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2-1 新天地
しばらくして……外ヶ浜に残った浪岡衆は荷造りの準備を始めた。油川の北畠仮殿に残る武門はしかり、横内に無理やり集められた民らも。雪が積もり始めた頃、山の向こうに土地があてがわれたという報がもたらされた。これは信直派の奥瀬善九郎と九戸派の七戸隼人での話し合いによって決着を見る。
大東海(=太平洋)に面するところに寂れた土地があり、普段は放牧を行っている。砦周りを浪岡衆に与え、開墾をさせようと。その話は彼らに希望を与えた。どのような場所かは実際に見てみないとわからないが、滝本重行という地獄の鬼のような人物から離れることができる。これで我らは救われるのだ……
“あちらは雪が積もらないらしいぞ”
“それはまことか、さぞ素晴らしいところなのだろな”
と勝手に夢を膨らませてしまう。
そして旧暦の十一月だろうか、老若男女の多くが平内の山を越えて糠部(南部地方)へ、細い道を百人以上が延々と歩く。当然ながら現代のように舗装された道ではないし、幅も1間(1.8m)にも満たぬ狭さ、やっとで荷車が通れるくらいだ。さらには周りに所狭しと雑木が生い茂るので、道へも枝がはみ出してくる。進みにくいことこの上ないのだが、当時としてはこれが普通。そんな悪路を民族の大移動が如く東へと進む。
さて……さまざまな歩みの者がいるし荷もたいそう多いので時間がかかり、結局着いたのが四日後。80kmもの距離を誰も欠けることなく歩き切った。途中で小川原と呼ばれる大きな湖もあったので、田に水を引き入れるのも困らないだろうと安心していた。しかし……。いざ着いてみると、だだっ広い灰色の草原に砦ひとつ。大きな山もなく、海が目の前にひたすら広がっている。村らしい村もなく、家も小屋もない。人もどこにいるやら。寒い海風もそのまま自分たちに吹付ける。……これが雪の積もらぬわけか、強い風が積もる雪をどこかへとばしてしまうのだ。ある意味で横内よりひどい。
それからというもの、浪岡衆は新たなる苦難をその土地で過ごすことになる。彼らはその場所を“淋代”と名付けた。名の通り淋しい場所だからだ。枯れた草原という意味合いを持つ。そして平成の世においてかの地に”浪岡”の名字は多い。(現、三沢市淋代)
のちに彼らの土地より結びつけて、本来の領主のいなくなった浪岡周辺を誰かが”淋城”と呼んだ。浪岡御所は浪岡城という名前もあるので……”代”を”城”に変えただけ。淋代と淋城、ともに今の住所に残っている。
2-2 何ともならぬ
さて外ヶ浜からほどんとの浪岡衆がいなくなったので、滝本重行の調練すべき人がいなくなった。仮に横内城をせしめているといえど、私兵というべき存在はごくわずか。そこで外ヶ浜を統括する役目である奥瀬善九郎へと申し出た。
火鉢の光る一室、油川城内の茶室にて。滝本は奥瀬がくつろいでいるところへ突然に押しかけた。立ったまま一方的に話し出す。
「ひとまず、油川に侍る兵らの調練を始めたい。合わせて町衆にも参加を呼び掛ける。」
滝本は真剣な顔でこのように訴えてきた。座る奥瀬はというと、当然ながら拒否したい。だがこちらに負い目がある。立場は己の方が上なのだが、滝本の言うとおりにしていれば、おそらく浪岡御所は陥落しなかっただろう事実がある。だが……兵らは良いとして、町衆を……奴らは一筋縄ではいかんぞ……いや兵らとてあのように厳しくやられれば、同じ油川に住む者らなのだから大きくつくぞ。
奥瀬はこのように裏で思いつつも面には出さず、滝本に対しこういった。
「滝本殿……いまや雪が舞い始めた。この油川も次第に積もってきておる。そんな中やるというのはな……。」
滝本は奥瀬をにらみ、さげすむ。こいつはまたはぐらかそうとしている。浪岡衆を外ヶ浜から引きはがすように仕組んだのもお前だし、加えて戦を嫌う軟弱者。お前は本当に武士か、南部家臣か。何を言おうと、また勝手にやらせてもらうぞ……。
そんなことを考えているだろう滝本を見あげ、奥瀬はやるせなさと少しだけの憐みを覚えた。
お前……触れてはいけないところに手を突っ込もうとしているぞ。私とて手を焼いているというに……お前なんぞ何ができようか。心が通い合っていた大光寺の民、従順で逆らうことの苦手な浪岡の民とは違うのだ。油川の民というのは……口をとことん出すし、それに寝技も知っている。一筋縄ではいかんぞ。
滝本は奥瀬が何を考えているかは知らぬ。待ち受ける運命もさらに知れぬ。
2-3 町のことを知らぬゆえ。
滝本重行は油川の中心に位置する熊野宮に居を移す。これは本腰を入れて油川の民を南部の手勢と化し、津軽氏への兵力として組み入れようともくろんでの事であった。もちろんこれは外ヶ浜代官の奥瀬善九郎の意向を無視して行われたことである。
しかし意気揚々と調練を行おうとしたが、滝本は難題にぶつかった。油川は特に商人が占め、その多くが借家に住まう。さらには用が済んだら他の湊へ向けて旅立ってしまうので……純粋な油川民とすれば全体の二割ほどしかいない。ならばその二割はどこに住まうのか、油川城でわざわざ家屋敷や居住人数を把握するための帳簿などない。ならばこちらで新たに帳簿を作ろうと。これでどこに誰が何人で住んでいるか、何人を兵として用いれるか把握できる。
……これまで帳簿が存在しなかったのは、町衆を管理して冥加金をとる必要がなかった故。“自発的”に納めてくる上銭があればそれでよいという緩い対応で奥瀬氏はやってきたからだ。その返礼として油川の治安を守る。町衆が銭を出している立場であるので、少しでも思わしくないことが起きると、たちまち口うるさく要求を掲げてくる。そうでなくても様々な者らが行きかう港町である。些細な行き違いから発する争いなど日常茶飯事。それを中立的な立場より収めるのが奥瀬氏の役目。さらには門徒宗(=本願寺系)で浄満寺、円明寺(=明行寺)、法源寺の三寺があり、多くの町衆がこれを信仰している。中央の感覚でいえば、商人の町である堺と宗教都市の石山が同居しているようなものだ。奥瀬氏はこの二つと常時より接しているものだから、正面から対立しても歯が立たぬことを十分理解している。
その油川の“性質”というものを滝本はわかっていない。慣れ親しんだ大光寺の民、従順で逆らうことの知らなかった浪岡の民。彼らとはまるっきり違うということを。
……滝本は堂々と、彼らの尾を踏んだ。
2-4 嘘も真。
雪の中、滝本の配下が一軒一軒訪ねるたびに噂が立つ。
“彼らは何用で家々を訪ね歩いているのか”
“なんでも、住居録でも作るらしいぞ”
“なぜ?これまでなくても、やってこれたではないか”
“なんでも……どれだけの人数を兵として出すことができるか調べたいらしい”
油川の町衆、冬といえども行きかう人は絶えず、各々の商店へ物を買いに行くのはもちろん、噂を広めるのも得意である。家屋敷にフミグツ(雪用の靴)を脱いで上がれば、火鉢のそばで耳よりの話を語り合うのだ。
“話に聞けば、滝本とかいうやつは浪岡衆を虐め切ったらしいぞ。何人かは船で遠くへ逃げたらしい”
“それはまことか、私が聞いたところでは逃げる途中で殺されたと聞いたが。
本当の話に尾びれが付き、うその話も真実のように語られる。そしてしまいには滝本が大悪人のように語られ始めたのだ。
ならばと町衆、滝本は我らに危害を及ぼそうとしているのかと思い、名のある大商人である小野善右衛門へ願い出て、滝本へ訊ねてみてほしいと頼んだ。善右衛門は快く承諾し、滝本のいる熊野宮へ茶器一式を持って参上する。それはとても寒い日の昼間の事、“これから良しなに”ということで善右衛門は滝本に首を垂れる。すると滝本はこう問うた。
「うむ、せっかくなので武具の購入をお主よりしたい。弓や槍、鉄砲をいくらで売れるか。」
善右衛門は商売用の笑顔のまま値について答える。
「はい。弓や槍はさほど変わらぬ値段でしょうが、鉄砲に関しては十石から。弾薬などは仕入れの量によりまする。」
滝本はそう聞いた途端、険しい顔をしだした。
「……これはお前らを儲けさせるために聞いているのではない。油川を守るためでもあるのだぞ、鉄砲であれば五石で卸せ。弾薬とて調練で大いに使うことになるのだ。」
2-5 無理だろう
小野善右衛門、これはまずいという考えに至った。町衆にこのまま伝えてもいいのだが……十石で売って利益として二石儲けるところを、五石だと。何を言っているのだと。自分だってこの滝本の要求を受け入れるわけにはいかない。
一応は滝本も大光寺城代を務めていたこともあるので、武具が具体的にどれくらいの値段か把握しているだろう。だが滝本にしてみれば油川を守るというのは本当の話であるし、調練によって兵を鍛え、浪岡だけでなく津軽全体も制圧しようと本気で考えている。だからこそ格安で売れと。これはおぬしらの為である。しかし油川の町衆からしてみれば、戦事にさほど関心がない。八割方が外の人間であるので油川にさほどの愛着があるわけでなく、油川がつぶれたら他の商圏へ移ればいいだけの事。
それでも善右衛門は油川で生まれ育った身であるし、名前だって領主の奥瀬善九郎より“善”の字を戴いている。そこで善右衛門は夜中密かに油川城へ伺い、奥瀬へ事の次第を申し上げた。すると奥瀬はこう答えた。“これはあくまで滝本の独断で行っていることであり、私も手をこまねいてみている” 甚だ困った顔で善右衛門へ相談してしまう始末。善右衛門も悩んでしまい、奥瀬氏とは仲はいいし、きつく責め立てる気は起きぬ。しかし何とかしなければ商売が成り立たなくなってしまう。他の者へも何と説明しよう……。
善右衛門は何も収穫なく、城より自邸へと戻った。奥瀬も東門まで出て彼を見送りしたものの、これから起こるであろう事態をどうするべきか。結論が出せない。
滝本に誰かが”止めよ”と強くいえる者おらず、己の信ずるところの行動をやめようともしないし限り、町衆の不信感は増していく。善右衛門以外の商人も滝本から仕入れの話を打診され、“このようなことがあった” と隠すことなく明かした者もいた。彼らも同じように憤る。
油川は発火寸前である。
誰かが瓶を割れば、一気に燃え広がるだろう。
町衆の勝利
2-6 正月となり
この年の正月は、いつもと比べてもたいそう雪が積もった。吹雪こそなかったが、大きい綿のような雪が静かにしんしんと降り積もるのだ。そして門松の上も白く染まって……と思うかもしれないが、油川では門松を飾る文化はない。たまにしめ縄をつけている家もあるが、多くを占めるこの辺りの門徒宗は基本的にしめ縄をつけないらしい。その代わりに大きい屋敷ならば門の柱に紐をつけて松の枝を折った物を結わえておく。大勢を占める借家では松のとげとげしい葉の部分を壁に向かって釘で打ち込む。それが正月を祝う文化であった。
そして日本どこの地域でもあったろうが、寄り合い的なもので大勢の大人たちがどこかの寺や神社に集まって今後の事を話し合う。当然、滝本のことも上がった。言うなれば第一の議題である。どうもこのことに城主の奥瀬様は関与しておらず、”滝本だけをどうにかすればいけそうだ” 誰もが公然と逆らうことを明言している。酒に酔った勢いで彼を罵り、汚らしい言葉で蔑むのだ。
ただしこの時には“抑え役”といえる存在がいて、まあまあと仲間をなだめる。しかしながらその抑え役にしても滝本に我慢しているわけで、次第に些細なたわ言にも同調してしまう。町衆には滝本の悪いところしか見えていない。しかもそれは様々なうわさで増長されている。
……寄り合いが行われていた場所の一つに円明寺がある。(本来であれば当時”明行寺”という名前であったが、呼称を円明寺に統一する。)円明寺では誰かが藁人形を持ち出し、“たきもと”と腹に墨書きし、それを包丁で刺した。周りの者もたいそう酔っているので、止めるどころか喝采を送った。しかしながら酔っているとはいえ仏前である。住職である頼英は厳しく諫めようと人の座るところを分け入り、その者へ対し口で厳しく叱った。すると藁人形を刺した者、“当然の報いだ”と反発し、周りも“そうだそうだ”と頼英をその場より追い出しにかかった。
2-7 油川の尼小僧
年老いた住職が無理やりその場から追い出されそうになっているので、他の僧侶たちは慌てて町衆らを止めにかかった。しかし町衆らもすっかり酔っぱらっているので聞く耳を持たない。そのうちある一人が“住職の頼英は滝本の味方をするつもりだぞ”と囃した。するとまともな判断をできなくなっている者ばかりなので、酔う者すべて騒然とした。笑顔だったものが怒りに変わり、その目線は頼英へと向けられた。……横の頬に汗が流れる。
そこへ一人の尼が突如として駆け込んだ。力ずくで町衆の座るのを押しのけて、紫の袈裟を両手で上げた状態で頼英の元へ駆け寄った。剣幕遥かに恐ろしく、周りの者に大声で怒鳴りつける。
「そんなはずあるわけがない。」
……辺りは静けさを取り戻した。……町衆とて、この人物には逆らえない。住職に手を出そうとも、この尼は……末恐ろしい。なぜなら彼女は領主である奥瀬善九郎の妹なのだから。一度は他家に嫁いだが、性格に難があり戻された。それ以来円明寺に尼として入り、油川の信仰を守る。未だ若く、三十代の半ばくらいか。しかしながら大人物としての風格を備え、町衆の信頼も厚い。名前を妙誓という。……彼女は話を続けた。それも怒鳴りながら。
「住職を痛めつけようとするな。お前らは何者か。誰のおかげで無事平和に過ごせているとお思いか。」
誰もかも、面を上げることができぬ。それは妙誓が城主の妹だからではない。言葉に力があるからだ。……すべての者が平静を取り戻し、彼女の一語一句を聞き逃さまいと耳を傾ける。住職が危ない目に合おうとするところを彼女の力で止めることができた。他の僧侶らも安堵する。
しかし、その僧侶らも次の言葉には耳を疑った。妙誓は……同じ口調で訴えかける。
2-8 扇動
「ただし、皆々の言うこと。もっともなことである。」
尼の妙誓はこのように発言した。誰もが意図するところを知れぬ。寺に集う町衆、仲間うちの僧侶ともに。
「滝本の行いは油川のためにならぬ。各々の生業があるというに、いずれそれを無視して調練とやらに駆り出されるだろう。滝本は武の力にて平和をもたらすと宣うが、その彼こそが油川の平和を脅かしている。」
……町衆は、これは言い得て妙だと喝采を送った。“そうだそうだ”と口々に言い合い、妙誓に賛同の意を示した。そのうねりは他の寄り合いにまで伝わり、“あの妙誓尼がこのように言った。これはもう滝本を追い出すための名目を得たも同じ” ということで町衆の間でとある動きをもたらした。正月早々であるが、武具を揃えるために町衆らは弓槍鉄砲を揃えようと商家を訪ねた。商家側も気持ちは同じなので、格安で売ってしまう。中には半値以下で渡してしまう者もおり、油川は不穏な空気に包まれる。
……当然この事態は油川城主の奥瀬善九郎にも上げられ、これに至った経緯も併せて伝えられた。すると扇動したのはまさかの己の妹だという事実。これにはさすがの奥瀬も激怒した。“いつも平和裏に事を収めようと努力しているのに、それをお前はぶち壊してしまった。今日だって小野善右衛門と城内で話し合っていた時に……今すぐに呼び出せ”
善右衛門も困惑を隠せない。しかしあの尼ならばやりかねないと納得してしまうところもある。“尼小僧”とは言い得て妙だと、つくづく思う。
さて無理やり妙誓は油川城に連れ出されたが、謝る気は一切ない。それどころか兄である奥瀬に対して罵りまくる。
“なぜ兄上は滝本にそこまで卑屈なのですか。どこまで兄上は馬鹿なのですか”
円明寺妙誓
正しくは明行寺妙誓とも。実在の人物である。
個人的には”北の井伊直虎、尼小僧”と宣伝したい気持ち。
油川が津軽為信の領土となってから寺は無理やり弘前へ移されることになった。
他の僧侶らがだまって弘前へ移る中、彼女だけが建物のなくなった寺の跡地で簡素な庵を設けて抵抗した。そして雨風入るその庵で死に果てたのである。その信念は現在の明誓寺へと受け継がれる。
なお商人の小野善右衛門も実在の人物なので、尼小僧と小野政次の関係のように思えたりもする。大変感慨深い。
2-9 喧嘩のすえ
奥瀬善九郎、妹の暴言を聞き甚だ怒り狂う。いままで己が続けてきた苦労を一切ないことにさせられた。どうにかして滝本を抑えようと説得したり、町衆を鎮めようとなだめてみたり。その努力をまさかの妹が無駄にした。扇動した。それでも奥瀬は……なんとか高まる鼓動を抑え、頭にくることやまやまだが……口の片方がいびつに曲がりつつも……教え諭すように妹へ話し出す。
「お前な……何のために円明寺に入れたと思っている。菩堤のある浄満寺ならばなんとか抑えがきくから良いが、だからこそ円明寺にいれたのだぞ。それをだな……自ら盛り上げてどうする。」
妙誓尼は反発した。
「かといって町衆の感じているところは真です。無理やり押さえつけて何が変わるというのですか。」
淀みなく応える様に奥瀬は我慢ならぬ。啖呵がうまく、歯切れがよい。この力で人々は魅了される。それは兄であるので重々承知している。しかしながら……己の意に反するところになれば、これほど気に障るものはない。殴りかかりたい。そこにある火鉢の棒で殴ってやろうか。沸点は暴発する寸前まで上がっていく……隣で静かに座す小野善右衛門も恐れおののき、少しだけ後ろに下がった。
しかし妹は……妙誓は、引き下がらぬ。堂々と兄に対峙したまま。
…………………………
……すると、何か弾ける音がした。奥瀬の中で何かが変わった。怒りがこらえきれなくなったわけではない。……それは、まさかの手段である。
奥瀬は急に静かになり、怒りの表情はなくなった。その代わりに……すべてを悟ったような目つきに変わる。何か憑物がおちたような、不思議な感じ。そして妹にこう言ったのだ。
「もっと焚き付けろ。」
2-10 諸々万事よろし
油川の正月は十一日目で終わる。
その日は天正七年、旧暦一月十一日。船霊祭といい、船の多く集まる油川湊であるので航海の安全を祈願する。この時を以て日常へと戻る。
早朝より船頭は家々を廻り、“モロモロ(=諸々のこと、いかがですか?)″と呼びつけ、家の内側から”ドーレ(=どれどれ、いらっしゃい。)“と言って彼らを招き入れて酒などを振る舞う。しかしこの年はこれだけで終わらなかった。船頭のみならず、商人らや門徒宗(本願寺派)の僧侶など最低でも百人を超す。お祭り気分で参加した外地の者もいたので、千に迫る群衆だったかもしれない。その人の群れは油川の一箇所を目指した。油川町の中心、そこは熊野宮……。滝本重行の屯所である。
町衆は”モロモロ“と外側から大声で叫び、至極一方的なものであった。中の者が酒を振る舞うはずはないし、しかも滝本に従う家来衆は少なく二十名ほどしかいない。壁越しに周りを見てみると弓槍鉄砲とさまざまな武器を持つ者らが大勢見える。目を逸らそうと上を眺めると……からりと晴れた空であったという。雲は遠く北の方に映るが、こちらへは確実に流れてこない。風向きが違うから……ただ、そんなことを考えている暇はない。いや、わざと考えることで現実逃避する。しかし思わず考えることをやめると、代わりに恨みや憎しみが湧いてくる。せっかく教え導こうとしているのに……浪岡を取り戻してやるために調練をすれば逃げていくし、油川の町衆はそれ以前に拒否した。何かいけないことでもしたか……思い浮かばぬ。
……その混乱は三刻も続き、人の群れは勢いを増し続ける。ただただ熊野宮を囲むだけであるが、滝本にしてみれば物凄い恐怖。すると……人波を押しのけて南部の二羽鶴の旗がこちらへ近づいてきた。町衆に止める様子はない。誰だろうと思い門の近くで構えると、騎より下りたのは奥瀬善九郎だった。彼は滝本を乗ってきた馬に跨るように促した。丁寧に手招きし、滝本が対面すると、落ち着いてこのように告げた。
「すでに収まりはしませぬ。このままでは……滝本殿は民に殺られる。しかし滝本殿の心持、私もわかっております。」
”それで……どうしろと”
「はい。ひとまずは私の遠縁がおります田名部へお逃げください。……落ち着けばいずれ、外ヶ浜へ戻ることもできましょう。」
湊で構える船に乗るため、滝本は馬を進める。まっすぐ前の方を見ているが、横へ目を向けると……町衆は己に向けて睨んでいたり、嘲笑ったり。耳には容赦なく笑い声が入ってくる。失意のうちに……用意された船にのり、彼は外ヶ浜の油川湊より追い出された。
これぞ、町衆の勝利である。
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