アオモリコネクト特派員のかんからです。
何やら騒がしい世の中ですが、実際に血の流れた戦国時代を考えれば……とかいうと比較対象が明らかにおかしいので、言わないでおきましょう。
感染防御はみなさん、しっかりと行っていきましょう。
今回のテーマは在りし昔の事……私たちの名字です!
https://aomori-join.com/2020/01/15/myo-ji/
リンク先は同じテーマの前回の記事です。どうぞ復習がてらお読みください♪
(もちろんこの記事単体で読んでも、お楽しみいただけます)
”浪岡北畠” というネーミングは聞いたことがありますか?
そうです。かつて津軽為信に滅ぼされたという名門一族の事です……。
浪岡北畠氏はかつて南朝の後醍醐天皇に仕えたという貴族の血筋で、いろいろあってさむーさむーい北国である浪岡に住み始めたのです。その後は南部氏の庇護を受けながら命脈を保ち、浪岡御所を中心にその周辺を治めたといいます。
ただし残念ながら内部闘争及び他勢力の勃興などがあり、1578年に滅亡したとされます。
その子孫は、今どうしてますか?
系譜自体は調べると、いろいろと出てくるようです。
でもまとめて言うと、浪岡さんや北畠さんといったように、そのまま名乗っている家や
山崎さんや水木さんのように違う苗字で生きながらえている人々もいたようです。
そして名字の分布を調べることにより、戦国時代や江戸時代の歴史を垣間見ようという企画を行いたいと思います。
結果として江戸期に青森県ではお国替えがなかったので、家臣団や地主階級がそのまま村に残っているケースが多いのです。同じ名字だけが固まっている農村も存在しており、彼らを調べることで、歴史の裏事情がわかったりします。
つまり……とある苗字がある一定の地域に多いとすれば、そこを治めていた領主はその苗字の方だった可能性が高いんです。そのなかで浪岡北畠系の血筋はどんな立ち位置を占めたのだろうかと。併せて調べていきます!
調べる方法
名字の分布と言っても、どうやって調べればいいのでしょう?電話帳をしらみつぶしに調べるのは、死ぬほど大変……。そんなのは嫌です。絶対に嫌です。
ですが、それを一挙に解決してくれるサイトがあるのです……!
ただしここは “アオモリコネクト” という、曲がりなりにも市役所と通じている組織……悪魔のサイトへのリンクはお出しできません。グレーゾーンなサイトなので、ここでの案内は差し控えさせていただきます。
浪岡さん・北畠さん
(調べた結果をわかりやすくお見せするため、合併前のデーターを使ってます。)
結構、浪岡に浪岡さんが多く暮らしているんですね。滅ぼされた側の家はどこかへ移されたり逃げたりして、その本拠地よりいなくなるケースが多いんですが……。でも浪岡北畠氏の場合、滅ぼされたのちに我慢?して為信に仕えてしまった北畠(浪岡)利顕のような人もいたようです。
では北畠さんも見てみましょう。
北畠を調べると……打って変わって板柳に多い!
なぜだろうと思い調べてみると……館野越を中心に一族が移り住んだという歴史を発見しました。なんでも為信から秋田へ逃げていたところを、子孫が江戸時代になって津軽の地へ舞い戻り、山崎氏を称したとか。明治の世になってから北畠氏に復姓したと言います。
じゃあ、山崎さんは?
これ……浪岡さんや北畠さん以上に件数は多いです。でも調べてみると……上記の山崎さんとは縁もゆかりもない家ばっかりでした。つまりは北畠系の山崎さんのほとんどが、明治時代に改姓したのでしょうか?
……というか、違う検索結果が邪魔しまくるんですが。
水木(溝城)さんという存在
藤崎町の水木、弘前市の水木在家に”水木”の名を残しています。それぞれに関連があるとかないとかで定かではありませんが……今の水木熊野宮が本拠だった浪岡北畠氏の分家です。
弘前に多いんですね!こうなると為信に早くから降りた勢力だということも納得です。
そして “津軽浪岡” と “南部三沢” を繋ぐ……
浪岡北畠氏は為信に滅ぼされたのち、その多くは味方であった南部氏の元へ逃げていったとも言います。その逃亡先の一つとして可能性のあるのがこちら!
なんでも三沢市の淋代(さびしろ)に浪岡さんが多く住んでいるのです!淋代といえば太平洋無着陸横断飛行の出発点として有名ですが……
https://aomori-join.com/2019/04/02/misawa_koukuu_hakubutukan/
上の地図は青森市浪岡淋城の場所を示しています。浪岡の小字として、淋城(さびしろ)が存在しています!漢字こそ違えど、読みは同じ。もうこれは関連がないとは言わせない……。はい、ここからは学者の方々が調べてみてください♪
青森歴史話
#浪岡北畠 系の血縁を辿ると結構面白い。#浪岡 さんは三沢に逃げたという話があり、”淋代(さみしろ)”という場所に多い。しかも旧浪岡町には"淋城(さびしろ)"という地名が存在!#水木 さんは藤崎町の水木には存在せず、代わりに浪岡両管領の水谷さんが居住。弘前市の水木在家にも無し。 pic.twitter.com/wFUzCkiGNr— 青森宣伝! 執筆かんから (@into_kankara) July 24, 2019