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堤氏復帰
3-1 滝本出奔
奥瀬氏の事に関しては菩提のある浄満寺に残っているかと思いきや、津軽為信が油川を制圧した後に潰されたのでほぼ残っていない。なので前章で書いた油川での騒動が本当の事かはわからない。一方で滝本重行の痕跡は外ヶ浜地域にしっかりと残されている。何よりも最期を迎えるのは表題にある六羽川での合戦ではない。……ということは一度外ヶ浜から追い出されたものの、不本意なことで再び舞い戻る。それは油川の町衆にとっても嫌な事。……この話は最終章に譲る。
天正七年、旧暦一月十一日に起きた騒動。奥瀬善九郎は外ヶ浜を統括する代官であるので、事の次第を主君である南部信直へと伝えた。文章には滝本の罪状が数多く書かれ、意図的に嘘も散りばめられた。田名部(むつ市)へと船で逃れた滝本であったが、そのようなことが起きていようとは思いもよらず。結果として新たに土地があてがわれることはない。これまで保っていた力は、なんとも薄っぺらなものだった。剥がされてしまうと、何も残らない。
津軽為信を倒すという目的で、様々な者らを糾合し運命に抗ってきた。しかし……すべてに見放された。南部家にさえも。だが……滝本という男は、まだ諦めなかった。とても寒い北の土地ではあるが、ここで人生を終えるという選択肢もあったろうに。すべての揉め事から解放され気は晴れやかに、山に登ればきつい硫黄の匂いで全てを忘れることもできるだろう。
だが、滝本は諦めない。宿敵津軽為信を討ちはたすのが己の役目。これを果たすべく行動しなければならぬ。そこで……滝本はある決断を下す。
”出奔”
南部家より抜け出し、新天地に可能性を見出す。
同じくして滝本が外ヶ浜より追い出されたことによって、もう一つの事態が動き始めた。油川で起きた騒動により、奥瀬自身も責を負うこととなった。これは彼の想定していたところである。
3-2 ひと段落し
さて静けさを取り戻した円明寺(=油川明行寺)。奥瀬善九郎は己がいつも使っている専用の和室にてくつろいでいる。寺の中には庭があり、そこは建物で囲まれるように存在する。池は雪に閉ざされ、横にある松の木は藁で覆われて円錐の如くである。
火鉢に体をあて濃い目の茶こそ飲めど、やはり寒い。棒で炭をつつき空気の通りをよくし、またあるときは目をつむり無を楽しむ。
……奥瀬は外ヶ浜代官という役目から外され落ち込むかと思いきや、逆に肩の荷が下りたようで清々している。……ではあるが、実際に裏で指揮するのは己に変わりない。ただし今は一介の油川城主でしかない。さまざまな混乱を乗り越えて油川を守ってきたし、これからもそうであるのは変わりなく。表の役割も信頼ある人物に任せることができた。一月十一日の騒動を意図的に起こし、事がおさまるときの絵図も予定通り。あとはこれを既成事実化するだけ……。
そんなことを考えていると、縁側より妹の妙誓尼がやってきた。庭に向けて開け放たれた襖より顔を出す。そして呆れたように言うのだ。
「はあ……兄上は温まりたいのか寒いままでいたいのかわかりませぬの。」
火鉢で温まりつつも、外気が容赦なくはいてくる状態。庭こそ見て楽しめるだろうが、今は冬である。粗雑な麻の着物を何枚も重ね着しているようであるが……ただし値のはる装束を着けぬところは兄上らしい。奥瀬は妹に言う。
「妙、せっかく楽しんでいるのだ。つべこべ言うな。」
“妙”とは妙誓の昔の名前。出家前は奥瀬妙と言った。妙誓はわざわざ言い返さず兄の横に座り、一緒に火鉢で温まりだす。そこへ遅れてやってくるはずの者が一人。これは妙誓も知っている人物……それも死んだはずの。
3-3 因縁の家系
兄妹して共に火鉢で温まり、庭の景色を楽しむ。これでは温まりたいのかそうでないのかわからぬ。だが妹の妙誓はわざわざ言い返さずに、そのままにしておいた。……すると上の方より静かに小雪が舞い始めた。妙誓はちらりと横の兄を見やるが、兄の奥瀬は何もしようとしない。とりあえずそのままだが……これでは風邪をひいてしまうと妙誓、突然立ち襖をすべて閉めた。
奥瀬は妹の様を見て苦笑する。
「妙……妙は変わらぬのお。」
妙誓はわざと横向きで文句を言う。
「兄上こそ。大切な御身なのですから。」
ため息をつき、再び兄の横で火鉢にあたりだす。すると奥瀬は火鉢の棒を妹に渡し、頭がかゆくなってきたので……少しだけさわり、手を櫛のように使って髪を整える。思わず少しだけフケが舞う。妹は呆れる。……兄とは違う方を見てみる。奥瀬はお構いなしにそんな妹に対して語りだした。
「今日は幽霊が出るぞ。」
何を申しているやら。妹はそう感じるが、兄は話を止めるそぶりはない。
「このたび南部家の意向でな……油川、ひては外ヶ浜の秩序を回復するには、旧来の権力を持ってあたるのが一番良いと。」
火鉢は少しだけ勢いを増した。
「故に、外ヶ浜代官の職に堤氏が復帰することになった。横内城主に戻る。」
“えっ”と思わず妙誓。兄の顔を見るが……嘘をついているようではない。
「そうだろうの……。堤氏はあの津軽為信と縁戚。正確に言えば……大浦家の先代、大浦為則の娘が堤則明に嫁いだ。だからこそ為信が決起したとき謀反の疑いをかけられ……誅殺された。」
はっとさせられた。“幽霊”の意味を。もしかして……私の本当に好きな人が……縁側より足音がする。
3-4 恨み抑え
外へ通ずる襖は開け放たれた。そこには長身の男、上品さというものはあまりないが、武骨すぎることもない。外ヶ浜で生まれ育ったのだなと感じさせてくれるような、強い風をあまり受けぬように目は細くなり、寒さを耐えるために顔をくしゃっと真ん中に寄せるためか顔立ちは彫深くなる。
表情はにこやかであった。久しく見る妙誓へ照れくさそうに会釈をする。妙誓は少しだけ慌てるものの、座ったまま頭を少しだけ下げた。……その男、堤則明は襖を閉め、彼女のそばに座る。火鉢の周りを円で囲むように奥瀬と妙誓、則明がいる。
「……このたび、則明殿は堤氏の遠縁として横内城主と外ヶ浜代官の職におさまる。」
奥瀬はこう説明した。“則明”という人物は死んだことになっているのだから……。でも、うれしい。妙誓の心は晴れやかだ。しかし則明はというと明るい表情とは裏腹に、言葉は全く違う。
「南部のしたことは忘れぬ。家族をすべて殺したのだから。」
……肝が冷える。
「こうして、奥瀬殿に私だけ助けていただいた。だからこその今がある。南部のためには尽くさぬ。奥瀬殿のために尽くす。」
堤氏は大浦家と縁戚であったために、為信決起の際に疑われて誅殺された。則明の妻は為信の義妹、大浦の戌姫の妹。当然、妻は殺された。子供らも殺された。兄弟や年老いた母親も。恨むなというほうが無理だ。……奥瀬としても一人匿うだけで精いっぱいだった。……則明は言う。
「私はこれより“堤則景”として生きる。“明”の字を捨て、“景”だ。あくまで顔立ちの似た遠縁の男、武者修行帰りの。」
日の当たる明るいところは消えうせ、陰日向、いやすでに太陽は沈んだので“陰”なのか、日が当たらぬから“影”なのか。
3-5 政略
「して……いまだ横内に留め置かれている大光寺殿の遺子は。」
奥瀬は堤則景に問う。滝本重行を田名部へと追いやったが、彼の主筋にあたる大光寺氏の幼子は横内へと取り残されてしまった。だがこのまま留め置くにもいかない。……則景は少しだけうなり、かといって答えを返すわけでもない。すると奥瀬は続けて言う。
「ひとまず七戸隼人殿の預かりとして、福舘(平内町)へ移そうかと考えるのだが……よいか。」
則景は頷いた。横の妙誓はだまって聞いているだけ。男どもの政治的なやりくりに興味なく、則明……今は則景か。生きていたことへの嬉しさと彼の奥底への恐れ。さまざまな想いに心は捕われ、どう表せばよいかまったくわからぬ。
彼女の想いとは別に、男どもの話は進む。そして奥瀬は言った。
「このたび外ヶ浜の平和のため、さらには津軽為信へ事を優位に進めるため、……きついだろうが則景殿には嫁をとってもらいたい。」
則景はすぐに“わかった”と応じた。しかし……なんだろうか、本心でないことはわかる。妙誓にはわかってしまう、心の動きが。昔の馴染みなのだから。さらにいえば知らない他人と結ばれるよりは私と……。尼なんかになりたくなかったし、今すぐにでもこの袈裟を脱ぎ捨てたい。彼の想いなんか無視して口走ってしまおうか……。
奥瀬は則景に語り続ける。
「浪岡北畠の旧勢力で態度を決めていない奴らがいての。津軽軍の侵攻を受けなかった地域、大きいところ二つだが、そのうちの一つ飯詰朝日氏より嫁を迎え入れていただきたい。」
……すでに事は整っているのだろう。妙誓は男どもの真剣な話の裏で落胆した。
さて今の五所川原より北方にかけて浪岡北畠氏の旧勢力が残留していた。岩木川沿い近く山際の拠点に諸氏があり、代表的なものとして飯詰朝日氏と原子菊池氏が存在する。一応は津軽為信が設けた傀儡政権である水木御所へ属する形には至ったが、為信に挨拶へと伺うわけでもなく様子見に徹してみた。この二氏が動かないとなると、さらに北方の諸氏は何もできない。
ならばこれまで通り南部の助けを借りるかと思いきや、直接つながる交通路は浪岡が落ちたので津軽氏に遮断されている。いまでこそ県道26号線が存在し油川と五所川原を結んでいるが、これもあくまで明治時代にできた新道である。残されたルートは岩木川を下流へ、海路で津軽半島を十三湊より竜飛、三厩、蟹田、そして油川へと遠回りするほかない。なのでいざというときに助けを求めることができるか……危ういところである。
それでもこの婚姻によって飯詰朝日氏ら諸氏は南部方に付くことを決断。二方面より同時に動き、挟み撃ちにすればこの上ないこと。威圧をかけるにも十分だ。
津軽為信の敵は一つ増えたのである。
そして、あろうことか南にも……。
トサームを求め
3-6 謁見
その日は快晴であった。夜の吹雪はなりをひそめ、白のみで構成されていた外界はさまざまな色で彩られている。鮮やかな青い海の色、そこに浮かぶ無数ある船の、難しい言葉でいうなら一番近いのは萱草色か、あの材木になりたての新鮮な色よりは少し外気に染まってしまったような感じ。あとは土塀の白色、金毘羅様の赤鳥居など輝きを増す。
安東愛季、”いよいよ参ったか”と後ろに家来衆を従えて城内の廊下を練り歩く。横の小窓より差し込む日の光は明るく、望みが達せられうる予感を匂わせた。この脇本、秋田や野代も町衆は盛んで極め、商いへの欲を隠さずに出す。港は大船小船の出入り激しく、日ノ本随一の繁栄を謳歌していた。これは愛季が設けた鋤簾衆による湾口の整備はもちろんのこと、武力と資金力を背景として周辺豪族を実質的に従属させることに成功していたことによる。
……“さて、次はトサームよ”と心の中で愛季は唱えるのだ。“トサーム”とはアイヌ語で“静かな湖のほとり”。十三湊の語源だ。はるか昔、安東氏は十三湊を拠点として北奥に大勢力を誇っていた。それが南部氏に追い出され蝦夷地へと逃げるに至る。その後なんとか秋田にて勢力を回復し、……今こそ十三湊ひいては津軽の地を取り戻すチャンスである。今や十三湊はかつての名前“トサーム”の如く“静かな湖のほとり”に落ちつぶれた。なんとかして往時の栄えをもたらすのが私の使命。もちろんすでに大義と名分はある。津軽為信によって追い出された浪岡北畠の残党はこちら秋田側へと逃れ、助けを求めてきた。なによりかわいそうなわが娘。子を連れて服などぼろぼろで戻ってきたことは今でも思い出せる。……かつての同盟者ではあるが、もう許せぬ。為信は周りに味方がいないので、攻め込めば確実に勝てる。……だがわが方で兵を動かせば、周りの勢力がその隙をついて自領へ攻め込んでくるやも。
そこで、本日の時を待ち望んできたのだ。
3-7 名分、貴く
凛とした空気。ただし外に比べたら少しだけ暖かい。冷たい風が体にあたらない分そうであるが、暖かいといえどもヒンヤリとしたなにかを感じる。それは城の大広間が広すぎるせいなのか、はたまた緊張より生まれるものなのか。
中央より来た使いの者は上座にて勅諚を読み上げる。安東愛季並びにその家来衆は下座にて平伏してその声を聴き入る。……勅諚と申しても朝廷からの使者ではないが、すでにそれと同義。……天下に権勢を誇る織田信長、その三男である北畠信意(後の織田信雄)の家臣、田丸とかいう男。貴人の血筋らしく武人とは違う気品あふれる顔つきをしている。そんな彼は愛季らに対して勅諚を読み上げる。
「安東氏が浪岡北畠の御子を守りたること、まことにあっぱれなこと。総元である伊勢北畠、わが主君もお喜びである。」
甲高い声が響く。
伊勢北畠氏は浪岡北畠氏の本家筋。ただし血統自体は切り替わっており、すでに織田家の家門の一つである。安東氏は毎年のように織田家に多額の献金を行っており、その返礼としてこの度はあちらより使者がやってきた。やってきたこと自体が中央とのパイプの誇示になるし、なによりポイントは北畠総元の家臣が来たということ。……田丸は続きを読み上げる。
「わが主君は御子が浪岡の旧領に復帰すること、たいそうお望みである。これを妨げようとする者は天下に対する逆賊である。」
家来衆の誰かが感嘆の声を漏らした。するとすぐ横より“静かに”と制せられる。
「このこと、周りの諸氏に知らせるべきところである。なお北畠の御子を守りたることの褒美として、汝に北畠の家門を名乗ることを許す。」
……予想以上の成果だ。愛季は顔こそ神妙に聴いているが、内心は喜びですべてが占められている。笑いが絶えぬ。
3-8 再起へ
……これで大手を振って出兵できる。己自身が兵を率いるか、代わりの者が先頭で指揮をするのかはいずれ決めるが、これぞ念願が叶ったと同然。
安東愛季は織田家からの使者を丁重に送り出すにあたり、脇本の港にて数多くの旗を掲げる。扇の旗と木瓜の旗が交互に入り乱れ、民衆に両家の結束をアピールするのだ。大陸物の銅鑼を叩かせ、大船が今にも出航せんとする。
愛季の横で立つのは石堂頼久、旧浪岡北畠家臣であり、こちら秋田へと御所号の御子、つまり愛季の娘と孫を連れてきた名誉ある者である。……次第に風が強まり、寒さをあからさまに感じさせてくる。二人にも当然のように風は吹きつけるのだが、凍えるどころか熱気に包まれているかのよう。
“雪解けし、田植えが終われば いよいよ”
“うむ。その時はおぬしが先頭に立つか”
きっとこのような話でもしているのだろう。そのうち織田の使者が乗る大船は港より次第に遠ざかっていく。延々と銅鑼は鳴り響き、船が点になるまで続けさせるつもりだ。……少しうるさいなと感じるくらいが丁度よい。
石堂は愛季にいう。
「はっ……しかし私なんぞより適任はおりますゆえ。」
「ほう、どうせ油川から来た北畠顕氏殿か。いくら御家門とはいえ、戦のする気のない者に任せるわけには参らぬ。」
確かに安東が津軽に攻めかかるということは、津軽為信に属した旧浪岡北畠の勢力とも争うことになる。かつて浪岡を守ろうと共に努力したものが同士討ちしかねない。……なので逃げるだけで戦には出たくないという者らも一定数いた。それでも、石堂は強く推す。
「私が決意させます。この命をかけてお約束いたします。彼が動いてこそ……水木御所の者らも手を結ぶというもの……。」
3-9 まさか
石堂頼久は北畠顕氏に説得を続けた。しかしながら彼は首を横に振るだけ。彼が動けば各地に散らばる旧浪岡北畠氏の者らを糾合することもできようし、北畠同士が戦場でぶつかるわけにはいかぬので……水木御所、すなわち津軽為信の設けた傀儡政権の面々も考え直す。後は我らと裏で手を結び……どこかのタイミングで安東へ寝返ればよい。北畠の御家門が自ら戦場に立つとすれば、あちらは必死にそれを避けようと動くはず。そのきっかけとして顕氏が表に立つことが必要なのだ。
だが顕氏は応じず。そのうち……安東軍の先遣隊は比山氏が動かすことに決まり、勝ちが見えてきた時点で安東愛季も津軽へ乗り込むことになった。北畠は本隊におらず。それだけならよい。秋田に逃げてきた旧浪岡北畠氏の意志は統一されず、添えの軍勢としての合力……。一応は浪岡奪還が名目なのだから、戦場にいなければならない。ただし頼りにはされていない。
……あくまでそれだけならよい。それは……冬が過ぎ去ろうかというときに起きた。まさかというべきか、お前は南部家臣であったろうに。
滝本重行は安東愛季の元へはせ参じた。
愛季はたいそう喜び、滝本もそれに応えた。
“南部家臣の中には主家に対して不満を持つものも多い。津軽為信に領地を盗られてより奪い返すのを待ち望んできたが、いよいよもって主家は動かず。安東氏の元で領地を取り戻してやると保証しさえすれば、南部家臣という立場を捨ててでもはせ参じる者はきっと多いはず……”
さて滝本の呼びかけに応じて、南部領より脱して多くもの将兵が秋田へとなだれ込んできた。彼らで一軍をなし得るほどに。
滝本が秋田へやってきたことに一番驚いたのは顕氏であった。油川で仲間らは彼に“調練”という名目で苦しめられて、こちらへ命がけで逃避行したというのに……。また会う羽目になった。
3-10 奴だけは、ならぬ。
最近では……安東愛季様は北畠勢も滝本重行指揮下にいれて出陣させる心づもり。滝本指揮下に入れば……再びあの地獄のような日が始まる。そうさ、他の南部人らは主家を捨ててまで敵方である秋田へとはせ参じた。領地を取り戻そうという一心で。きっと滝本の調練を懸命に受けるだろう。そして屈強な兵となる……。
だが北畠顕氏の連れてきた者らにとってそれは地獄でしかない。苦しめられ、痛めつけられ、そうして油川から秋田へと逃げてきたのだ。生命の危機を冒してまで。それを何が楽しくて調練を受けねばならぬ。
石堂頼久はそんな顕氏に詰め寄る。
「あなた様が“北畠は滝本指揮下には入らぬ。私自ら北畠勢を率いて戦場へ向かう”と宣言しさえすれば、回避できること。それにこのままでは戦に勝っても、滝本の発言力が増すばかり。滝本に津軽を任せてはたくはないでしょうに。」
……顕氏は必死に悩んだ。そのうち不眠になり、夜と昼の区別などつかぬ。外が寒いのか暑いのか。きっと寒いだろうが、体が異様に熱いせいで、わけがわからない。
……疲れ果てて、とうとう寝床ではない廊下の脇でバタリと倒れてしまった。周りの者は慌てて彼を介抱し、力の失せた体を二人がかりで運んでいく。……数日動かないまま、目を覚ますことがない。ならば仕方ないと石堂は立ち、私が先頭で北畠勢を指揮すると愛季様に申し出ようかと城へと向かおうとした。その時……顕氏は目を覚ます。
夢を見ていた。祖父が浪岡の独立独歩を唱えていたころを。あのころは南部の人形ながらも土地と人民が在った。いまはそれすらない……。顕氏は決断した。名前を変え、これまでの自分も捨てる。……浪岡を滝本の好き勝手にはさせぬ。
祖父の名前は北畠顕範。読みを同じくして顕氏より改め、北畠顕則と名乗る。先頭に立って、津軽の地に戻る。浪岡が誰にも左右されぬ日を目指して。
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