豊臣秀吉の家臣と聞くと、戦国末期の有名武将を思い浮かべる人も多いかもしれません。
ただ、秀吉がまだ尾張・美濃で頑張っていた時期に絞ると、家臣団の顔ぶれは少し変わってきます。
今回は、その時代に実際に秀吉に仕えた武将に絞って、
現在の青森県に同じ苗字がどれくらいいるのかを調べました。
なお、ここで見るのは現代の名字分布であり、本人たちの子孫であることを示すものではありません。
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今回の対象にした5人
今回取り上げたのは、秀吉の尾張・美濃期からの古参として見やすい
竹中重治(竹中半兵衛)・前野長康・蜂須賀正勝・堀尾吉晴・生駒親正 の5人です。
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竹中重治(竹中半兵衛)

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美濃出身の武将で、秀吉の軍師として知られる人物です。1564年には斎藤竜興の稲葉山城を一時占拠し、その後1570年に秀吉に属しました。中国攻めにも従事しており、秀吉の初期拡大を支えた参謀格として有名です。
青森県の竹中姓は、およそ180人。県内順位は931位でした。八戸が一番多く、およそ70人とのことでした。
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前野長康
尾張出身で、木下藤吉郎時代から秀吉に仕えた古参です。墨俣築城や四国攻め、小田原攻めなどで功績を挙げ、のちに但馬出石6万石の城主になりました。秀吉の初期家臣団を語るうえで外しにくい一人です。
青森県の前野姓は、およそ70人。県内順位は1,712位でした。
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蜂須賀正勝
尾張の人で、通称は蜂須賀小六。秀吉に従って数々の戦功を挙げた武将で、後の徳島藩蜂須賀家の祖としても知られています。秀吉の草創期を語るときに知名度の高い古参です。
青森県の蜂須賀姓は、名字データでは「調査中」となっており、もしかして存在しないかもしれません。
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堀尾吉晴
尾張系の武将で、秀吉の家臣として小田原攻めに功を立てた人物です。後には出雲松江藩につながる堀尾家の基礎を築きました。豊臣政権では中老を務めたことで知られます。
青森県の堀尾姓は、およそ10人。県内順位は7,307位でした。
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生駒親正
美濃国土田生まれで、織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将です。近江・伊勢・播磨を経て、1587年には讃岐を支配し高松城を築いたことで知られます。堀尾吉晴や中村一氏とともに中老職を務めた人物でもあります。
青森県の生駒姓は、およそ60人。県内順位は1,886位でした。
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青森県で多い順に並べると
今回の5姓を、青森県内の人数が多い順に並べると、次のようになります。
竹中(約180人)
→ 前野(約70人)
→ 生駒(約60人)
→ 堀尾(約10人)
→ 蜂須賀(?)
この条件では、青森県で最も多く確認できたのは「竹中」姓でした。
竹中半兵衛そのものと青森県の直接的な歴史的接点は濃くない一方、名字だけを見ると現在の青森にも一定数いる、というのは少し興味深いところです。
そこで詳しく調べたところ、江戸時代の青森県内にも「竹中」姓の人物はいました。弘前藩関係の史料には、藩に招聘された大工・竹中安左衛門の名があり、さらに幕末には大組足軽の竹中範平も確認できます。少なくとも確認できた範囲では、弘前藩での「竹中」姓は、有名な上級家臣というより、職人や足軽として見えるのが特徴のようでした。







