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アオモリコネクト特派員のかんからです。
先日Facebookのアオモリコネクトページで使えそうなネタを探していた時のこと……。
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よく昔から言われてるネタとしては、岩木山を見る方向によって形が違うということでしょうか。でも #逆さ岩木山 に注目する発想はなかったな~と思い至ったわけです。これ、きれいですよね~✨
【あなたはどの方角がお好き?】見る方向で姿を変える岩木山 – まるごと青森 (marugotoaomori.jp)
さて本日のお題は?
津軽富士・岩木山の名前の由来は、山の上半分が岩で覆われ、下半分が木で覆われているから『岩木山』と呼ぶようになった。弘前市から見頂上付近の形が女性が寝ている形に似ていることから“女の山の神”がいるとされ、女性の登山客が来ると山の神が 嫉妬して事故が起こりやすいと言われている。
— 田中健@看護師♪ももクロ祝典ツアーようこそ青森県南部町へ♪一生ももクロ紫推しタカノフ (@t_dream_network) November 20, 2010
岩木山の紅葉が少しづつ、始まってきています。
さて、その岩木山の名前の由来を知っていますか?藩政時代の日記には、「岩木山」という字が既に使われていました。
語源には色々な説があります。
説①アイヌ語の「カムイ… http://t.co/4i7YgLdFxC— 弘前市シティプロモーション (@hirosaki_promo) October 10, 2013
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藩政時代の日記には、「岩木山」という字が既に使われていました
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語源には色々な説があります。
説①アイヌ語の「カムイ イワキ(神の住むところ)」からきている。
説②アイヌ語の「イワーケ(岩・所)」がなまった。
説③「イワキ」には元々「石の城」という意味があり、そこから付けられている。 …等です。
アイヌ語の「イワ」には祖先の祭場がある神聖な山という意味があったともいわれており、古くからの岩木山は信仰の山だったことが うかがえますね! 岩木山の紅葉が少しづつ始まってます(2013.10.10) – いいかも!!弘前 ~弘前シティプロモーションサイト~ (city.hirosaki.aomori.jp)
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みなさんは岩木山の名前の由来について考えたことはありますか?昔から当たり前のようにその名前なのですから、別にわざわざ考える必要もないことですけど……けっこう説はあるんです。定説というのが決まっていないので、改めて考える余地が残されているとも言えます。
ここで提唱しよう、岩木山の語源は福島県説を。
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なぜ福島県?!?!という話になるんですけど、根拠を一つ一つ確かめて行きましょう(笑)
旧国名=磐城国で、いわき市もある。
いわき市の位置 | いわき市役所 (iwaki.lg.jp)
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イワキという呼称は福島県にも存在しており、古くは律令制時代718年に定められた #石城国、明治元年施行の旧国区分でも定められている#磐城国 に見て取れます。今でいうところの福島県浜通り全域と福島県中通りの一部が磐城国であり、その南部地域を中心に現在の #いわき市 が形成されております。
なお “いわき山” という山自体は福島県には存在しませんが、磐城国全体が丘陵地帯で全体を占められており、その山々のことを総称して #イワキの山 と呼んでも不思議ではありません。
ちなみに磐城国の中には石川郡も存在しております。石川というと弘前市にもありますね。
JR常磐線というネーミングは偶然か?
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常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。「本線」を名乗らないJR線の中では、最も長い路線である。
名称については、令制国の常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたものである。なお、磐城国は明治令制国(戊辰戦争後の令制国)である。
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つまり常磐線というのは常陸国(茨城県)と磐城国(福島県東部)を掛け合わせたネーミングなので、いくら青森県に常盤村が存在していたとしても偶然の一致でしかないのですが……。
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この経緯に由来して、茨城県と福島県浜通りの県境に当たる勿来近辺(北茨城市からいわき市の南半分)は「常磐地区」と呼ばれることもあり、1954年から1966年のいわき市成立までは、湯本温泉周辺を中心とする常磐市(じょうばんし)が存在していた。また、水戸市では常磐町・常磐大学・常磐神社といった、同じ字で「ときわ」と読む地名や施設なども存在する。
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こういう話を持ってこられると、福島県浜通りに住んでいた人たちが青森県津軽地方に集団移住してきた可能性もなくはない……?ちなみに角川書店の青森県地名大辞典によると、青森における #常盤 という地名は近世以降になってから使われ始めたそうです。
ちなみに旧常盤村とは別に旧岩木町にも #常盤野 という地名はあります。
相馬氏は磐城国の大領主様
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相馬氏(そうまうじ、そうまし)は、日本の氏族のひとつ。中世から近世にかけて下総国北西部(現在の千葉県北西部)や陸奥国南東部(現在の福島県東部の浜通り夜ノ森以北)を領した大名の氏族である。桓武平氏将門の子孫。通字は「胤」(たね)。
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そういえば岩木山周辺にも #相馬村 って昔ありましたよね。位置的に言えば岩木山の南東、相馬の名前が使われ始めたのは中世以降なのだそうです。
共通項は、たくさんあった。
天気晴朗ナレドモ風強強シ#岩木山 #弘前市 #イマソラ pic.twitter.com/ZfFoIensTO
— ためのぶ津軽人 (@Tamenobu1968) May 8, 2022
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さてさて、こうして珍説が生まれてしまいましたけど……ね(笑)
つまり福島あたりの人が青森に移住してきて、郷里のことを懐かしんでイワキ山と呼び始めたのではないか……という説でございました。福島にまつわる地名が青森に散見されることから裏付けられるのではないでしょうか。さらにいえば蓬田岳は福島県に存在しているし、十三福島城という中世史で有名な拠点も青森にはあったりします。(ここまでくるとこじ付け)
北国というのは基本的に遠くから逃げてきた人が多く住みつく場所。。。
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これを信じてしまうか、偶然の一致とみるかは……あなた次第。
案外ね……福島から青森へ移ったというより、福島イワキと青森イワキの語源が同じかも?同じアイヌ語由来で結果的に同じとなったと。