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八戸の変化:1970年代から現代まで~身近な商業施設の開店・閉店を中心に~
青森県八戸市は、漁業の町として知られる一方で、商業の面でも大きな変貌を遂げてきた。1970年代の中心街デパートブームから、郊外型ショッピングセンターの台頭、そして近年のはっちのような文化施設の登場まで、市民の日常生活に直結する象徴的な出来事を追いながら、街の移り変わりを振り返る。スーパーやデパートの開店・閉店は、買い物の習慣を変え、街の賑わいを象徴する出来事だ。ここでは、そんな身近なトピックを中心にタイムラインでまとめる。データは歴史資料や地元報道に基づく。
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1970年代:中心街に大型店が続々登場、買い物の黄金時代
1970年代の八戸は、戦後復興の余波で中心街が活気づいていた。特に大型スーパーやデパートの開店が相次ぎ、市民の買い物ライフを一変させた。1969年頃、マルマツ(現・ユニバースの前身)がオープンし、日常品の品揃えで人気を博した。 続いて1970年11月6日、長崎屋八戸店(初代、八日町)が開店。衣料品から食品まで揃う総合スーパーとして、家族連れで賑わった。 この頃、地元デパートの丸美屋が1969年に閉店したことは、市民に衝撃を与え、大手チェーンの進出を象徴する出来事だった。 1971年にはニチイ(現・イオン系)が加わり、中心街は「デパート戦争」の様相を呈した。 これらの店は、屋上遊園地や食堂を備え、買い物以上の娯楽スポットとして親しまれた。一方、郊外へのシフトの兆しも見え始め、街の賑わいが中心街に集中していた時代だ。
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1980年代:イトーヨーカドーの登場と郊外化の始まり
1980年代に入ると、車社会の進展で郊外型店舗の基盤が整い始めた。象徴的なのは1980年のイトーヨーカドー八戸店(十三日町)の開店。再開発ビルに核テナントとして入り、地下1階から地上7階までの大規模施設は、市民の買い物スタイルを近代化させた。 しかし、中心街の競争激化で中小店舗の苦戦が目立ち始めた。1980年代後半には、バブル景気の影響で商業施設の建設ラッシュがあったが、中心街の歩行者数は徐々に減少。長崎屋はまだ中心街に根を張っていたが、郊外移転の計画が水面下で進んでいた。この時期は、中心街の繁栄がピークを迎えつつ、変化の予兆を感じさせる時代だった。
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1990年代:郊外型SCの台頭、長崎屋の移転とラピア誕生
1990年代は、八戸の商業地図が大きく変わった時期。1990年11月2日、長崎屋八戸店が中心街から郊外(江陽)へ移転し、八戸ラピアとしてオープン。 バスターミナルも併設され、車やバスでのアクセスが便利になり、市民の買い物が郊外へシフトした象徴だ。 1998年3月12日には、ピアドゥが沼館に開業し、イトーヨーカドー八戸沼館店を核店舗に迎えた。 フードコートや専門店街が充実し、家族の週末スポットとして定着。一方、中心街では中小店の閉店が続き、街の空洞化が問題化。バブル崩壊後の不況で、商業の重心が郊外へ移った転換期と言える。
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2000年代:イトーヨーカドー八戸店の閉店と新幹線効果
2000年代は、中心街の衰退が加速した。2003年2月、イトーヨーカドー八戸店が不採算で閉店。 23年間の歴史に幕を下ろし、市民からは「街のシンボルがなくなった」と惜しむ声が多かった。 これにより、中心街の空きビル問題が深刻化。一方、2002年の東北新幹線八戸駅開業は明るい話題で、観光客増加が商業を後押しした。ラピアやピアドゥは安定した集客を続け、郊外商業の強さを示した。この時代は、旧来の中心街商業が苦境に立たされつつ、新たな交通インフラが街の活性化を促した過渡期だ。
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2010年代:はっち開業と文化・観光の台頭
2010年代は、中心街再生の象徴として文化施設が登場した。2011年2月11日、八戸ポータルミュージアム「はっち」(三日町)が開業。 ガラス張りの現代的な建物は、観光交流施設としてイベントやワークショップを開催し、街の賑わいを呼び戻した。 長崎屋八戸店(ラピア内)は2010年12月にドン・キホーテを導入し、リニューアルでディスカウント志向の市民を掴んだ。 しかし、中心街のチーノはちのへのような施設も苦戦。2010年代後半には、はっち周辺にブックセンターや複合ビルがオープンし、文化と商業の融合が進んだ。 東日本大震災(2011年)の影響で一時停滞したが、復興とともに街のレジリエンスが試された時代だ。
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2020年代:イトーヨーカドー沼館店の閉店とイオンの新時代
2020年代は、コロナ禍と高齢化で商業の再編が加速。2022年、チーノはちのへが閉店し、再開発へ移行。 最大の話題は2024年8月31日、イトーヨーカドー八戸沼館店の閉店。26年間の歴史に幕を下ろし、市民からは「ポッポのフードコートが懐かしい」との声が相次いだ。 これで八戸からイトーヨーカドーが完全撤退し、44年の縁が切れた。 一方、明るいニュースとして2025年4月25日、ピアドゥの新核店舗としてイオンスタイル八戸沼館が開業。 食品や生活雑貨の強化で、市民の日常を支える存在になる見込みだ。はっちは引き続きイベント拠点として活躍し、オンライン販売の台頭で商業のデジタル化が進んでいる。現在(2025年10月)、八戸の商業は郊外SCと中心街の文化施設が共存する形へ移行中だ。
八戸の変化は、買い物の場が街の中心から郊外へ、そして文化へ広がった軌跡。長崎屋やイトーヨーカドーのような店は、市民の記憶に深く刻まれている。これからも、伝統を守りつつ新しい風を取り入れる街の姿が楽しみだ。







