【小説 津軽藩起始 油川編】第四章 妙誓、生玉角兵衛と対面す 天正十一年(1583)晩夏

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北の直虎

4-1 妙誓尼

 ……蝦夷荒えぞあれに伴う津軽の動揺は、もちろん南部氏にも届いた。大浦氏は南部家臣であるが、一度逆らったお家柄。力が弱まるのは大歓迎。逆にここらで大浦家に滅んでもらった方がいい。さして助けることはせず、浪岡代官のほうでも静観の方針を取った。

 ただし南部家中にどうしてもこの事態を見過ごせない者がいた。彼女の名は尼の妙誓みょうせいという。油川あぶらかわ明行みょうこう寺(後の弘前ひろさき円明えんめい寺)の女住職で、油川城主奥瀬おくせ善九郎ぜんくろうの妹だ。明行寺は真宗なので、同じ真宗(本願寺)を名乗る角兵衛という他国者がエゾ村を襲ったことが蝦夷荒という混乱のきっかけだと聞いて、とてつもなく憤慨した。女がてら気の強い彼女は、かつては近隣の領主に嫁いでいたが、三行半を突き付けられた出戻り。周りが宥めても、信じた道を突き進むのが彼女の性格……。どうにかして角兵衛をこの手で罰したいと思った。襲われたエゾ衆の悲惨さ。いまだ他国者はエゾ村の土地を狙っていると聞くし、大浦家は何も有効な手立てを打ち出せずにいる。……いやいや、明らかに悪いのは他国者であって、そのきっかけを作った角兵衛ではないか……。他国者らにいくら訳があろうとも、罰せずして事がおさまるか。そして御仏の心に叶うはずがない。

 さて妙誓は出立の願いを出すべく、油川城へと上がった。日の蔭る涼しい頃合い。特に事前の断りもなく、ズガズガと兄のいる住まいへ。奥瀬はあきれた素振りで、そんな妹に “座れ” と一言。

「はあっ……お前も四十路よそじになったというに、そのさがは治らないの……」

 妙誓は笑顔で答えてやった。

「はい。でなければ、私は私でありませぬ。」

……しかし思い起こすと、妹のおかげで油川が平和になったこともある。滝本たきもと重行しげゆきの一件の時、民衆を扇動して彼を追い出したのは妹だ。言っても聞かぬは変わらぬし、仏門の身なれば念仏でも唱えて大浦領内に入ればよろしい。もう兄は投げやりだ。

4-2 哀れなり

 街道を進むは尼と後を従う坊主の二人。彼女は錫杖を打ち鳴らし、“南無阿弥陀仏” と唱えながら道を歩む。民の言葉を聴くために様々な道を進み、藪が目の前を塞ごうとも意図ともせず。ただただ彼女の信念の求めるままに、奥地へと分け入るのだ。

 寄り道をしつつも、先へと延びる大道を進めば浪岡へ。ただしその手前を右へ曲がり、一旦は嘉瀬かせ(金木)というところへ向かうつもりだ。なんでもその場所は前住職の頼英らいえいの生まれ故郷と聞く。大変貧しい村で、小さい頃に食い扶持を減らすため寺へ預けられたらしい。そこからひたすら勉学に励み、明行みょうこう寺(円明えんめい寺)の住職まで成り上がったのだ。そんな彼はたいそう信心深く、特に跡を継いだ妙誓みょうせいの行く末を心配してくれている。激情ではないながらも、違うことは違うと誰に対しても言い切る彼女のさが、いつか身を危うくしてしまうのではないかと……。

 そこで最初は当てずっぽうに大浦領内に入らずに、嘉瀬へ寄ることを勧めた。この地域は未だ北畠残党が治める地域であるし、なにより頼英の出自であるので、彼が住職にまでなったことは故郷の民にとっても誇り。協力者も多いことだろうから。

 ただ……いざついてみると、なんとも寂れた様よ。夏で盛る頃合いだというに、勢いがなく。身に着けている布はほどけ、家々は傾き、田畑も荒れているところが多い。話を聞くと……これまでの戦で、人が余多あまた死んでしまった。耕すべき人がいないので、そのままにするしかない。かといって大浦領内のように他国者を入れると……我らが喰われてしまう。加えて上流から来る船に屈強な不埒者が番頭として乗り込んでしまうせいで、これまで入っていたはずの運航のための税も取れない。ますますひもじくなるばかりだと。

 そう話すは赤子を抱く母。あまり乳がでないので、赤子は弱るばかり。泣き声に力なく、いつしか妙誓の目の前で静かになった。……果ては寝てしまったのか。やけに青白く、ひんやりとしているようにも思えた。

4-3 政の成す災い

 妙誓らは村人に嘉瀬(金木)の長老のところへ案内してもらい、この窮状の訳は何かと問いただした。

  …………

 かつて浪岡北畠氏を中心とする勢力圏だった原子はらこ飯詰いんづめ以北の岩木川下流地域。それが度重なる混乱により、最初は浪岡北畠氏の滅亡によって、浪岡に出仕していた者が余多亡くなった。

 次に浪岡が為信によって併呑されてもなお与しなかったので、下流地域に対する経済的封鎖を受ける。これの一例として、 “嘉瀬の渡し” などの在地の勢力が設けていたいわゆる “川の関所” へまったく銭を払わずに無視するという事態が横行。これは舟側にとっても一定の貢を払えば身の安全を保障されるという利があったのだが、屈強な者が乗り込むなどしてこれを無視。ならば領主である原子菊池氏や飯詰朝日氏がなにかするかというと、手出しすることができなかった。無理やり払わせようとすれば、為信が戦に及ぶための口実を与えることになってしまうからだ。……この地域は田畑が元より少なく、川からの銭が生命線。民は困窮に陥り始めた。

 加えて北畠氏が滅亡したことにより、浪岡を中心とした商業圏も崩壊。岩木川を上がろうにも為信側で正常な行き来を邪魔される。この時代は山越えのための県道26号線ルート等は存在していないので、陸路であれば浪岡近辺を通らなければ商都油川へ行けないし、浪岡は為信らの勢力下なので無理筋。そこでなにかしら物資を入れたい場合は下流へ下り十三湊とさみなとへ。あくまで十三湊はこの頃はすでに一漁村でしかないので、さらに遠く進む必要がある。海辺沿いを進み、油川を目指さなければならなかった。昔に比べ日数もかかれば、舟を使うだけの銭もかかる。

 そして六羽川ろくわがわ合戦を経て、傀儡政権である水木みずき御所の解体。南部氏による新たなる傀儡である新生浪岡(山崎)御所の成立。浪岡の民は激しく入れ替わり、商圏の復活もない。為信は再び南部に従ったとはいえ、一度得た旨みは忘れられぬと見えて、多くの者が “川の関所” に銭を全く落とさずに押し通る。……南部氏にこの窮状を訴えても、“やるやる” というだけで何もしてくれぬ。……南部もいまだ、為信の底力を恐れていると見える。

これらの結果が、目の前にいる母親が抱く赤子の様だ。

いつ何時なんどきも、お上の至らぬを受けるのは民。

4-4 力のあるところ

 次第に怒りがこみあげてくる。長老や彼を囲む村の民ら、哀しみながら長々と語り続けた。その言葉に嘘偽りはなく、このままでは飢えて死ぬか、どこかへ逃げてしまうかしかない。外は夕日が西の禿山へ沈みかけ……暗がりが訪れる。外を見つつ……妙誓は何も混ざっていない、そこに出されている茶碗の水を口に含んだ。貧しい故、茶の葉など煎じて入れることもできないのだろう。その無味な味にどれだけの想いが込められているか……。彼女は皆に言う。

「よくわかり申した。私の兄上にも伝える故、安心なされよ。」

 その場にいる者、彼女に深々と頭を下げ、夜更けになるまで精一杯のもてなしをした。食べ物こそ粗雑で数も多くないが、代わりに歌や踊りを懸命に奏でる。形などない、見様見真似の粗雑なものだが、一つ一つの身振り手振りに心が籠っている。下手に形の定まった能や芸事などとは違う。……ただし皆々やつれており、明るさを感じにくいことが残念でならぬ。……これを取り戻すのが私の役目の一つかもしれぬ。

 朝となり、小鳥がさえずりをした。砂利を歩く音が辺りに響き、葦を避けるは白の布帽と橙色の袈裟けさ姿の尼と僧侶……。妙誓は無数に分かれる川の一つの畔に立ち、連れの僧侶と話す。

「この窮状に関していえば、大浦家は主家に従っているのだから、兄上に頼めばなんとかできる話なのか……だが、どうもそれだけではないらしい。」

 一人の僧侶が口を開く。

「すでに南部氏に訴えたというのは、おそらく浪岡へでしょう。今の御所号である山崎氏は元々、山奥の饗沢かれいさわ村長むらおさ。そうとう昔に北畠と血の繋がりがあっただけで小奇麗に祀り上げられておらしますが、力があろうはずがございません。実際に力があるのは代官の白取しらとり氏。彼の一存にて、全てが決まります。」

4-5 元凶

 尼の妙誓みょうせいは顎に指をつけ、訝しそうに僧侶へ問う。

「では代官の白取しらとり、……これは私も知っているが彼は横内のつつみ氏家臣でもある。なぜどちらもこの窮状を放っておいているのか。」

 もう一人の僧侶は……少し戸惑いつつも答えた。

「恐らくですが……大浦が内側から潰れることを望んでおるのでは。」

 ……怪訝な顔の妙誓。

「尼様。為信はこれまで他国者の力をうまく利用して、兵を多く集めてまいりました。土地を与え田畑も耕させ、その噂を聞いてわんさかと領中へ入りました。しかし南部に再び従った今、その力を外へ向けることができませぬ。……他国者は溢れ、残るは内側を喰らうこと。手始めにエゾ村を襲った結果、エゾ衆が怒って “蝦夷荒” という反乱がおきているのです。」

 続けて隣の僧侶も言う。

「おそらく白取氏は為信が破滅する瞬間を待っております。嘉瀬の件などの岩木川下流域での窮状はもちろん届いておるはず。しかしまだ動く時ではない。その際にきっかけとして持ち出すつもりでしょう。……ところで養女ではございますが、つい最近……白取氏より大浦氏へ側室が入りました。かといって仲良くするような気配もなく。こうしておけば内部の情報は筒抜けでしょうし、大浦と縁戚であればこそ持てる力もあります。」

 “時が来れば、代わりに白取氏が大浦氏の代わりに成り得る”

 妙誓は “ありえぬ” と一言つぶやき、……しばらく “静かにしてくれ” と二人に言った。ただ目を瞑り……辺りには草の揺れる音、葦原に流れる川のせせらぎしか聞こえぬ。鳥も彼女のことを思ったか、鳴くのを遠慮しているかのよう。

 そして想いがおさまったのか、妙誓は目を開けて、二人にこういった。

「どう考えても、おかしいことはおかしいのだ。上の身勝手な企みにより、その間ずっと民は無視されるのか。」

 そうは申してもと……二人の僧侶は目を合わせ困惑するのみ。

「間違ったことは正しくすべきであり、我ら仏門の者は民に現世利益をもたらす責務がある。……ただし我らの力には限界がある。堤殿も動かぬのであれば、兄上に言っても何もできぬ。迷惑なだけだろう。何としても我らは角兵衛なるものを見つけ出し、他国者がエゾ村を襲うのをやめさせること。他の横暴も然り。」

 ……こうなれば従うほかないと僧侶ら。彼女はその信念において行動し、周りを巻き込む豪快さがある。彼女は男のように力が強いわけではないし、黙っていれば一見しおらしい。だがその心を、だれにも覆すことはできぬ。

 油川あぶらかわ城主、奥瀬おくせ善九郎ぜんくろうが妹。元の名を奥瀬たえという。真宗の油川明行寺(現、弘前円明寺)の尼であったと伝わり、最後まで為信に抵抗を続けた人物である……。

激突

4-6 己の噂に

「角兵衛はどこにいる。」

 噂を聞く限りでは浪岡の商家長谷川へ頻繁に顔を見せていたらしいが、蝦夷荒の後は身を隠すようになったという。ただし他国者を束ねるリーダーの一人に変わりなく、争い事があると必ず角兵衛が現れるそうだ。

 他国者に彼の居場所を訊こうにもそれは無理だろうし、逆に不審がられる。ならば争いごとの起きるところにいるにしても津軽のどこで起きるやら……。

 ふと妙誓みょうせい、あることを閃いた。

「ではここは……嘉瀬の民にエゾ衆を紹介してもらおう。」

 角兵衛に会うことが難しいなら、エゾ衆の力添えを得て角兵衛を捕えるのがいいのではないか……エゾ衆であれば明らかに角兵衛の敵だし、逆にこちらがしてやられることはない。ただし難点なのが、エゾ衆からしたら妙誓らも “和人” だということ。信用してもらえるだろうか……。

 ここで連れの僧侶の一人が言った。

「いえいえ、尼様の御名前は有名……話に聞くと、頼英様も手のつけようのない女傑だと。近隣に住まうエゾ衆も存じているそうです。」

 妙誓は苦笑するしかなかった。しかし光明は見えた。そうと決まればさっそく嘉瀬の長老へお願いをし、エゾ衆との橋渡しを頼む。長老は快く引き受けてくれ、会うまでの数日はこのまま村に滞在することとなる。

 待っている間ずっと村の一軒一軒を周り、村人のやつれた顔をんじ、病人のか細い腕を憐み、幼くしてなくなった赤子に祈りをささげた。ひたすらに南無阿弥陀仏を唱え、嘉瀬の民の安寧を願う……。そして数日後、アイヌ文様を身に着けた男数人が嘉瀬に現れる。知らせを受けたエゾ衆が迎えに来たのだ。……来たということは、まずは信用されたということ。そこで妙誓は第一声、このように頼む。

「エゾ村に着いたらの……そなたたちの服を用意してくれまいか。」

4-7 衣を借り

「私は “和人” のように振る舞う気はないし、まずはエゾ衆の ”心持ち” を知らねばならぬだろう。エゾ村にいるときは客人としてではなく、同等に扱ってほしい。馴染みやすいように、同じ格好をしたくての。」

 その話を聞いたエゾ衆。恐れ多い限りであったが、妙誓は冗談で言っているのではない。目つきは真剣そのもので…… “わかりました” と応えるしかなかった。

 妙誓にとって和人とエゾ衆の垣根などない。もちろん仏門の身なので、“仏の前では平等” という論理は成り立つのであるが、彼女は少し違っていた。エゾ衆は仏を信じておらず、彼らには崇めている自然神がいる。その点を突いて、差別したのが同じ真宗の生玉角兵衛。妙誓はというと……道は無数あれど、真理は一つにである故、最後には一か所にたどり着くだろうと。改めて他の者へ言うことは無いが。

 ……藪を越えて、さて行きつくはエゾ村へ。近くのところは一刻で着くところにあったので、まだ日は落ちていない。急ごしらえの木の柵が村の周りを囲み、護る男たちが “イランカワプ” などと聞きなれぬ言葉を頭を下げつつ言ってくるが、きっと挨拶だろうなと妙誓も穏やかに礼をして返す。他幾人も村の門境にところに出てきて、同じように妙誓へ挨拶してくる。そんな中で彼女はエゾ衆の恰好を窺いみる……衣装は黒い生地に白い渦巻の刺繍があれば、茨のような模様もある。……普段こんなに大勢を相手することもないので気が付かなかったが、手の候にも刺青があるらしい。後でわかることだが、村ごとで色々と決まりごとがあるらしいが。

 妙誓はさっそく小屋の一つを貸してもらい、鮮やかな衣装に着替える。小屋の中は藁の敷物などは津軽衆と変わりないが、やはり壁に飾ってあるものは特殊な文様であるし、獣の皮など堂々と飾っている。そして村の女に手渡された一式の衣装。“同等に扱え” と伝えていたのだが、どうも煌びやかな様をみると祭り用のものらしい……そこは言わないでおこうか。そして手ほどきを受けながら着替え終わったところで、その村の頭だろうか、腕まくりをした屈強なエゾの男が手招きをする。妙誓はだまって頷き、立ち上がって後をついていく。

4-8 顔の陰

 やっと日も陰ってきたか。妙誓みょうせいは手招きされるがままに大きめな小屋に入ると……五人ほどのエゾ衆が胡坐をかいて座っていた。ご丁寧にも一人通辞らしき若い青年も用意されており、彼が言うには “尼様がいらっしゃるとお聞きしたので、今の我らの考えを申し上げるそうです” とのこと。つまりここに集まっているのは複数あるエゾ村の族長ら。妙誓は覚えたての “イランカワプ” を唱え、族長らも微笑み返しながら “イランカワプ” と口にする。妙誓の顔は崩れ、まるで見知っている仲のような感じで話が始まったのだった。

 初めはそれぞれの暮らしについて。妙誓は仏門に仕えてから肉を食べていないと語ると族長らは驚き、そのような生活は考えられない。我らは狩で得た獣の味を知っている。熊鍋などとても美味だぞと自慢してくる。逆に族長らが “ホタテを食べたことがない” というと、妙誓はここぞとばかりに自慢げに “とてもおいしいぞ” と言い返す。このように中身のない和やかな会話を経て、互いに敵意はないことを確かめ合えたはずだ。

 そして日はおち、小屋の中では暗いので皆して外へ出た。大きな松明を焚かせ、そこの地べたに座って談義をし始める。横から顔に光が当たれば、どちらかといえば彫の深いその顔立ちに陰ができる。苦労を重ねてきた皺の筋も際立つ。そんなつらの族長らはその場に落ち着くと、急にさきほどまでの笑みを消し去った。そして神妙になって妙誓へ言う。

「我らは和人の不埒者を先に攻めるつもりだ。それが無碍に死んでいった者の仇討にもなろうし、エゾ衆の意地もみせることができる。」

 妙誓は……黙って首を振る。

「もしお前たちが和人に対して突然攻撃をしようものなら、堂々と攻めたてるための名分を与えるようなもの。それこそエゾ衆を追い詰めるきっかけになるぞ。」

4-9 いざ参る

 会話を介する通辞は内容の激しくなるのを危うく思い、互いの言葉を聞くたびに冷や汗をかくのだ。族長は一段と厳しい顔で妙誓に問う。

「ならば尼様、妙案でもおありか。争いごとを終わらすお話をお持ちか。和人だ津軽衆やら他国者など違いはどうでもよい。お前たちの“事情”に翻弄されたくはないわ。」

 妙誓はその言葉を聞かされて、喉の奥がつかえてしまったようだ。こうなると答えようなどなく、下をうつむくしかない。者どもが囲む松明は否応なく明るいのだが、彼女の顔は暗きで覆われ、周りにも影を落とす。

 そんな時だった。馬に跨ったエゾの若者が村へ駆けてきた。族長らの袂へ一目散に走り、馬を降りるなりすぐに伝えようとする。ただし相当息を切らしているので、何を言っているのか族長らにとってもわからぬ。きっと“おちついて”とでも言われているのだろうか。しばらくして……すべての者の顔は陰る。次に来るのは哀しみ、そして怒り。

 ……通辞は甚だ恐れながら、妙誓へと伝える。

「南方のエゾ村にて、和人が押しいったとのこと。我慢ならぬので、いまから他の村の者も集めて、彼らを殺すと言っておられます。」

 妙誓は……即座に族長らへ言い放った。

「ならば私も参る。同じく馬を用意せよ。」

 ……津軽のアイヌは馬を立派に使いこなす。これが蝦夷々島であれば馬自体が一部の和人のモノなので触れる機会など無く。そして妙誓も女がてら馬を使いこなす。互いに乗る様に驚きつつ、妙誓は若者と共にすぐさま襲われている村へ。族長らは各村によって人を集めたうえで向かうつもりだ。どちらが早く着くかといえば妙誓だろうが、なにかこれといって防ぐ手立てがあるわけではない。それでも自然と体が動く。この様を目撃しなければ、何も語れぬ。そこに誰がいようとも、この身一つで飛び込むのみ。……親しくなったエゾ衆が止めようが、言うことを聞かぬだろう。

4-10 対峙

 ……領主である大浦家は兼平氏や商家長谷川を通じて再三忠告しているのだが、他国者を中心とする不貞集団はエゾ衆を追い出さんとばかりに略奪を繰り返した。それが他国者にとって正義であり、耕すことのできる土地は耕すべき者に譲るべきであり、エゾ衆はもっぱら狩や交易などをしているのだから山間や港に移り住めばいいだろうとの考えが根底にある。

 だからといって、むやみに追い出されそうになるのはエゾ衆にとって適わぬ。それがために襲われ命を絶たれるのは許されない。……領主も見て見ぬふり。ならば我ら自身で抵抗し、戦わなければならないという結論になるのは当然だ。それが今に伝わる “蝦夷荒えぞあれ” という反乱(=レジスタンス)である。

 生玉なまたま角兵衛かくべえなどの他国者と……エゾ衆は敵だ。すでに仲良くなどできぬ。使わぬ土地だけを貸して、同じところで暮らすことも無理だ。そして今、角兵衛率いる不貞集団はとあるエゾ村を襲っている。阿鼻叫喚あびきょうかんの至る所。一方的に蹂躙じゅうりんされてはならぬと、勇気ある者は他のエゾ村へ知らせに走り、各々の村から人を向かわせることに成功。今こそ奴らを殺せとばかりに走るは走る。

 ……ただし先に着いたのは尼の妙誓みょうせい。馬に跨り、エゾの青年と共に襲われている村を外側から臨んだ。月明かりは弱いのではっきりとはしないが、黒と黒がぶつかる様はまじまじとわかる。争い合い、悲鳴はもちろんのこと、武具の当たる音や体ごと崩れる音。音という音が外にも響き渡る……。

 思わず妙誓は身震いをした。戦場に出たことは無く、尼なので死者に付いた血を拭くことはあっても、血を出すことに加担したことは当然ない。それでも……いかねばらなぬ。まずは動かんとばかりに腕は手綱を振り上げ、馬は前へと駆ける。従うエゾの青年も慌てて後を追う。

馬に乗ったまま村へ物凄い勢いで入ると、土埃で辺りが霞んでいるようにも思える。……いや、違う。これはけむだ。怒りを成した妙誓は目を見開き、”入ってきた奴は誰だ” と驚いている不貞集団に対しこう怒鳴った。

「私は油川あぶらかわ城主奥瀬おくせ善九郎が妹、明行みょうこう寺の妙誓という。不貞を働くのは許さぬ。いますぐ立ち去れ。」

 ……その言葉を聴く彼らにとっては言われた内容よりも、エゾ衆の服を着ている女が和人の言葉を流暢に使ったぞと。しかも己は和人だと名乗っている……。すぐに理解できる代物ではない。しかも油川というならば……。

 すると遠くより怒鳴りを聞いた生玉角兵衛、彼は片手に太刀を持ったまま、馬に跨る妙誓尼の前へ立つ。

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