アオモリコネクト特派員のかんからです。
まずは今現在の、日本の状況について
みなさん全員で一丸となって感染防御をしていかなければなりません。
状況を鑑みれば、コロナの報道が過熱するのは当然でしょう。
そして青森県内では……
今の所……青森県内の感染者で共通して言えるのが、外からの持ち込みという点でしょうか。その点だけでいえば、”青森県だけでも感染者無しならよかったのに……”という想いは打ちのめされました。
しかし興味本位でその人の素性や個人情報を暴こうとするのは、また別の話です。僕個人としては、ひたすらに回復を願うばかり。。。
その鬱憤のはけ口は、行きつく先は……
でもコロナ関連の報道ばかり聞かされて、みなさん疲れてませんか?精神的に安定していますか。そして感染したが最後……他県ではこんな人もおりました。
他の人も道ずれにしたいと意図的に……それだけはやめてほしいです。
でも昔、青森にはもっと強烈な奴がいた。
明治時代にも流行病が大発生 – コレラと明治人はいかに戦ったのか
まずはこのリンク先の記事によると、江戸末期から戦前にかけて、コレラが何度かに分けて流行しました。そのことはもちろん事実であり、いつの間にか私たちが忘れてしまった悲惨な歴史の一つです。
他にも天然痘やペストなど、いまでこそ国内の高度な医療体制で克服したとされていますが……当時の人々からすれば、無防備な状態で挑まなければならぬ相手でした。
→→死と伝染病←←
そんな中、やらかした青森民が一人……。彼の名は松田平次郎といいます。
明治19年(1886)、コレラが日本全国で流行しました。青森町(当時)だけでも1000人以上が死んだとされるこの事件……。対策として感染者を一ヶ所に隔離して、防疫を試みました。
ただしその場所は……安方です。はい、青森市民ならご存知、安方です。
安方には藩政時代の蔵が空いており、そこを臨時の病院として改装したのです。
でも安方って……今も昔(当時)も人が普通に住んでます。なので商店とか並び立っている環境下。でもコレラ患者が近くにいるから……わざわざ近寄りたくない。そしてみんなして安方を避けるのです。当然閑古鳥が……鳴きます。
コロナで街が静かになってしまった今と、酷似していませんか?
彼は何をしでかしたのか?
もちろんこれは “青森市史 第六巻 政治編” にも載っている事実です。

青森安方町の町民、松田平次郎。彼は病院に火を放った……。
裁判の結果、懲役10年の刑に処せられました。
しかしこの年数さえも、町人らの減刑運動によって3年に減らされたといいます。
ちなみにイギリスでも起きていた。
当時の国王であるリチャード2世は、ペスト撲滅のためにわざと自分のおひざ元であるロンドンに火を放ったという俗説が残っています……。
→→ロンドン大火←←
みなさん……人間の歴史はこのようなことで形作られてきました。
これらを肝に銘じて、自制心をもって、コロナに向かっていきたいですね。

https://aomori-join.com/2019/10/21/yasukatanohigeki/
この記事は上記物語の再編です。忠実部分だけ正確にお伝えしたしました。







