Contents
アオモリコネクト特派員のかんからです。
今回の大晦日と正月は親の住んでいる五所川原や墓所のある木造町には戻らず、普段通り?南部地方で過ごしてました。とは言っても元々は八戸生まれですし、小学4年まで暮らし。でもその頃の記憶というと……正月お盆は木造町に行っちゃってましたし、思い返せば八戸あたりで過ごした経験がないことに気づきました。なのでこの時期に初めて南部地方に居座った感じになりますかね?
例えば有名どころでは櫛引八幡宮とか、平時の姿はもちろん知ってます。でも正月の賑わいはイメージに湧いてこないんです💦 だって経験したことないんだもの。。。『じゃあ折角だし、そういうところを渡り歩いてみよう!』というのが今記事の企画です。ただし見回ったのは大晦日の昼間なので……なので本当の賑わいを見るのは次回かな?
では詣りましょうか♪
https://aomori-join.com/2022/02/25/iwaki-hyakuzawa/
https://aomori-join.com/2020/01/03/aomori-newyear/
午前11時、諏訪神社
・
諏訪神社と言っても南部町内に何軒かあるのですが、こちらは 諏訪ノ平駅近くのお諏訪様でございます。車は当時3台ほど停まっており、でも外には誰もいませんでした。最後辺りに『おはようございま~す』と話しかけられたような気がしましたが、思わずそのままにしちゃいました😅 まさか僕に話しかけてるとは思わなくて。。。
こちらのお諏訪様は建て直し中なではあるものの、きっと地元の方々で正月は賑わっていることでしょう!
・
南部藩主光行公が甲州からの入国に際し、 新領開発、 藩中安全の守護神として、 建久三年 (1192) 七月二十七日に諏訪平に創建し、 以来累代の藩主に篤信されたと伝えられる。 当地方著名の神社として多くの人々に崇敬され、 明治二十三年四月五日郷社に列せられる。
大正十二年二月三日、 幣帛供進神社として指定される。
・
午後0時、蕪島神社
・
天気が良かったのもあり、景色は物凄くイイ!地平線や海に漂うウミネコの群れもはっきり見えちゃう素晴らしさがありました✨
やはり先ほどいたお諏訪様と比べると人通りは多く、夜に行う年越しイベントの準備やらで装束姿の職員が忙しそうにしてました。そして観光客というよりも里帰りした人が地元家族を連れて来てるようでした。
・
弁財天をまつり、商売繁盛、漁業安全の守り神として古くから地元の人々の信仰を集めてきた蕪嶋神社。蕪島の「蕪(かぶ)」と「株」が同じ読みであることから、株価と人望の「かぶ」が上がるご利益があると言われる「かぶあがりひょうたん御守」が人気です。
2015年11月5日に発生した火災により社殿が全焼しましたが、全国各地からの寄付金も集まり、約5年の歳月を経て再建。2020年3月26日の例大祭に合わせて一般参拝が可能となりました。
新たな社殿となり、今後も八戸のシンボルの一つとして、港町八戸を見守り続けます。
・
八戸市のモノ・ヒト・コト情報掲示板(facebook.com)
午後1時、田島明神
・
まあここは……お詣りするとかそういう場所じゃありませんけど、 小さい頃はここらに住んでいたこともあってなじみ深く感じます。池の中に島があって鳥居もあるわけだから適当に『弁天様でも祀ってるのかな?』と思ってましたけど、真相は違うらしい……。
・
田面木の呪い田…『むかし、田面木に座頭(盲人)が住んでいた。旧暦8月14日の夜は櫛引八幡宮のお祭りで、村では家族全員が出掛けた。ある年、座頭の家族みんなでお祭りに出掛けた留守中に、二反歩の稲がゴッソリ刈られ盗まれた。最初は八幡さまが刈り取って持って行ったぐらいに思っていた。ところが同じことが2~3年も続き、さすがの座頭も腹を立て、お参りをやめ、茂みの中に隠れて様子を見ることにした。日がトップリ暮れ、しばらく待つほどに何者かの気配がした。やがて、ザクザクと稲を刈り取る音が、だんだん近づいてきた。息を殺した座頭は、頃合いを見計らって、かねて用意していた鎌で、「エイッ」と闇の中へ切り付けた。「グワッ」と確かな手応えがあった。「してやったり」と座頭は手探りで、獲物にさわってみて驚いた。それは人間であった。
首が胴体から離れ、首を持ち上げると「ドクドク」と血が流れた。
・
あまりリンク先の内容を書きすぎても引用じゃなくなっちゃうので……ここらで書くのを止めておきます。続きを読みたい方はリンクを押して頂くとして、誰がこんな由緒があると思うんですか?? これは知らなくてもよかった、本当に💦
・
午後1時半、櫛引八幡宮
・
さすがは南部一ノ宮。 いつも使う駐車場はほぼ満車で、臨時の駐車場も設けられておりました。おそらく停まっている車は参拝客だけではなく、出店準備のために来ている人も多かったと思われます。
でも人が多いからといって凛とした空気がなくなることはなく、そこに格の違いを感じました。
・
櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝えられる。
南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。
神社紹介 | 櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)| 青森県八戸市にある神社 (kushihikihachimangu.com)
・
南部氏の歴史 ここにあり
#今日はなんの日
昭和28年11月14日、八戸市の櫛引八幡宮にある「赤糸威鎧」と「白糸威褄取鎧」が #国宝 に指定されました。
「やわたの八幡様」と呼ばれ親しまれてる櫛引八幡宮は、たくさんの文化財を所有されています。https://t.co/084EdzhicO pic.twitter.com/CNvxyyqAdZ— 八戸市 (@HachinoheCity) November 14, 2018
・
滝尻侑貴先生の論文を眺めてるのだけれども、元日に三戸南部氏と八戸南部氏当主(そしておそらくは一戸・四戸・九戸・七戸など各『戸の家』の当主たちも集まったと想定されている)が櫛引八幡宮に集まり、三戸の当主が赤糸威鎧・八戸の当主が白糸威褄取鎧を着て儀式を行ったとするの、めっちゃたぎる。
赤糸威鎧・白糸威褄取鎧はすなわち櫛引八幡宮に奉納されている国宝の事で、これを着る事が出来たこの二者の特別性と優越性を考えずにはいられないのだけれども、一方で他の『戸の家』の当主たちも集まっていたのなら、彼らはどういう立場と役割でその場にいたのかも考えるよなぁ。
あと三戸南部氏の儀式に、最終15日夜に『田植』ってあって、これが雪中田植かえんぶりの事ではないかとされていて、こんなところに民俗習俗がきちんとみられるのがとても面白いし、えんぶりの起源にも繋がりそう(あくまで“そう“)なのも面白い。
・
今年はえんぶり見にいけなさそうなので2/9に昨年ライブペイントしたえんぶり画をポストカードでお持ちします(;ω;)
地域の祭りも面白いモノが沢山あるから行けるだけ行きたい。 pic.twitter.com/Vb4hGOTZxW— 山谷悠地(ヤマヤ ユウチ) (@shouryu00) February 5, 2020
帆船ハッカ氏小説紹介
・
冬の家でのひとときに、歴史を感じる小説はいかがですか……?
https://aomori-join.com/2020/11/24/sailing-mint-1/
https://aomori-join.com/2020/12/01/sailing-mint-2/
午後3時、三戸大神宮
・
こちらの境内は静かな印象でした。でも階段を降りればスーパーの駐車場は満杯だし、車道には駐車場に入るために待つ車で若干渋滞を起こしており、やっぱり今日は大晦日だということを感じさせてくれました。
・
天照皇大神を祭神とする三戸大神宮は、「神明さま」「東北のお伊勢様」として内外の人たちに親しまれています。かつては神明社、神明堂と呼ばれており、箸木山の八畳屋敷に鎮座していました。社殿は万治元年(1658)に町内有志によって建立されましたが、参拝客が増えたため、元禄元年(1688)南部家の家臣である藤枝宮内の屋敷(毘沙門館)を奉納し、建立されました。「明治天皇御巡幸の図」をはじめとした貴重な文化財も所蔵し、地域の歴史を伝える神社として重要な役割を果たしています。独自の猫のキャラクター「みこにゃん」「キャサリン」のイラスト入り御朱印も人気を集めています。
・
午後3時半、糠部神社
・
当神社創建のきっかけは明治8年のこと、三戸給人であった佐藤連之助の提唱によります。当時は、廃藩置県の一環で全国に敷かれた廃城令によって、国内の城郭は悉く取り壊される時代でした。このような時代背景の中で、これまで築き上げてきた南部氏の功績を後世へ遺したいという思いから、連之助の声がけによって集結した三戸・二戸・上北・下北各郡の有志が尽力し、南部氏の始祖を御祭神として当神社は創建されました。
・
#大晦日にお詣り
⑥#糠部神社(三戸町梅内城ノ下)
三戸城跡にある神社。今年は国史跡指定にもなったし、いつもより賑わう予感?まだ境内&駐車場ともに静かなままだけど、夜になると変わるんだろうなー。https://t.co/2yQQrr7GCnこれで南部地方神社巡りは終了でーす。 pic.twitter.com/n3atD7LJK0
— 青森宣伝! 執筆かんから (@into_kankara) December 31, 2022
㊗️三戸城国史跡指定記念🎉
転用石と矢穴#三戸城 pic.twitter.com/yk8P0hGuCT— かずさわ (@san46nan12) March 23, 2022
・
戦国時代に「三戸南部家」が居城としていた「三戸城」の城跡が国の史跡に指定されたことを記念したフレーム切手が完成し、贈呈式が行われました。
このフレーム切手は、戦国時代に青森県や岩手県などで勢力を誇った三戸南部家が拠点とした「三戸城」が、ことし3月に国の史跡に指定されたことを記念して作られました。
フレーム切手は1枚1330円で、3日から八戸市内や三戸町内の合わせて51の郵便局で販売が始まっています。
皆様にとって良き年でありますように……