アオモリコネクトのかんからです。
自分らの住まう地域、地味に多い苗字ってあるじゃないですか。でも生まれた時からそれが普通だから、特に気に留めて考えることもありません。でもそれが例えば引っ越しとかでまったく違う地域に住むことになったとしましょう。これまでと違う人たちに囲まれるのは当然で、すると苗字構成も変わってくるんです。
苗字が違うということは、その苗字が存在する地域の歴史も違います。どういう経緯で多くて少ないのか、出来る限り調べてみましたという内容で書いていきたいと思います✒
(元々お盆特集でやるつもりだったんだけどな~)
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地域で違う苗字構成
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例えば上記のような違いがあるわけですよ。
津軽と南部の歴史が違うように、支えた人々も当然違うわけです。なぜこのようになったのかと考えればキリがないんですけどね(笑)
青森県全体に関しては既に記事に書いてました。他色々と触れた記事もございますので、もしよかったら読んでいってください。
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そして今回は何を調べていくかというと、ズバリ自己満。僕の周りに多い苗字や気になる苗字の成り立ちを調べていこうのコーナーです。特に僕の住まう三戸郡由来かな?と思われる苗字について語っていきたいと思います。
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貝守さん
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地図にも存在する貝守さんですが、 貝というからには海とか湖だろ?と思うじゃないですか。
でもしっかり山奥です。実をいうと道路の標示板で “貝守” と書いてあるのを頻繁に見ていたので不思議に思っていたんです。なぜこんなサルとかイノシシが出そうな山奥で貝守なのか?
でもまてよ、むかし歴史の授業で習ったな……。縄文時代の貝塚って、どこも内陸にあるじゃないですか。縄文時代って海抜が高くて、けっこう内陸にまで海が迫っていたとか。その海岸線をたどれば、貝の貯蔵庫でもおいていた。そこの貝を守る、だから貝守。そういうことなのか??
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住所がある三戸町が見事ナンバーワン!それは流石だとして、見た感じ馬淵川流域という印象があります。一応川にも貝ってあるらしいから、それのことかな……。それを守っていたのかな……??
青森県、北海道、埼玉県。青森県三戸郡三戸町貝守発祥。戦国時代に「かやもり」の表記で記録のある地名。地名は「貝森」とも表記した。同地に分布あり。
日本姓氏語源辞典より
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へー。”青森県三戸郡三戸町貝守発祥” と堂々載ってました。一応他に貝守という地名があるか探してみたのですが、日本全国他に見当たりませんでした。こうなると結構レアども高いですし、誇ってもいいような気がします!
でも待ってください。貝守以上に強い勢力を誇っている亜種があることを、みなさんは知ってますか?
それは、貝森。
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亜種の貝森さんが一番多いのは三戸ではなく、秋田県の大館市。次に多いのは青森市という結果に!北海道のは明治維新後に移住したんですかね。ほら、軒数的に貝守が貝森に勢いを喰われとるじゃないか(笑)
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①貝守の異形。秋田県大館市では南部氏に従って山梨県(旧:甲斐国)から来住したと伝える。推定では鎌倉時代。甲斐はカイで飛鳥時代に記録のある地名。青森県つがる市柏広須、青森県弘前市下白銀町が藩庁の弘前藩士に江戸時代にあった。
②島根県飯石郡飯南町真木の小字の貝森から発祥。同地付近に分布あり。
日本姓氏語源辞典より
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貝を甲斐。そういえば南部氏も元をただせば甲斐からやってきた一族。南部氏と一緒に北の国へやってきたという妄想もアリかもしれませんね。
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水梨さん
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そしてその大字貝守さんの体の中に隠されて存在しているのが小字水梨さん。
住所的に言うと、〒039-0453 青森県三戸郡三戸町貝守水梨でございます!
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住所的には貝守の枠組みの中に水梨さんがいるので、普通の感覚なら貝守さんが多くて水梨さんが少ないんじゃないかと錯覚してしまいます。でも現実は違っていた。水梨さんの繁殖力は貝守を上回っていたという。。
参考として貝守さんは全国で約140人に対し、水梨さんは約860人!つまり6倍以上の差をつけられてますから。
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①青森県三戸郡三戸町貝守水梨発祥。岩手県での青森県三戸郡三戸町の水梨からとする伝の比定地。②岐阜県高山市上宝町蔵柱の小字の水梨から発祥。同地付近に分布あり。日本姓氏語源辞典より
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確かに岐阜県の下呂温泉へ旅行したときに森水無八幡神社ってのがあって、帰った後に『ミズナシ神社ってのがあったぞー』と水梨さんに報告したような気がします(笑) でも岐阜のほうではそんな人数は多くなくて、一番多い岐阜県高山市でも約20人しかいないようです。
でもって水梨さんも亜種が多くて、先に触れた水無というパターンがあれば水梨子というパターンもある。さらには住所にも、ここまでくれば何で?と思えるくらいの亜種が存在してます。
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住所:〒039-0201 青森県三戸郡田子町田子水無シ
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“水無シ”。最後の “シ” って何? だれがこの住所を決めたんだ?!
川守田さん
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川守田さんは結構広い面積を占めている住所なので、 ある程度地域の人にとってはメジャーかもしれません。
その広い川守田の領域の中に、分離独立して川守田町という住所も存在しています。つまり実際の使用例を解説すると……
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〒039-0141 青森県三戸郡三戸町川守田元木平8−1 アップルドーム 御中
〒039-0143 青森県三戸郡三戸町川守田町8 川守田簡易郵便局 御中
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川守田町が川守田という住所の下についているわけではなく、完全に別の大字として存在しています。このことは全国的にもレアなんですよ?知ってました??
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でもね、そんな特殊な川守田さんなんですけど、川守田という場所に川守田さん、、、一人しか住んでないらしいの、、、、、
データ的にはそうなってるんですよ。
そしてなぜか隣の南部町で約400人も暮らしてます。
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青森県三戸郡南部町、青森県八戸市。青森県三戸郡三戸町川守田町発祥。戦国時代に「河守田」の表記で記録のある地名。青森県八戸市内丸が藩庁の八戸藩士、岩手県盛岡市内丸が藩庁の盛岡藩士に江戸時代にあった。
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ということで調べればネタがたくさん生まれるものですね(笑)
以上記事はおしまいです。ご拝読ありがとうございました!
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