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アオモリコネクト特派員のかんからです!
今日は久しぶりに歴史ネタを書いてみたいと思います。
なんか去年の12月まで3か月間ほど、令和ダンボリアン記録にかかりきりだったので
本当の意味で実力?を発揮できる話題に手を付けることができないでおりました。
そこで!!記事に書いちゃおうかなと思った次第です♪
津軽為信の三家老といえば……
でもこの記事ではそれぞれの業績を語るとかはしません。歴史に興味ない人でも興味を持つかもしれない、しかも現代に通じるところの ”何か” をご紹介します♪
苗字にスポットライトを当ててみたんです!
津軽家はどこか違う土地へ移されることなく、津軽に座したまま江戸時代を通し切りました。
なので傾向として、
苗字の分布を調べれば、戦国期の歴史も垣間見れるのではないか……?
という仮説を立てました。何回も転封(お国替え)を繰り返している大名だと、家臣も引き連れて外へ行ってしまいます。なので昔の歴史を”苗字”で見ることは、多くの地域で本来は短いスパンでしかできないところ、津軽と南部はどちらも可能!(武士階級は特に)
可能なんですよ!! 家の歴史=郷土の歴史なんです。ダイレクトに繋がっている……。
とある苗字がある一定の地域に多いとすれば、そこを治めていた領主はその苗字の方だった可能性が高いのではないか……?そんな仮説に基づいて、書いていきたいと思います。
調べる方法
苗字の分布と言っても、どうやって調べればいいのでしょう?電話帳をしらみつぶしに調べるのは、死ぬほど大変……。そんなのは嫌です。絶対に嫌です。
ですが、それを一挙に解決してくれるサイトがあるのです……!
ただしここは “アオモリコネクト” という、曲がりなりにも市役所と通じている組織……悪魔のサイトへのリンクはお出しできません。グレーゾーンなサイトなので、ここでの案内は差し控えさせていただきます。
例えば兼平は……?
大丈夫です。安心してください。僕は悪利用していません。
(あくまで学術利用だから許して……)
さて参りましょう♪
兼平は青森市に多いものの、中でも浪岡地区に集中。確かに歴史を紐解くと、浪岡北畠家臣に兼平がいたとかいないとか。一方で深浦や鰺ヶ沢にも多く存在しており、こちらは大浦(津軽)系兼平氏の所領だった地域とか。この辺りから大浦家とともに津軽中原へと進出していったという……。
その拠点が、今の弘前市兼平です。ただし兼平さんだけ数えてみても4軒ほどしかなく、決して多いとは言えません。それはなぜでしょうか?
調べたら居ないはずだわ。 pic.twitter.com/jWEmXiQR8A
— マダオ (@OcKIiDWYYOqcEZg) July 13, 2019
まさかの兼平の本流は、江戸時代に滅亡してしまったのです!
結果として傍流の鰺ヶ沢・深浦組がまとまって残ったのか……?
どうなんでしょう??
森岡さんは……?
うん。圧倒的少なさ!
それもそのはず。大浦三家老である森岡信元はその功績にも関わらず、謀反の疑いがあるとして関ヶ原の戦い直前、為信によって暗殺されてしまいました。
子孫がいないのは、そのせいか……。
小笠原さんは?
八戸に小笠原さんって多いんですねー。
例えば櫛引氏や九戸氏はかつては小笠原氏だったり別性の可能性が高いわけだけど、南部氏の血縁を受け入れかつ『南部』に改姓する事で擬制血縁集団に組み込まれたって話があるでなぁ。
— 帆船ハッカ (@kotosakikotoko) November 30, 2019
でもでも、青森市内に注目!なぜか原別に多い!!
後萢にも固まっているぞ……うんうん。青森平野でも東側に偏っているようで。
えっ?なんでなんで??
もしよろしければ、どなたか詳しい人!教えてください!!
情報提供を待ってます♪