【再編集版】小説 TIME〈〈 -第一章- 小さな町の大きな一日 作、吉村 仁志。

Time<<
吉村 仁志よしむら さとし

**第一章**

あの朝は、別にさみしくもなかったし、つらくもなかった。ただの、ずーっと晴れてる朝だったんだ。僕は家のドアを、これでもかってくらいバンッて開けて、右のほうに向かって、とにかく走った。まわりは草とか花とかいっぱいで、たまにマムシが出るってお母さんが言ってた、そんな田舎。2分くらい走ると、でっかい農園があった。囲いも柵も全然なくて、もし誰かが野菜を盗んでも、たぶん誰も文句言わないんじゃないかなってくらい自由な場所。

畑の中には、50歳ちょっと過ぎくらいの、なんかカッコいいおじちゃんが一人でいた。ダンディおじちゃんって、僕は勝手に呼んでる。おじちゃんは、鍬をグイッと持ち上げて、地面にガシャン!って突き刺して、畝を作ってた。おじちゃんがいない日もあるけど、その日は汗をいっぱいかきながら、黙々と働いてた。目をギュッとつぶって、顔じゅうでニコーッて笑うおじちゃんに、「おはよう!行ってきまーす!」って大きな声で挨拶して、また走り出す。僕の一日は、いつもそんなふうに始まるんだ。

ダンディおじちゃんは、春も夏も秋も冬も、ずーっと畑で何か作ってる。何を育ててるのかは、実はよく分からないけど、トマトとかトウモロコシとかナスとか、遠くからでも見える。たまに「おーい」って呼ばれて、野菜をもらえる日もあるんだ。ラッキー!

それから、農園の中で一番目立つのが、あの大きな木。端っこのほうにあるけど、すごくでっかくて、すぐ分かる。僕の身長が148センチなんだけど、その木は僕が6人、縦に並んでも届かないくらい高い。ちょっと観察してみると、幹がめちゃくちゃ太くて、がっしりしてる。体じゃないから、“木型”って言ったほうがいいのかな。上のほうを見ると、実がポツポツついてる。たまに落ちてるみたいだけど、道路のほうに転がっていくと、ダンプカーとかトラックがビュンビュン通ってて、めっちゃ危ない。近くで工事してるから、田舎道なのに、ぜんぜん近寄れないんだ。

だから、思い切ってダンディおじちゃんに大声で「この木って何の木?」って聞いてみた。おじちゃんは僕に気づいて、鍬を止めて、「お~う、行ってらっしゃい~」って返事してくれたけど、たぶんちゃんと聞こえてなかったっぽい。あとで自分で調べようかなって思ったけど、ちょうど前のほうに友達を見つけて、「おはよう!」って追いかけながら挨拶した。友達とくだらない話をしてたら、もう木の実のことなんて、すっかり忘れちゃってた。

“みずののうえん”から後藤商店まで、何もせずに普通に歩けば、だいたい8分くらいで着くんだ。でも、その日はなんだか違った。歩いていると、急に僕のお腹がグギュルルル…って、変な音を立て始めた。やばい、これはピンチだ。僕はもともとお腹がすごく緩いんだ。後藤商店にはトイレがあるけど、絶対に間に合いそうにない。家に帰るのも無理っぽい。

どうしよう…って思いながら、近くの家のトイレを借りようと、必死で周りの“家”を探した。少し歩いたら、2階建てのアパートみたいな建物が見えた。もう、考える余裕なんてなくて、とにかく走った。人がいそうな家も、いなさそうな家も、そんなの気にせず、1軒1軒、2秒おきくらいにチャイムを押しては歩き、押しては歩き…でも、1階の3軒は全部、誰も出てこなかった。お尻はもう爆発寸前。

2階にも部屋があるから、慎重に、でも急いで階段を登った。2階の3軒も、また無心でチャイムを押しては歩き、押しては歩いた。でも、やっぱり誰も出てこない。もうダメかも…って思ったそのとき、後ろから“ガチャ”って音がした。真ん中の部屋のドアが開いたんだ。

「あれ?ボク、なんか用?」

小綺麗なお姉さんが出てきた。僕はもう汗だくだくで、「トイレ貸してください!」って叫んだ。お姉さんはちょっと慌てて、「うん!あっ、ここのドアあけると、トイレだから…」って言ってくれた。僕は「ありがとう」ってだけ言って、トイレに直行。今思い返すと、どんなトイレだったか全然思い出せない。たぶん、何の特徴もない和式トイレだったと思う。でもその時は、ただただ助かった…って、それだけだった。

用を済ませて、「ありがとうございました。助かりました」って言ったら、お姉さんはニコッと笑って、「間に合ってよかったね。あっ、胸ポケットになんか入ってるでしょ?」って言うんだ。『なんで分かるの?マジシャン?』って聞き返したかったけど、ふと自分の胸を見たら、なんか膨らんでる。「あ…おかまみたいだね」って、思わず言っちゃった。お姉さんは、「以後、気を付けるように」って、優しい感じで注意してくれた。

「あっ、この寮の人みんなシャイだから、ボクみたいに胸膨らませてピンポン押されたら、出てくる人いないわよ。でも、あたしは爆笑だったけどね」って、お姉さんは笑いながら言った。全然バカにしてる感じじゃなくて、ほんとに優しかった。

「ボク、名前は?」「吉山です」「じゃあ、下の名前は?」「工…図画工作の工です」「そっか。じゃあコウちゃんって呼ぶね。またいつでもトイレ借りに来てね。あ、いつでもは言いすぎかな…」って言われて、僕は「うん」って答えた。お姉さんは「やばい、休憩時間終わっちゃうから早く行かないと。ほら靴履いて」って、笑顔のまま急かしてくれた。

僕は慌ててスニーカーをスリッパみたいに中途半端に履いて、玄関を飛び出した。そういえばお姉さん、県内ニュースで見る就活生みたいな服なのに、足元はスニーカーだった。お姉さんは僕の視線に気付いて、「この格好、不思議かな?」って、家の鍵を財布に入れながら聞いてきた。「うん、なんで立派な服なのにスニーカーなの?」って僕が聞いたら、「それはまた今度教えてあげるね!ほんとに急がないと間に合わないわ」って、腕時計を見ながら言った。

「じゃあ、またね」って言いながら、お姉さんは大きなカバンを自転車のカゴに入れて、ピンク色の自転車でビューンと行っちゃった。僕はその背中を見ながら手を振った。そういえば、お姉さんの名前、聞くの忘れちゃったな…と思いながら、今度は後藤商店に向かって、また走り出した。

アパートを出て、右に曲がると、ずーっと“みずののうえん”が続いてる。畑の横をてくてく歩いていくと、やがて道が丁字路になって、そこを左に曲がると、もう後藤商店が見えてきた。お店のテーブルの上には、今小学生の間でめちゃくちゃ流行ってるウエハースのシールの収集アルバムが置いてあって、丸井が仁王立ちで待ってた。

僕の顔を見た瞬間、丸井は一瞬だけ「笑っていいのかな?」って顔したけど、すぐに大声で笑い出した。「よっしー、おっぱいでっかくなったな!」だって。僕は、さっきのアパートでの出来事をすっかり忘れてて、顔が真っ赤になった。慌てて、手に持ってた実をギュッと握りしめる。

でも、丸井って、こういう時は意外とあっさりしてる。笑いはその場だけで、しつこくぶり返したりしないタイプ。たまに思い出し笑いはするけど、まあそれくらい。

僕は「そうだ、この実、なんの実かわかる?」って丸井に聞いてみた。丸井はその実を手のひらで転がしたり、じーっと舐めるように見たりして、「わかんない!」って勢いよく言った。で、「図書館行って、調べてみるべ」って。僕たちは急きょ、林に行く予定を変更して図書館に向かうことにした。林に行くには歩いて1時間以上かかるけど、後藤商店から図書館なら13分で着くんだ。

後藤商店では、今日もシール付きウエハースを買った。お店の前で開けて、包装紙をゴミ箱に捨てて、ウエハースを食べながら歩くのが、僕たちのささやかな楽しみ。ウエハースは30円で、たまに光るレアシールも入ってるから、すごくお得なんだ。

シールは、僕が持ってないやつは僕のもの、丸井も同じ。どっちも持ってるやつが出たら、どうしよう?って思ってたら、今日はまさにそれが起きた。丸井が「これどうしようか~?」って、ウエハースをかじりながら言う。僕もかじりながら、「その辺から歩いてくる、誰かにあげるべ!」って答えた。2人とも口の中がパサパサで、水がすごく飲みたくなった。

ちょうど前に公園が見えて、水道があったから、僕たちは一目散にそこまで走った。

図書館に着いたら、入り口の横にいつもの看板が出てた。“今日は7月17日です。小中学生は午後6時までに家へ帰りましょう”ってやつ。僕は毎日学校の行き帰りに図書館の前を通るから、もう見慣れた風景だ。でも今日は、朝にはなかったポスターが自動ドアのところに貼ってあるのに気づいた。【ミス小川原湖コンテスト】って大きく書いてあって、ピンク色の背景に黒い文字、そして女の人の絵がドーンと描いてある。うわ、なんか派手だなぁ……って思っただけ。

説明を読んでみたら、“三沢市では各店舗で電話応募用紙を配布している”って書いてある。そういえば一昨日、後藤商店でウエハースを買ったとき、変な用紙が入ってたっけ。店のおばあちゃんが「吉山君、丸井君も暇があったら見てちょうだい。私もよく分かんないけど、商工会から渡してくださいって言われたから……ノルマなのよ」って言ってた。でも“商工会”とか“ノルマ”とか、僕も丸井も全然分かんなくて、結局その用紙はゴミ箱行きだった。あれ、もしかしてこのコンテストの応募用紙だったのかも?今さらだけど、やっと意味が分かった気がした。

そんなことを考えてたら、いつの間にか丸井が隣にいなくなってた。自動ドアの前まで行ったら、遠くから丸井が手を振ってる。入口からまっすぐ行くと図鑑コーナーがあって、僕が近づくと、丸井はもう木の実を調べ終わってた。「これ、“木の実図鑑”に載ってた!“栃の実”っていうんだって!しかも食べられるらしいから、今度食ってみるべ!」って、めっちゃ大きな声で言うから、向こうで働いてる人に「静かに!」って怒られた。僕が代わりに「はい、ごめんなさい」って謝った。

それから小声で「この木の実って、あのでっかい木のやつ?」って聞いたら、「多分そうだべ。あの辺に木って、あれしかないもんな」って丸井が言う。分かった瞬間、なんだかスッキリした。丸井は説明が終わると、すぐに隣の漫画コーナーで漫画を読み始めてた。

僕は図書館って、普段は調べ物がある時しか来ないから、なんだか新鮮だった。何しようかな~ってウロウロしてたら、さっきの“ミス小川原湖”のチラシが山積みになってるのを見つけた。今度はじっくり読んでみる。表はさっきのポスターと同じで、裏を見ると電話投票の締切は8月31日まで。予選には10人出てて、今日は7月17日だから、ちょうど5人勝ち残る予選会をやってるみたい。さらにその5人から決勝戦があって、優勝は9月末ごろ、電話投票と審査員投票で決まるらしい。毎週金曜日の朝5時25分に、小川原湖の情報番組がテレビとラジオで流れるって書いてある。でもその時間、僕はだいたいトイレで目が覚めるけど、またすぐ寝ちゃうんだよな。

とりあえず、そのチラシを三つ折りにして、さらに真ん中を折って胸ポケットに入れて、僕は図書館を後にした。

丸井は、15巻もある漫画の13巻、しかももう終わりの方を読んでた。丸井って音読はめっちゃ遅いくせに、黙読になるとすごいスピードで読めるんだ。僕に気づくと、「あ、もうすぐ読み終わるから、ちょっと待ってて。」って、顔も上げずに小さい声で言った。さっき図書館の人に注意されたから、さすがに静かだった。僕は「ウン」って、ほとんど聞こえないくらい小さく返事して、コクリとうなずいた。

図書館には木の実図鑑だけじゃなくて、いろんな辞典や図鑑がいっぱいあるから、読むものには困らない。でも、また何があるかわかんないし、まずはトイレに行くことにした。用を済ませて、手を洗って、トイレのドアを押して出たら……目の前に丸井がいて、僕はびっくり!どうやら丸井もトイレをしたかったみたいで、僕がドアを開けたから「これ自動ドア?」って本気でびっくりしてた。僕は顔が赤くなって、笑いをこらえるのが大変だった。小学5年生って勉強は難しくなるけど、なんでも面白く感じるのは変わらないんだなぁ、ってちょっと思った。

洗面所の前で笑いをこらえて待ってたら、丸井が用を済ませて出てきて、「まだ時間あるべ?潤町の空き地に行くべ。」って言ってきた。「ウン、でも行く途中でパン買わない?」って僕が言うと、丸井は「いいねぇ~。今日の小遣いは残り150円で多いから、贅沢してりんごパン買おうっと。」って、手を洗いながら嬉しそうに言った。

「じゃあ行くべ!」って2人でトイレを出て走り出そうとしたけど、カウンターのところにさっき僕たちを注意した人が座ってるのが見えたから、実際に走ったのは最初の一歩だけ。あとは静かに、落ち着いてその人の前を通り過ぎた。

出口の近くの本棚の上に卓上カレンダーがあって、その周りに松ぼっくりが飾ってあった。僕は持ってた栃の実を、こっそりその横に添えておいた。そして図書館の自動ドアから外へ出た。

「怖かったな。」って丸井が言った。「怖かったな~。でも、あれ怒ってるようで、仕事で叫んでるだけだから、根は良い人かもね。」って僕が言うと、「さすが人間を読める男、よっしーだな!」って、丸井はニヤリと笑った。

空き地に向かって歩いてたら、隣で丸井が「ふるさと聞きたいな~」って言ってきた。僕のズボンの右ポケットには、いつもハーモニカが入ってる。いつ吹けって言われても大丈夫なように、ずっと入れてるんだ。学校の音楽の授業では習わないけど、父ちゃんが会社休みの日に吹いてるのを見て、僕も真似してたら、なんとなく吹けるようになった。父ちゃんは「夕焼け小焼け」とか「大きな古時計」みたいな、ちょっと切ない曲ばっかり吹く。でも僕の新しいハーモニカは、去年の誕生日に父ちゃんがくれたやつ。まだそんなに上手じゃないけど、「ふるさと」だけは丸井がすごく気に入ってくれるから、今日も歩きながら吹いてみた。

「やっぱりこの夕日をバックに、ふるさとは良いなぁ~」って、丸井がしみじみ呟いてたら、近くで打ち水してたスガヤパンのおやじが、手を止めて拍手してくれた。「懐かしいね~、ハーモニカ!」って言いながら、また水をまき始めて、「学校で習ったのか?」って聞いてきた。僕は「ウウン、自分で覚えたんだ」って首を振ったら、「すごいな。んだ。ちょっと待って、見せたい物があるから……パンは好きなの選んでいいぞ。コンサートをタダで聴いてしまったから、そのお返しだ!でも1個だぞ」って言われた。僕はちょっと欲張って「友達と2人分でいい?」って聞いたら、おやじは苦笑いしながら「よし、トモダチクンも良いぞ。でも何度も言うが1個までだぞ!」って念押しされた。

それで僕たちはパンを選ぶことにした。丸井はりんごパンのコーナーまで一直線。大サイズと中サイズがあったけど、やっぱり大サイズを取って、僕の方を見てニタ~ッて笑ってる。僕は何にしようか迷ってたら、丸井がトングを持ってきて、なんと30センチもあるフランスパンをトレイに乗せて僕に渡してきた。「ちょっと食えねえよ……」って言ったら、「半分に分けるべ」って。丸井は夕ごはんのこと考えてるのか考えてないのか、よく分からない。そんなに食べたら、絶対お母さんに怒られるぞ……。

そこにおやじがやってきて、「これこれ、この楽譜もう使わないから、良かったらあげるよ。あっ、あとパンと絶対合わないけど、このコーラと一緒に持ってってくれ」って、ハーモニカの楽譜の本と、なんか日本じゃ見たことないぶどう味のコーラを2本くれた。「ありがとう!パンも、ほんとにいいの?」って聞いたら、「さっきのコンサート代って言ったべ。こちらこそ、ありがとう」って、おやじはすごく嬉しそうな顔だった。

ついでに僕たちはパンのお礼も兼ねて、「おじさんの子供って、このシール集めてる?」って、後藤商店でウエハースに付いてきたシールを2枚渡してみた。「おう、これ実は俺が集めてんだ!この前、箱で買ったんだけど、両方とも付いて来なかったんだ!ありがとう!」って、すごく喜んでくれた。

なんだか3人とも、欲しいものが手に入ったみたいだった。僕はフランスパンだけど……あんまり食べたことないから、まあいっか。「ハーモニカ君、名前は?」「吉山です」「お~、じゃあ面倒だから、“ハーモニカ君”と呼ぶ。トモダチクンは?」「丸井だよ」「ん~、じゃあ丸井君で宜しくな。俺のことは“おやじ”って呼んでいいぞ」って、おやじは丸井の特徴を探そうとして、目がキョロキョロしてたけど、結局見つからなくて“丸井君”に落ち着いた。

そして僕たちは「ありがとう!」って手を振って、パン屋さんを出発した。

僕は歩きながら、さっきパン屋のおやじにもらった楽譜をペラペラめくってみた。「これ、普通の楽譜じゃないな~。」ってつぶやくと、丸井も気になったみたいで「ちょっと貸して。」って言ってきた。丸井も同じようにパラパラめくって、「なんだか数字が書いてあるな~。」って首をかしげてた。「明日先生に見せて、わかるかどうか聞いてみるよ。」って僕が言ったら、丸井は「それがいい!」って嬉しそうにうなずいた。

そうこうしてるうちに、いつの間にか僕たちは空き地に着いてた。大きな切株があったから、そこに2人で座った。丸井はりんごパンを半分、フランスパンも半分に分けてくれた。「乾杯するべ!」って言って、フランスパンをコップみたいに持って、「エンモタケナワデゴザイマスガ……乾杯!」って言い出した。何それ?って思ったけど、最後だけ聞き取れたから「カンパイ!」って返した。でもやっぱり気になったから、「さっき、なんて言ったの?」って聞いてみた。

丸井は「僕もよくわかんないけど、父ちゃんが乾杯の時に、エンモタケナワデゴザイマスガ……って言ってたから、真似した。」って言う。「大人って難しいね。」って僕が言うと、丸井が急に大人みたいな顔して、「酔うと、みんな俺よりバカになるよ。」って言った。僕は「考えてみれば、大人ってなんでお酒飲むんだろうね。」って聞いてみた。そしたら丸井が、すごい名言を言った。「きっと小さい頃に戻りたいから、飲むんじゃねえかな?」なんか、なるほどって思って、僕はそれ以上何も言えなかった。

それから、ぶどう味のコーラのフタを開けて飲んでみた。そしたら、炭酸がシュワシュワって吹き出してきて、僕はコーラに慣れてないから、喉がイガイガしてむせちゃった。続けてフランスパンも食べてみたけど、やっぱり硬い。何かつけたら美味しいのかもしれないけど、そのままだと素朴なパンの味だけ。「このお二方、合うことはないんだべな。」って丸井が言った。「んだ。この2人、いつまで経っても意見が合わないんだべな。でも、こういう2人がうまくいったりもするからな……人生わかんないもんだ。」って、丸井はなんだか人生を語りだした。

僕はなんかおかしくて笑いながら、パンとコーラをもう一口食べた。

丸井が後ろの公園の日時計を指さして、「時間見に行くべ?」って言ってきた。僕は「ウン!」って元気よく返事して、2人で勢いよく立ち上がった。走り出そうとしたそのとき、「あっ!!コウちゃん!」って声がして、自転車でビューンと近づいてきたのは、あのトイレのお姉さんだった。手を振りながら近づいてきて、自転車から降りないまま「ベシっ!」って僕の足を軽く蹴ってきた。「いてっ!」って言ってみたけど、全然痛くなかった。お姉さんは笑いながら「そんなに痛くないでしょ?コウちゃんとコミュニケーション取らないとね。まだ知り合って間もないから……」って言った。丸井は何がなんだかわからなくて、ポカンとしてたけど、その間にちゃんと日時計を見てきてくれたみたい。「5時ちょい過ぎみたいだよ」って教えてくれた。

それから、丸井が急に「ところでお姉さん、テレビ出てましたよね、朝のアニメの前に……」って言い出した。お姉さんはちょっと驚いた顔で、「よく見てるね~。というか見てる人いたんだ」って、丸井のことを興味深そうに見てた。それで、お姉さんも自転車を降りて、3人で帰る道を一緒に歩くことになった。途中まで同じ道なんだ。

僕はどうしても気になって、「お姉ちゃん、芸能人だったの?」って聞いてみた。お姉さんは前を向いたまま、「ハハハッ。売れない芸能人ってとこかしら」って笑ってた。「ふ~ん。こんな田舎にも芸能人いたんだね」って、僕はなんだか不思議な気持ちで1人でうなずいてた。

しばらく歩いてたら、丸井が「お2人って知り合い?」って聞いてきた。僕が説明しようとしたら、お姉さんがすぐに「さっき、うんちしに、トイレ借りに私の家に来てね、それからの知り合い。知り合いになってかれこれ3時間くらいかな?」って、あっけらかんと言っちゃった。丸井は「またウンコしてたのか?」って大笑い。僕は「だって、漏れる直前だったんだもん!」って、全力で言い訳した。

お姉さんはクスッと笑って、「まあまあ。こういうのは仕方ない現象だから、またウンチしたくなったら、家のトイレ借りに来るんだよ」って言ってくれた。僕はちょっと恥ずかしかったけど、「ウン」って返事するしかなかった。

トイレのお姉さんがなんであんなに着飾ってるのか、さっきからずっと気になってたんだけど、ふと夕日を見たら、すっかり聞くのを忘れちゃった。それくらいすごくきれいな夕日で、僕も丸井もお姉さんも、まるで絵の中に入っちゃったみたいな気分だった。もしこの景色をそのまま絵にしたら、近くのデパートの“なんちゃら展”に飾られてもおかしくないなって、ちょっと思った。

そのまま3人で夕焼けの中を歩いてたら、またスガヤパンが見えてきた。すると丸井が「あ、ちょうどいい、おやじに聞いてみな?」って、さっきから僕が持ってた楽譜をグイッと押し出してきた。

パン屋のおやじは、僕たちの声に気づいて外に出てきてくれた。僕は「さっきはパン、ありがとう」って言って、丸井も「あっ、ありがとうございました」ってお礼を言った。お姉さんはちょっと不思議そうな顔をしてたけど、僕たちの後ろで待っててくれた。

「これ、数字ばっかりで、よくわかんないや……」って僕が楽譜を見せると、おやじは「楽譜読めないのか……。よし、わかった!今度、いつでも来い!空き時間に特訓するべ」って言ってくれた。でもパン屋さんって忙しそうだし、空き時間なんてあるのかな……って思ってたら、おやじはすぐに「日曜の午後はここ休みだから、その時間に来い。待ってるから」って言ってくれた。お姉さんも、なんとなく話の流れが分かったみたいだった。

そしたら、まさかのお姉さんが「おじさん、パン余ってるの無い?お腹空いちゃった」って話しかけた。おやじはちょっとびっくりした顔をしたけど、「あ~。まだあるよ。選んでちょうだい。でも綺麗なお姉さんだな」って言ってくれた。お姉さんは「ありがとう……ございます……」って、ちょっと上の空でパンを選んでた。クリームパンとチーズパンを取って、レジに持って行こうとしたら、おやじが「今日この子たちもハーモニカ吹いてくれたし、お菓子のシールもくれたから、タダにしたんだよ。お姉さんも今日だけタダな」って言った。お姉さんは「え?あたしは何したの??」って困った顔で財布を開けようとしたけど、「いいんだ、今日だけタダ、だ」っておやじはニコニコしてた。

そこで丸井が、とびっきりの笑顔で、しかも大きな声で「3人でお礼を言いましょう、ありがとうございました!」って言った。おやじは大笑いして、「いやいや、照れるじゃねえか!じゃあ日曜日な!」って言って、奥の方に戻っていった。スガヤパンのおやじは、ちょっと下心がありそうに見えるけど、本当はピュアなおやじなんだと思う。

「得したね」って丸井が言うと、お姉さんはまだ「どうして私もタダにしてくれたのか、やっぱりわかんない……」って首をかしげてた。丸井は「そう悩まなくても良いんじゃない?」って言って、僕も「今日はタダ、明日から払えばいいんだから、悩まず通えばいいじゃん」って言った。お姉さんは「あ、そうか、そう考えたら良いのよね」って、ちょっと納得した顔をしたけど、なんだかまだ決まりが悪そうだった。僕はよくわからないまま、お姉さんの顔を見上げた。

お姉さんは僕たちと目を合わせないまま、遠くを指さして「あ!販売機あるから、ジュースおごってあげる。パン代得したからね。」って言った。僕たちは「やったー!」って大喜びで、販売機の前までダッシュ。どれにしようか迷ってたら、お姉さんが「ちょっと、おもしろいジュースあるよ。」って言ってきた。見ると【お楽しみジュース】って書いてあって、他のは110円なのに、それだけ60円。お姉さんは、もう中身を知ってるみたいな顔でニヤニヤしてる。僕は仕方なく真顔で「じゃあこれにする。」って60円のボタンを指さした。

「ホントは、何飲みたいの?」ってお姉さんが聞いてきたから、「このカフェオレ。」って僕が言って、丸井は「グレープフルーツジュース。」お姉さんはクスッと笑って、「じゃあ買って良いよ~。」って、僕たちに好きなジュースを買ってくれた。

「で、このお楽しみジュースも面白そうだから、買ってみて?」ってお姉さんが言うから、僕は「なんか知ってるな…」と思いながらも、60円を入れてボタンを押した。ガタン、ゴトッって音がして、出てきたのは【ぶどうジュース】。ホッとしたけど、缶に触った瞬間――「あっつ!」アルミ缶かスチール缶かの違いでこんなに熱いの?って思いながら、何も言わずに丸井に渡すと、「あつっ!」って同じ反応。なのに丸井は「おもしれえぇ。」って笑ってる。なんか怖いけど、ちょっとワクワクもする。

「飲んでみるべ。」って丸井が言うから、「よし、そこまで言うなら……。」って缶のタブを開けた。でも、ここで一つ作戦を思いついた。「これってやっぱり、ジャンケンじゃない?一本だけだし。」って僕が言うと、丸井も「そうだよな。お姉さんも。」って、なぜかお姉さんまで巻き込んだ。「え~あたしも?」ってお姉さんは困った顔。でも結局3人でジャンケンすることに。

「ジャンケン……ポン!!」僕はグー、丸井とお姉さんはパーで、僕が負け。次は丸井とお姉さんでジャンケンして、丸井が負け。結局、ホットぶどうジュースを飲む順番は、1番目が僕、2番目が丸井、3番目がお姉さん。

まず僕が一口。「うぇぇ~。」って大げさに反応したら、2人とも大笑い。次は丸井。ちょっとだけ飲んで「いやいやいやいや、これまずいな。」って冷静に言う。最後にお姉さんが、ためらいもなく缶を受け取って、グイッと飲んで口を大きく開けて見せた。「うぅわ~やっぱりまずいわ~。」

……これで、やっぱりお姉さんは知ってたんだなって確信した。「実はあたし、何が出てくるかはわかんなかったけど、あったか~い何かが出てくるのは知ってたの。」ってお姉さんが言う。「そうなの?でもまずいけど、後引く味だな。」って丸井が言うと、「何それ~。」ってお姉さんも笑ってた。

左手にホットぶどうジュース、右手で自転車を押しながら、僕たちは夕焼けの中を歩き出した。なんだか変な味だったけど、楽しい思い出になった気がした。

丸井の家は、僕とお姉さんの帰る道とはちょっと違う。だから、分かれ道で丸井が「じゃあ、また明日な。お姉さんも元気で……」って手を振って、先に帰っていった。

僕は、どうしても気になったことがあったから、トイレのお姉さんに聞いてみた。「今日どこ行ってたの?」
お姉さんは、缶のぶどうジュースを飲みきろうとしてたけど、ふっと山の向こうに沈みかけてる夕日を見て、「あ~。今日はね、就職の面接だったんだ。」って言った。

(あれ?)と僕は思った。

なんだかもっと気になったから、もう一つ聞いてみた。「芸能人じゃなかったの?」

お姉さんは笑いながら、「ハハハッ。あたしね、芸能人でも売れてないから、就職するのよ。」って言った。

僕は、なんとなくわかったような、わからないような気持ちになった。芸能人って、みんな大きな家に住んで、好きなものばっかり食べてるんだと思ってたけど……大人って、やっぱり大変なんだなぁ、って思った。

お姉さんはぶどうジュースを飲み終わって、缶を自転車のカゴにポンっと投げ入れた。もうすぐお姉さんの家に着くころだった。道の向かい側にある“みずののうえん”では、ダンディおじちゃんが剪定ばさみを持って、草花をじっと観察していた。葉っぱでも切るのかな?

「ただいまぁ~!」って僕が叫ぶと、「オウ!おかえり!!あれ~。美雪も一緒か~。」ってダンディおじちゃんが手を振ってくれた。

どうやらトイレのお姉さんは“美雪”って名前らしい。美雪さんはダンディおじちゃんに手を振り返してた。僕はなんとなく察しながらも、美雪さんに聞いてみた。「知り合い?」

「うん、でも“知り合い”って言うのかな……。」
なんだかパッとしない答えだったけど、それ以上は聞けなかった。

「よし、じゃあここでお別れね。また今度ね~。」美雪さんのアパートの階段の前で、僕は手を振って別れた。美雪さんの後ろ姿を見ながら、2階の玄関の表札を見上げると、目の悪い僕でも“小川”って書いてあるのが読めた。だから、きっと“小川美雪”さんなんだろうな、って勝手に思った。

そのまま、さっき図書館で調べたばかりの大きな栃の木の前を通って、僕は家に帰ることにした。木の根元には、一升瓶が無造作に置いてあった。中を覗くと、白いお酒がまだまだたくさん入ってて、ちょっとしか減ってないみたいだった。ダンディおじちゃんの晩酌かな、って思って聞いてみたかったけど、向こうでナスの花を切り落としているみたいだったから、邪魔しちゃ悪いなと思って、結局聞けなかった。

・👇👇次話、第二章へ続く👇👇

【再編集版】小説 TIME〈〈 -第二章- お兄ちゃん、だいじょうぶ? 作、吉村 仁志。

著者紹介

小説 TIME〈〈 

皆様、初めまして。吉村仁志と申します。この原稿は、小学校5年生の時に自分の書いた日記を元に書きました。温かい目で見て、幸せな気持ちになっていただけたら幸いです。

校正:青森宣伝! 執筆かんからさん (@into_kankara) / Twitter Shinji Satouh | Facebook

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