**お盆特集** 先祖から受け継がれた #名字 について考える。#苗字 #青森県 #分布

A-join特派員のかんからです。

お盆になりましたねー。やっぱりスーパーが込み合ってるのを見ると、そういう季節なんだな~と思いますよ。でもちょっと肌寒いというか、半袖ではダメな感じの気温。コロナ禍でもありますので、体調管理はしっかりとしていきましょう。

今日は “名字” について語りましょう。

 

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世の中には様々な名字がありますけど、これこそが自分のルーツがわかる格好の材料!佐藤や鈴木といったメジャーな名字があれば、くずれ竈門かまどとかレアものもあるわけです。

とはいいつつ多くの日本人が初めて名字を持ったのは明治時代からで、比較的新しい”文化”ともいえます。それまでは基本的に武士にのみ名乗りが許されていた代物で、四民平等の時代になって初めて平民も名字を付けることを許されました。そのタイミングで一から名字を作り上げることができたんだなーと考えると、ものすごい話じゃないですか??だって自分の好きなように名字を決めれたんですよ!

でもそんな時『自由に決めれるよ~』と言われてるのにも関わらず、案外挑戦者はいなかったようです。例えば住んでいる土地の地名を名字にしたり、領主様や地主にあやかってつける人、それまでの職業にちなんでつける人なんかが大半でした。商人や職人だったら屋号をそのまま名字にしたり、先祖の繋がりで名字を決めたり。だからこそ多くの人が、その名字をヒントに自分のルーツを辿れるのです。

https://aomori-join.com/2020/01/15/myo-ji/

青森県で多い名字は?

青森県名字(苗字)ランキング|名字検索No.1/名字由来net|日本人の苗字・姓氏99%を掲載!! (myoji-yurai.net)

青森県の特徴と言えば、工藤さんが一番多い点でしょうか。工藤氏自体は鎌倉時代に青森へ入ってきた一族です。工藤氏曽我氏、後に大大名として名をはせる南部氏もこの時代に入ってきた方々。つまり奥州藤原氏が滅びた後、鎌倉幕府は代わりの支配者層として彼らを配置したのです。その時の領主やその使用人らによって、青森の名字の半分が構成されているといっても他言ではないのです……!(他には葛西氏太田氏千葉氏成田氏三浦氏など)

ちなみにこれまでの奥州藤原氏が滅んだことにより、福島や宮城など東北地方南部に住んでいた旧支配者層は北へ北へと逃亡。結果として青森県内に佐藤さんが多い理由の一つになっています。佐藤氏の場合は福島県の信夫佐藤氏が有名で、他にも旧支配者層の阿部氏も欠かせない名字なのかなと思われます。

第一位:工藤さん

ところで鎌倉時代の青森で大きく勢力を持っていたのは、工藤・曽我・安藤(安東)の三氏。工藤と曽我両家は仲がよろしくなく、鎌倉幕府は彼らを互いに監視させるという目的もあって、彼らを隣り合わせに配置したのかもしれません。そして安藤氏は元からいる在地勢力で、十三湊云々と昔から伝説に祭り上げられがちなチートなお家柄。でも安藤氏によって、まさか鎌倉幕府滅亡の起因がおきたという……青森が新しい時代を作り上げてしまった?事態もありましたが(笑) 争いが一向に収まらない様子を見た人々が、鎌倉幕府は弱いと踏んで、みんな寄ってたかって討幕を成功させましたからね~。

室町時代に入ると工藤本家の男系が途絶え、その娘を娶っていた南部氏が勢力を吸収。皆さんもご存じの大大名になったわけですが……。でも現に南部さんって数は少なくて、工藤さんの方が名字としては圧倒的!(津軽さんにも同じことが言えます)なぜこのようなことが起きてしまうかというと、てっぺんにいる支配者の名字は、恐れ多くてみんな使いずらいのです。それよりかは……南部様の一家臣で、身近な支配者層である “工藤” さんのほうが、明治時代に新しく名字を選ぶにあたって付けやすかったんでしょう。

とはいいつつ、本当は南部さんはもうちょっと多くてもいいはずだったんです。勢力が拡大していくにしたがって、兄弟や縁者を各方面に配置して住まわせましたから、彼らも南部さんと名乗ってもおかしくはありません。でもそうはならなかった。

“南部”という名字自体は家を受け継ぐ系統だけが使って、それ以外の傍系は例えば分家して、移り住んだ土地の名前を名字として名乗るわけです。『我らには”南部”を受け継ぐ意思はなく、家来の”OO氏”として南部様に仕えます』というように。あとはその土地の名前を名乗った方が、領民も不思議と親近感を抱いてしまう傾向というのもありました。これらの理由から、今日の南部さんの少なさと、他の名字の多さに繋がっています。

https://aomori-join.com/2020/06/25/kudou-vs-nakanowatari/

第二位:佐藤さん

佐藤さんは日本一多いですし、青森でも多くて当然なんですけどね~。青森県内では先ほど触れた信夫佐藤氏系統が八戸を中心に多いと思われ、別系統として西行佐藤氏が存在します。入ってきた時期は室町時代で、下北地方を中心に兵乱が発生したことに伴って、その鎮圧後に恩賞として西行佐藤氏に土地が与えられたそうです。その名残として、“佐藤平” という地名がむつ市大畑に残っています。佐藤という名字は全国的に多くても、”佐藤”が地名につく場所は19か所しかございません!貴重なきちょーな場所なんです。ちなみに県内にもう一ヶ所”佐藤の”つく場所がありまして、それは三戸郡南部町沖田面の佐藤橋です。

https://aomori-join.com/2020/05/17/dainijisekaitaisen/

第三位:佐々木さん

「布嘉」と言えば、1代にして巨万の富を蔵し県下第1位の富豪となった佐々木嘉太郎である。彼は天保12年(1841)6月15日金木に生まれ、12歳の時五所川原呉服商三上宇右衛門へ奉公、17歳の時豪商佐々木喜太郎から懇望されて婿養子となり、慶応3年(1867)平井町に分家してささやかな呉服商を開いた。田川の赤堀り渡しを渡り、5里もの道を歩いて鯵ケ沢へ仕入れに行き、商取引をして朝開店までに帰り、新しい物を商う事を心得て、他の商人の追従を許さぬ努力をした。営業年と共に繁盛し、遂に数百万の富を蓄え大邸宅を建てるに至り、明治27年起工し同37年完成、総工費38万円、個人住宅としては東北随一であった。皇族御巡幸の折、御宿となされた事もあり、宝蔵物も沢山あったともいう。

奥津軽観光情報 :: ピックアップ情報 -ぴっくあっぷじょうほう- :: 布嘉 (tachineputa.jp)

佐々木という名字自体は、立派な源氏ゆかりのお武家さんです。足利政権の中核を担うお家柄であるし、南朝勢力の強かった青森地域を押さえるために、遠くから派遣されてきたのか。または佐々木氏とゆかりのある在地勢力が、盟友足利の室町時代に勢力拡大できたのか。もしくはその両方なのか。青森における立場は上でもなく下すぎもしない、このくらいの立ち位置が名字を増やすうえでいいのでしょうね。

あと布嘉に触れましたけど、布嘉の佐々木さんを取り上げたのなら、木造町の高谷さんも書かないとなと。昔々高谷銀行という大きな銀行がありまして、でも散財を尽くした結果、昭和恐慌を待たずしてダメになってしまいました。両家共に時代を彩るキーパーソンかと思われます。今となっては追うこともできず……。

左は佐々木の全国分布、右は高谷の全国分布。高谷の件数は青森県が全国1位(県内では第100位)。

姓名分布&姓名ランキング 写録宝夢巣/名前・苗字・名字 (nipponsoft.co.jp)

そういえば鈴木さんは、なぜ少ないの?

少ないとは言っても青森県で第14位ですし、約2500人もいますからね!でも日本全体では鈴木さんは2位に付けて行ったはず。なぜこのような差が生まれたのでしょうか?鈴木氏の由来を読んで、その理由を探ってみましょう。

熊野の神職のうち、神聖な「すすき」にちなんで「鈴木」という名字を名乗った家があり、その鈴木氏の一部が、後に紀伊国藤白(和歌山県海南市)に移り、王子社(熊野の御子神が祀られている場所に建てられた神社)の神官となった。なんでも、王子社の一つの藤白神社(和歌山県海南市)では、鈴木姓のルーツとして有名で、「鈴木サミット」が行われているそうだ。

鈴木姓は熊野信仰の山伏により全国に拡がり、信者に「鈴木」という名字を与えた事により、特に熊野信仰があつかった東日本に増えていった。特に三河国の鈴木氏が有名で、後に徳川家の家臣(旗本)のうち一番多い姓が鈴木と言われ、徳川家康の江戸移封によって東京を中心とした関東地方に拡がった。

「鈴木」の名字の由来 (folklore2017.com)

つまり鈴木氏が増加する要因を押さえて行くと……

① 熊野信仰の信者が鈴木と名乗ったから。

② 徳川家の家臣に鈴木氏が多く、繫栄したから。

ということなんです。まずは青森県と和歌山県は遠すぎるし、海路でも繋がっていませんからね。ということで①の要因はナシ。次に②を考えると、青森は関東からも遠いですし、江戸時代ずっと領地替えと無縁でした。なので徳川家ゆかりの大名が青森を治める機会も一切なし!

こう考えると、鈴木さんが相対的に少ないのも納得ですね。

名字の密集地もあるよ

自分のルーツを解き明かすうえで大切な “名字”。その名字がもしOOという土地に多いと分かれば、もしかすると昔その土地の地主だったかもしれません。はたまた先祖のあるひとりがOOという職業について、その場所から離れられなかったとか、調べて行くと様々なことがわかってくるでしょう。ネット上で掲載されている電話帳はそんな時にとても便利で、名字を入れればその地域にその名字が何件なるか一目瞭然……!

片手間でも調べてみれば、面白いものですよ~♪

ネットの電話帳 (jpon.xyz)

工藤さんは主に青森県内でも津軽側に多い傾向があり。南部側は決して多くはない。

佐藤さんで調べた限りでは、六ケ所村の倉内笹崎という地域に何かがありそうな予感。

さきほど五所川原の佐々木さんを取り上げましたが、全体を通せば八戸がダントツ1位。

Author: かんから
本業は病院勤務の #臨床検査技師 。大学時代の研究室は #公衆衛生学 所属。傍らでサイトを趣味で運営、 #アオモリジョイン 。

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