アオモリコネクト特派員のかんからです。
今日は社会の喧騒を離れ、平和なネタで行きたいと思います!
みなさんは、”久須志” という地名をご存知ですか?
久須志は ”クスシ” と読み、青森市の住所の一つです。
久須志って、よく考えれば不思議な名前……。
他の住所ならわかるんです。古川は “ああ、古い川があったんだなー”。金沢は “沢の近くに金の鉱脈でもあったの?” 浪館は “家の近くに波しぶきが届いたのかしら?” と滅茶苦茶なこと書きましたけど、 地名からどういった経緯でその地名が付いたか、ある程度の連想が可能です。(当たっているかは別として)
でも ”久須志” に限って思いつかないのです。西滝なら、“ああ、西に滝でもあったの?”と頭の中で決着はつくんです。でも久須志って……何でしょう?頭をひねりにひねって……”くすし”ですから、同じ読みの薬師と関係があるのかどうか??真相はどうなんでしょう。そしてふと、昔の記憶を思い出したのです。
そういえば “久須志” は、そこだけじゃなかった。
そうなんです。不要不急の世の中に突入する前に、見つけてしまったのです……。
**元々は記事にすることを想定しておらず、せっかくの写真は久須志の”須”が隠れてしまっている……**
ここは、どこだと思います?
もちろんここで書くからには、青森市久須志ではございません!
なんとなんと、青森中心街から浪岡へ向かう途中。戸門という地域にも久須志を発見!
→→青森市戸門 久須志神社←←
てっきり久須志神社は、青森市の久須志にあるばかりと思ってました
→→青森市久須志 久須志神社←←
もしや “久須志” って、結構いっぱいある?
**戸門の久須志神社より、周りを見渡す**
と思い調べてみると、他にもあった……(笑)
とりあえず、青森市内にも久須志神社をもう一軒発見!©で示されているポイントです。
青森市の南東部、住所は青森県青森市沢山平野130-11。
そんなところにあっても、わからないよ……(涙)
(他には鰺ヶ沢にもあるとか)
4/29追記:読者様からのご報告により、青森市内にもう一つ久須志神社があることがわかりました。この件は久須志第二弾の記事にてまとめて出します。乞うご期待!
さらに全国へ広めてみると……どこにあったと思いますか?
その場所は……
富士山!
マウント富士ですよ、皆さん!!
→→久須志神社 (富士山)←←
なんと”久須志”は、富士山由来だった?
wikipediaから抜粋しますと、以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/久須志神社_(富士山)
元々は薬師堂と呼ばれていた。須走浅間神社が薬師堂の開帳・入仏などを行っていたため、基本的には須走浅間神社が管理していたものである。気候などの影響により建物が朽ちていたため、元禄15年(1702年)には浅間大社が薬師堂を造営している。
しかしこの入仏の権利などを巡り、大宮と須走が争った経緯などもある(元禄の争論)。安永の争論においては安永8年(1779年)の幕府裁許状により、薬師堂の開帳や扉の封印は須走浅間神社神主が取り計らい、浅間大社の僧侶による開帳の際は銭200分を受け取ることなどが決められた(「富士山を巡る争い」を参照)。
つまるところ薬師堂が、当て字の久須志に変化したらしいです。薬師は “くすし” とも読みますので。
でも青森市内には久須志神社が三か所あります。なぜ今の久須志だけが久須志という住所になったのか。しかもその住所を名乗っているのは、富士山からはるか離れた青森市だけです。
謎がさらに深まりました!
何か知っている方は、情報提供をお願いします!!
↓↓そして解答編はこちら↓↓
真実が明かされるのです……。