エッセイ「孤独を愛するうたうたい。」 #新谷隼平 #世界観を読み解く #歌詞に込められたメッセージ

はじめに

地元、青森県五所川原市で幼少期を過ごし音楽大学進学を機に上京。
大学在学中にピアノ弾き語りでの音楽活動を始め、2014年にインディーズでCDデビューをした。
気が付けば人生の大半をシンガーソングーライター新谷隼平として生きている。
そう名乗るのが当たり前になっている現在まで、シンガーソングーライター新谷隼平がどのように形成されてきたか、一度振り返ってみようと思う。

母親の影響

小学一年の時にピアノを習い始めた。正確には習わされた。
母が子供の頃ピアノを習いたくても習わせてもらえず、大人になってからピアノを自分から習い始めたそうで、その想いから僕たち(二人兄弟)に習いごとをさせてあげたいと思っていたのだろう。
当時は “男がピアノなんて” のように貶す風潮が残っていて、学年でも、全校生徒の中でもかなり珍しかった。
ピアノが好きとか、音楽が好きとか、そんなふうに考えたことはなくて、周りに “じゅんぺいくんはピアノが弾ける人” と認知されるように。

物心がつく頃から僕は、将来は音楽で生きていくのかもと思い始めていた。
音楽人としての始まりは紛れもなく母からだった。
「じゅんくんがお腹にいるときずっとバラードを流していたからバラードの血が流れているんだよ」
とよく聞かされていた。
今となってはその通りだったな。
最初は嫌々始めたピアノ。

練習も嫌いで毎週のレッスンも面倒だったけれど。
今では感謝しかない。

https://wesugi.net/

 

上杉昇さんへの憧れ

小学五年の時、なんとなくテレビで観ていた「ベストアーティスト100」という音楽番組で、WANDS「もっと強く抱きしめたなら」の映像が一瞬流れた。

その歌声に小五ながら、身体中に電流が走ったのを覚えている。
すぐにCDをレンタルした。

ボーカリスト上杉昇さんの虜になり、学校へ行くまでの間やお風呂の時など、毎日WANDSの曲を歌っていた。
僕がWANDSを好きになった頃にはもう、上杉さんはWANDSを脱退。

WANDSも解体・・をした後のこと。
そこから上杉さんのその後を調べ、WANDSを脱退後、ギターの柴崎浩さんと共にオルタナティブロックユニットal.ni.coを結成していることを知り、すぐにal.ni.coのCDを注文した。
「これ、、、本当に上杉さん?同じ人?間違えたかな?」
というのがal.ni.coを初めて聴いた小五新谷少年の感想だった。
ミリオンヒットを連発した誰もが知るあのWANDSとは180度音楽性が違っていたから。
上杉さんが当時表現したい音楽と、世間が抱いているWANDSのイメージにズレが生じてきて、自分のやりたい音楽を貫くための脱退。そしてal.ni.co結成ということを知り、まじでかっけー!、その生き方にリスペクト。al.ni.coの音楽は聴けば聴くほど深みを増してきて、僕も上杉さんのような自身を貫く唯一無二のアーティストになりたい!、そう強い想いを抱くようになった。
上杉昇さんは僕にとって人生そのもの。
歌声も。音楽も。生き様も。
新谷の根本はすべて上杉昇さんにある。

音大時代の葛藤 ライブハウスへ

クラリネット選考で音楽大学に入学し、青森から上京した。
ただ漠然と音楽の道に進みたくて。浅はかだったと思う。
“音大” という特殊な環境に呑み込まれていた。
誰にでもいい顔をして「おはようございます」と「お疲れ様です」を繰り返し、いい奴を演じて、みんなの新谷くんになって、電話帳も一気に200人くらい増えて。
その上で実技試験での順位は下の方。
上辺でしかない人間関係と、音楽に点数をつけられてしまう現実に、自分を失くし心が壊れてしまった。
大学をやめたい。その想いを両親やクラリネットの師匠に訴えかけた。たくさん迷惑をかけた。
母親が心配して青森から来てくれた時、一緒に行ったゴッホ展は忘れられない大切な思い出。
とにかく苦しかった。
誰も何も信じられなかった。
その想いを音楽で吐き出したいと思った。
感情そのままに曲を書き、ライブハウスに飛び込み、シンガーソングーライターとしての人生が始まったんだ。
迷惑をかけながらも、どうにか卒業までさせてくれた両親には、心から感謝している。
そして、ごめんなさい。

孤独を愛するうたうたい。

新谷の代表曲「季節はずれ」は、大学卒業式を終えた帰り道、晴れた昼に口遊んで出来た曲。
卒業式は素晴らしかった。
さすがは音楽大学。感動的な式だった。
長くて短い四年間、感慨深い想いに耽りながらも、式が終わってから誰とも卒業をわかちあうこともなく、独りあっさりと、まっすぐ帰った。
200人を超えた電話帳はすべて消去した。

「僕は季節はずれ」

それは当時の新谷そのものだった。
今だってそうなのかもしれない。

路上ライブ かけがえのないファンの人たちとの出逢い

ライブ活動を始めたはいいが、知り合いに「来てください!」とお願いをして集客することしか出来ず、そんなのアーティストじゃない、と自問していた。
自分の歌だけで、音楽だけで、まったく見ず知らずの人にファンになってもらえなければ、真のアーティストとは言えない。
それを求めて始めたのが路上ライブだった。
ゼロからのスタート。
自分の歌、自分の音楽だけの勝負。
そう簡単に上手くいくはずがなく、なかなか立ち止まってはもらえない。とにかくがむしゃらに歌い続けた。

初めて立ち止まり、弾き語りデモCDを買ってくれたのはテツさん。
歌で出逢えることは、こんなにも嬉しいことなんだ。
かけがえのない奇跡なんだ。
歌の力って本当にあるんだ。
そんなふうに思った。
路上ライブはいいことばかりではない。
苦しいことの方が圧倒的に多い。
罵倒されたり、バカにされたり、なんてことはしょっちゅうある。
警察署にだって行った(苦笑)
カツ丼もお茶すらも出てこなかった(爆笑)
その中でもかけがえのない一人一人との出逢いがあるから歌い続けてきた。
音楽には計り知れない力があるということをみんなが教えてくれた。
絶対に大切にしたい。
この人たちの為に歌い続けたい。
この人たちの為に売れたい。
そう思ったんだ。


理想のアーティスト像

上杉昇さんのようになりたかった。
上杉昇さんになりたかった。
今、果たしてどうだろう。
明らかにかけ離れている。
自分でかっこ悪いなと思うことの方が多い。
でも “それもきっと悪くない” と、最近ようやく思えるようになってきた。
泥くさくて、みっともない新谷を、応援してくれる人がたくさんいるんだ。
ちっぽけなプライドなんかよりも絶対に大切なんだ。
理想のアーティスト像にいつの日か近づけるように、今はただ、新谷らしく、がむしゃらに走り続けようと思う。

夏帆

テツさんの次に二人目のファンとして路上ライブで立ち止まり、弾き語りデモCDを買ってくれたのが夏帆だった。
「紙一重」という曲が一番好きだと言ってくれた。
「一生物の歌に出会えた」と言ってくれた。
「ジュンの歌は特別なんだ」と言ってくれた。

2022年5月10日、夏帆は自ら命を絶った。
それを知った時、とてつもない後悔と無力さを思い知った。
長年活動してきた中で、路上ライブを始めた頃に大切にしていた、信じていた、歌の力をいつしか諦めてしまっている自分に腹がたった。
もう一度信じてみようと、夏帆が身を持って僕に教えてくれたんだ。
これまでの音楽人生すべてが詰まっている楽曲、「夏帆」。
この曲が出来た時、絶対に世に出すんだ、絶対にあきらめないんだ、そう心に誓った。
いよいよ、2月5日に「夏帆」をシングルとして全国発売する。
一人でも多くの人に届けたい。
音楽人生のすべてをかけて。

これまで紆余曲折。失敗ばかり。
ファンのみんなを裏切り、傷つけてしまうこともあった。
今日まで応援してくれているあなたへ。
心からありがとう。
新谷隼平の音楽人生はここからだ。
理想のアーティスト像に近づけるように。
新谷の音楽があなたの救いとなるように。
歌の力を信じて、歌い続けるよ。

 

2024年12月 新谷隼平

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