【小説 津軽藩起始 六羽川編】第四章 津軽為信、和平を探る 天正七年(1579)田植前

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避けるために

4-1 氷開き

岩木山の周辺には、“氷開き”という文化があったという。地中深く大きな氷を藁に包んで隠しておき、田植えの前にそれを取り出す。そして5㎝方形で割り、個々人の口に入れて食べる。食べきることで健康長寿を願い、今年のコメの豊作も願うのだ。

 岩木山は旧来より大浦家の領内であったので、領民の団結や領主への忠誠心を高めるためにこのイベントを利用してきた。そして津軽為信の代になって以降、“氷開き”を行う場所は増え、新しく領国となった石川や大光寺、さらには遠く浪岡でも岩木山より採った氷を埋め、春になって取り出すのだ。

 ……さて、ここは為信のおひざ元である大浦だが、城下にある大きな商家の一室にて、とある二人が目の前のお椀に入った氷を見つめている。一人は大髭おおひげを蓄えた侍。動きやすいだろう薄い青の爽やかな筒袖つつそで。彼はもう少しで三十を越すか越さないかの歳塩梅あんばいである。もう一人の歳は少しだけ多い。寒がりな様で何重も白っぽい着物を身に着けている。なぜか顔つやがあり、少しだけ上品さも感じさせる。

 いったい、この二人は何をしているのか。氷が目の前にある以上、きっと他の家々でもやっているだろう氷開きだ。すでに切り分けられている氷がお椀の中に入っている。碗は二つ、しっかりと氷は冷えたままで、底はまだ濡れていない。

 大髭の侍、津軽為信はいい加減先に食べようと手を出そうとした。それをもう一人の男、商人の豊前屋ぶぜんや徳司とくじが手を口の前に無理やり出して為信の食べようとするのをめる。そのさまはなにやら友人が悪ふざけをしているかのような、仲の良さを感じさせる。そのうち為信は無理やり氷を口の中に含んでしまう。続いて徳司も氷を口の中に入れた。二人は互いの顔を見てニヤリとするのだが……そのうち徳司は耐えられなくなり、口よりポロっと氷を出してしまうのである。

4-2 じょっぱり

 口の中の氷がなくなると、二人は無言になってしまう。部屋向こうの軒先からは小鳥のさえずる音が聞こえ、暖かい光が優しさをもたらしているようにも思える。

 ……どちらかが話し出さねばならない。そうすると……やはり戦場を駆け巡る男であるので、為信の方から勇気を出して口を開くのだ。

「安東は、やはり動くか。」

 真顔で訊くと、真顔で返される。

「動きます。止まる理由がありませぬ。」

 さらに言うならば、周りが止める理由もない。

「……それで、お主から話を通すことも。」

「何を材料に。」

「いや……いまさら浪岡を手放すなどできぬ。」

 豊前屋ぶぜんや徳司とくじは少しだけ目を下に落とす。そして近くを通りがかった手習いを呼び、氷のなくなったお椀に熱い茶を入れて持ってくるように頼んだ。手習いは急いで遠くへ駆けていく。すると徳司は話す。真顔のまま。

「浪岡がそのままならば、代わりに安東といえは海でしょうな。」

為信は少しだけ前かがみに詰め寄る。

「海というと。」

「領土の港を差し出す、例えば深浦ふかうらあじがさわ、そしてすたれたとはいえ十三湊とさみなと。どれかかもしれませぬし、どれも全てかもしれませぬ。」

「それはできん。」

 即座に返した。鯵ヶ沢は津軽家の重要な収入源であるし、深浦はそれに劣るが防衛の意味でも欠かせぬ。十三湊は岩木川下流の最終地点。そこを抑えられると平野のさちは干上がる。利益を生まぬ荒れ野と化す。

「本当にそうですか……正しく申せば、十三湊はいまだ殿の領国ではないし、しいていえばだれの土地でもない。そこへ安東を招くだけ。それだけで安東は満足するのですぞ。」

 だがそれはすなわち、津軽家は安東へ従属するも同じ。十三湊を中心に海路をすべて抑えられるのだから。領土は保てど、手足をもがれたも同じ。

4-3 すべてを無に帰すか

 豊前屋ぶぜんや徳司とくじはこれまでの真顔から淋しそうな顔に変わった。ちょうどその時、襖の向こうより手習いがお椀にお茶をもってきた。……湯気がモクモクと立ち上がり、徳司の好むであろう少し熱めの温かさだろう。それをゆっくりと口につけるのだ。……呑みながら為信の顔を見る。彼は目をつむって、”終わる”のを待っている。徳司はさも悲しそうに為信に言った。

「これでは……なんともできませぬ。」

 為信も“そうであろうの”と、少しだけ気を落とす。もし己が浪岡を攻めていなければ……もしくは亡き御所号の御子が秋田へ連れ去られていなければ。歴史のIFなど語ればきりがないが、どうしても思考はそちらへ行ってしまう。……徳司はいう。

「なにもこのんでいばらの道を歩む必要はないのです。津軽の民が“氷開き”だからといってわざわざ冷たい氷を口に含む必要ないのと同じで、最初から温かい食べ物か飲み物でも体に入れていた方が健康的でよいでしょう。それをなぜ、まだ寒い春先にわざわざ冷たい刺激のあるものを選ぶのですか。なぜ為信様は戦さの起きる道を選ぼうとなさるのですか。」

……もう引けぬものは引けぬのだ。仮にも安東殿が私と同じ意志を持って民に平穏をもたらすかわからぬし……そこは彼も為政者なのだから、一応は取り組むであろう。ただし従ったとして権益を取られた後の我らはどうなる。夢希望はなく、一生使い走りのような生活。暮らしは貧しくなり、富は秋田へと吸い上げられる。そのような暮らしを認められるか。我が家臣だって津軽の民であるのは変わりないし、津軽家という存在が弱まれば年貢だって上がるだろうから百姓は嘆き苦しむ。……かといって戦さを起こして津軽家自体が滅びれば元も子もない。家来衆の家族は路頭に迷うし、これまで築いてきたものがすべて滅びる。民のために取り組んできた“防風”と“治水”の政策だってどうなるかわからない。

4-4 手切れ

「それが、“じょっぱり”よ。」

 為信はわざとにやけて、徳司とくじに言ってのけた。“じょっぱり”とは津軽弁で意地っ張りという意味。どのように説得されても結局は何も考えを改めなかったさまをいう。津軽にはこのような気性の人物が多いとされ、無駄な争いというのもそれ相応に繰り返してきた。戦さを起こさない方が得策であっても、争う方を選んでしまう。……為信の生まれは津軽でないはずなのだが、地方の風情に染まってしまったのだろうか。

 豊前屋ぶぜんや徳司は一つため息をつき、飲み終わった後のお椀を下に置いた。そして為信に言うのだ。

「私のような秋田人には、わかりませぬなあ。」

 さもわざとらしく、あたかも分かり合えぬ他人のように言う。裏には行き着く先の哀しさを隠しながら。

 ……豊前屋という商家の本店は秋田にあり、かつて為信の求めに応じて大浦城下に支店を出した経緯がある。安東氏ともパイプがあるのでかつて安東と津軽(大浦)とで同盟を結ぶ上で重要な役割を果たした。

 だがこのたびの一件。安東は津軽との盟約を手切れとし、為信は何とかして戦さを避けたかった。だからこそ徳司と話しているのだが……長年に渡り親交を深めるうちに、歳の近い友達のようになっていた二人。これより先は、同じようにはいかぬ。

「……手元に届いた文章もんじょうには、安東は津軽を監視するためにこの屋敷に人をよこすそうです。大浦城下の拠点であれば、情報も多いでしょうから。……すると、為信様はこちらにいらっしゃらない方がよろしい。殺されでもされたら申し訳ないですから。」

 為信は先ほどまでのわざとらしいみを真顔に戻す。ゆっくりと頷き、……名残惜しそうに徳司へ話すのだ。

「次来るときは、安東へ従属を申し出る時だな。」

4-5 民は、あり続ける

 津軽家中には、商家の豊前屋ぶぜんやを潰せとの意見がある。元々はあじがさわの商家長谷川の勢いを削ぐために招いたのがきっかけであった。当時大きいところの商家は長谷川しかなく、不当に値を釣り上げても誰も文句を言えない状況。しかもその裏にはまん次党じとうと呼ばれる浮浪集団が存在し、積極的に他国者や不埒者を取り込んで勢力を拡大させていた。その勢いを削ぐために一定の役割を果たしたのが豊前屋であった。豊前屋の登場により二大商家は利を争わざるを得ない。次第に値は下がりゆき、民の暮らし向きも改善されたという。

 ただし豊前屋の本店は秋田にあり、安東氏の意を大いに受けている。万次党も津軽家中に取り込めた今となっては、敵方安東の拠点がおひざ元にあるというのは至極危険なこと。最悪のことを考えれば、戦う前に大浦城が火の海になることだってある。兵らを密かに送り、手薄になった隙でも狙って放火しまくればいいのだから。

 ……かつて為信も似たような手を使ったことがある。浪岡攻略戦において商家長谷川と手を結び、あらかじめ浪岡へ進出させた。そこを津軽家の拠点として大いに利用し、賭け事にはまった亡き御所号ごしょごう北畠きたばたけあきむらを捕えたのはかの屋敷だった。

 だからこそ豊前屋を潰せという。同じことをされてはかなわぬ。

 だが、為信は強く拒否した。

“我ら津軽家が滅び去ろうとも、民草はそのまま同じ場所に残る。豊前屋を潰してしまえば商家長谷川は昔のように値を釣り上げて、民の暮らし向きを圧迫するだろう。ならばと別の大きな商家を求めて、例えば油川から招くなど論外だ。

 ……もちろん、こちら側の話が筒抜けにならぬよう、堀越に本営を移そうと思う。攻めてくるとしたらそちら側だろうし、ならば急いで改修しなければならぬ。

久慈義勇軍

4-6 敵がどう動くにせよ

 秋田方はすでに兵糧を扇田おうぎた城(大館市)に集め始めている。とすれば安東軍はやはり南から矢立やたてとうげを越えてやってくるのか……。津軽為信は家来衆らと話し合っている。夕日が差し込む堀越の館。辺りには槌の叩く音が鳴り響く。……柵を新たに建て、土堀を深くさせている真っ最中だが、はたしてどれほどまでに有用かどうかはわからない。いずれ田植えが終わればすぐに攻めてくるだろう。ただしこの堀越も攻撃されるようではすでに津軽家は終わり。ならばとこちらから攻めたてるか……と冗談でいうと、兼平かねひら綱則つなのりが応える。

「それでは南部勢が攻めてきます。とても防ぎきれませぬ。」

 わかっているさ、もちろん。南部を攻めれば安東が、安東を攻めれば南部がやってくる。その狭間に津軽はある。そのようなことを考えていると、沼田ぬまた祐光すけみつが口を開く。

「無論、扇田にコメを集めている以上は、そちら側より攻めてくるでしょう。しかしながらもう一つの道がございます。」

 “もう一つ”とは。

「それは“海の道”でございます。八森はちもりから大間おおまごしへ、深浦が狙われますと先にあるのは鰺ヶ沢と種里の旧拠。日本海沿いより岩木山へと周り、この堀越より先に本拠である大浦城が狙われる……。この可能性も考えねばなりませぬ。」

 するとどうか。二方面より安東が攻めてくるとなると、こちら側も兵力を分散させねばならぬ。さらには外ヶ浜側より南部が攻めてくることを想定して、浪岡の新領にも対南部で兵を配置。千徳本家は千徳分家ににらみを利かせるために必要である。

 浪岡に最低でも五百、深浦に同じく五百。残り千兵ほどが実際に手元で動かせる数か。水木御所とそれに連なる兵数は五百ほどあるが、敵方にもかつての仲間がいるだろう。なのでどこまで頼りになるかはわからぬが、無理やり出陣はさせる。使える兵が足りなすぎるのだ。

4-7 津軽は日ノ本の敵

 いまや夕日が沈みかける館の広間にて話は続く。北以外の三方に襖があり、この日はいつもより少し暖かいので開け放たれていた。もう少しで夜なので、やかましい槌の音や土を掘る音は鳴り止む。

 はたして安東はどれくらいの兵力で攻めてくるだろうか。為信の問いに八木橋里負やぎはしさちますが応える。

「草の報告では、どうも三千にもなるのではと。」

 三千。我らの動かせる兵力の二倍以上ではないか。……最初は驚きこそすれ、すぐに“そうだろうな”と納得の心持ちになってしまう。為信は苦虫をかみしめたような顔で口を開いた。

「……だろうな。南部は安東へ攻め込むことができぬ。他の諸氏も。このたびの戦さばかりは。」

 それもそのはず、なんと奥州の北のはずれの戦さであるのに、中央で勢力を張る織田家の威光が働いているのだから。安東は多額の献金を持って勅諚ちょくじょうを引き出した。勅諚といっても朝廷の使者が来たわけではないが、田舎侍にとっては同じようなものだ。言葉の意味を混同している。

“これを妨げようとする者は、天下に対する逆賊である”

 つまり

“この戦さの邪魔して安東に盾突く奴は、織田が日ノ本を制覇したときに決して優遇しない。あるいは潰す”

 ということだ。いくら安東が比内ひない扇田おうぎだより北の津軽へ攻めかかろうとも、南部氏は絶好の機会だとしても東隣の鹿角かづのより西の比内に攻めかかれない。恐る恐る八木橋は話を続ける。

「安東が最初から全力で来るか、それともいくらか分けて攻め寄せるかはわかりませぬ。ただ……」

 言いにくいのか、大丈夫だ、話せ話せと周りも促す。

「先ほど入った一報では、南部は安東の津軽征討にかこつけて、そとがはまより進軍の意志があるようで……田植え後に奥瀬おくせつつみなど併せ二千兵が津軽へ乱入すると。定かではありませぬが……。」

4-8 日に陰り

 確かに南部は安東へ攻め込むことはできぬ。しかし津軽へ侵攻するのは好き勝手やっていいわけである。安東が南側から攻め入る以上、南部はぶつからぬように反対の北側から攻め込むのが上策。ただし南部と安東が津軽を思うがままに奪い取った後、直接対決はどちらも避けるだろうが。雌雄を決する必要はない。

 あるいは“雌雄”を決することも考えに含むならば、先に津軽軍と争わせ相手方を徹底的に疲れさせる。その上で相手方を討てば津軽を総取りできる。さらには敵領まで奪うことができるか。

 考えるほどにきりがない。とにかく、津軽家は南部と安東、この二つによって運命が握られている。こちらで切り開くことはかなわぬ。これほどまでに兵力差が開いている以上……誰も“負ける”などとは言わぬ。異様な緊張感と共に、無理やり気持ちを高揚させることでなんとかしようともがいている。これは為信も、他の家来衆も同じだった。

 日は陰り、斜陽しゃようすら過ぎ去った。三方に開け放たれていた襖の向こうより、ただ寒いだけの風が流れ込んできた。それは無音で、あるのは肌にあたる感触だけだ。

 一つ、誰かが言った。

「……襖を閉めましょう。それぞれの家屋敷へ。」

 誰もうなずきもしないが、それぞれ立ち上がり一室より離れようとする。……その時だった。急な知らせを持った家来が飛び込んできた。急ぎ東側の襖をあけ、注進する。顔は水まみれで……汗で衣装が湿っている。

「南方より、百名ほどの武者の一団がこちら津軽の領内へ向かっているとの由。」

 もう安東が動いたのか。田植え前だというに……。その場にいる誰もが驚いたが、続けて家来が言うには

「いえ、来たる方は坂梨さかなし峠、南部でございます。津刈つかりで申したには、なんでも久慈から参ったとか。殿のおとうとぎみで、久慈五郎くじごろうためきよと名乗ったと。殿……ご存じで。」

4-9 五郎参上

 為信はかがりを大いに焚いた。何もこれから戦さをするからではない。それは大切な弟を出迎えるためだ。……何年ぶりだろうか、己が久慈くじを離れてから十年もたつ。顔形はどうであろう、歳は七ほど離れているのできっと顔つきは立派なものになっているのではないか。体つきも屈強なものへ変わっているだろう。

 ……途中で領内のどこかで休んでいいと使いに伝えたのだが、彼が言うにはせっかく津軽へ参ったのだから、堀越まで脇目振らず向かうという。到着は真夜中になるだろうが、家臣一同彼を心待ちに待つ。

 丑の刻(深夜2時ほど)になってしまった。それでも何かの期待を胸に皆々待つ。たった百人と聞き及ぶので……これで戦さに勝つなどありえない。それでもうら若い武者がわざわざ本領を飛び出して、負けるとわかっている大戦さを助けてくれるという。それだけで感涙物なのだ。

 そして南部馬に乗った一団は堀越の城下へと入り、寝静まった町屋の道を進む。そして向こう側にある小高い丘の館へと向かうのだ。

 色はばらばらで統一性に欠けるが、すべてが甲冑で身を固めている。旗ざしはまさか二羽鶴を使うわけにいかないので、おそらくそれぞれの家の紋所だろうか。若いのもいれば、年寄りもいる。しかし皆々大活躍してくれそうな雰囲気である。月明かりに照らされ、陰ができる。その陰の動きもさぞ強そうで、もしや勝てるのではないかという幻想を与えさせる。

 ……一人が為信の家来衆の前へ騎乗のまま進み出て、大声で叫ぶ。

久慈くじ五郎ごろうためきよ、御家の危機を救うがため、遠くよりまかり越した。」

 その若武者が馬より下りる。兜をとり篝火に照らされて、初めて顔つきがわかった。為信の家来衆より驚きの声が上がった。似ている、やはり似ているのだ。為清のほうが少し優しめそうに見えるが、目元口元は血の繋がった兄弟そのもの。

4-10 これは津軽の宿命か

 為信は問う。“息災であったか”と。当然弟もすぐさま“息災でございました”と応えた。そして二人が額を当てあって、少しだけ笑いあうのだ。

 その様をみた家来衆の一人、森岡もりおか信元のぶもとは一番の声で叫んだ。

「これで我らの勝ちは見えた。このたびの戦さ、我が方の勝利だ。」

 皆々呼応して、それぞれが雄叫おたけびを上げた。すべてを覆い隠すように、真実をわざと見ぬように、来るべき結末より背けるために。

 その様を見て、為清は少しだけ顔を引きつらせた。なにか違うものを感じた。“勝ちだ勝ちだ”と言ってはいるものの、その裏に悲惨な何かが感じることができる。……もしくは、気のせいか。すると為信は小さ目な声で為清へと話す。

「お前は津軽衆ではない。そこだけが救いだ。」

「……と申されると。」

おのれも津軽の出ではないのだが、長く住むことで津軽に染まってしまった。突き進むしかないのだ。」

 哀しそうに弟へ伝える。為信の後ろではいまだ声を上げあう家来衆ら。為清は……動揺を隠しながらも、できるだけ落ち着いて兄へと話す。

「……このたび我らはおおやけの軍勢として参ってはおりません。九戸様は安東との繋がりを断たれ、南部の殿が動いたところで足止めができない。それでもと信義のぶよしの兄上が弟を助けようと、我らを津軽へと送ったのです。」

 為信は静かにうなずいた。最後に助けになるのは血縁なのか。遠く離れているところで暮らしていても、敵方になってしまっても、思いやる心は忘れぬ。

 であればなおさら、負ける戦さに弟をだすのも気が引けてくるのだ。為清の姿を見て……為信は戸惑う。それは男のうるさい声の中での一コマであった。

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