の面を覗いた。……すると衣装こそ汚らわしい召し物であるが、御所号の北畠顕村その人だった。門番らは急に身構え、槍を手に持ち“通させてなるものか”と野郎どもを睨んだ。だが御所号があちらにいる以上、何もできやしない。槍を持ったその格好のまま道の端へ引き下がり、黙って彼らが通り抜けるのを見逃すしかない。

 いったい彼らは何人いるのだろうか。正面にいたのは不埒者らと思われるが、……汚らしい衣装こそ同じこそすれ、体つきがいやにしっかりしていて、しかも身ぎれいなら者が後ろからぞろぞろと入ってくる。彼らの方の数が多いかもしれない。武器も槍や刀などしっかりしたものだ。百、二百、三百……。

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Author: かんから
本業は病院勤務の #臨床検査技師 。大学時代の研究室は #公衆衛生学 所属。傍らでサイトを趣味で運営、 #アオモリジョイン 。

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