今年は生音を聴ける機会に恵まれている。
先日は津軽地方で活動するCallaを聴きに弘前KEEP THE BEATへ。
Callaの奏でる旋律は、詩曲にも演奏にも健全さを感じる。
スターゲイザー(星を見つめる者、天文家の意。)って新曲をやられたからってだけではないと思うけど、日暮れの穏やかなカラフルさや、星空みたいにきらきらしたサウンド。
健康的なサウンドの背景に、日々を暮らしながらバンド活動を続けている彼らの凛とした芯の逞しさを感じ、ステージ上で髪を乱しながらライトに照らされるヴォーカルの女性の姿になぜかベット・ミドラーを視た。
別日に三沢市のサードプレイスミサワへ。星野リゾート青森屋の敷地内にできた施設で、ワノさんの生DJ。
昨秋に同市内で催されたイベントでDJされていた際に頂いた彼のミックスCD。
移動時に車内でよく掛けていたのだが、どうも精神が解放され過ぎて運転時はちょっと危ない。
彼の審美眼ならぬ審美耳で選ばれた曲たちは、別々のアーティストの筈なのにどれもα波というか、共通した周波数を放っているように感じるのは私だけだろうか。耳から聞こえる旋律以上に、精神に干渉するような何か呼び醒ます印象を覚える。リラックスしてチルできるんだけど、どこか問い質される様な。「今日の行動はそれでいいのか?最近はそう考えている様だがそれは本当に貴様のしたいことなのか?」みたいな。
名刺もお渡しして少しご本人とお話しできる時間もあったんだけど、角の取れた声の出し方で語られるので、こう言う普段の感じが作風に現れるんだよな、と感動と共に襟を正された。
ローカルでの活動について近頃おのれに問いかけがある。ローカルでの活動は世界にどう影響するのか?都会と田舎での違いは?(最近友人もSNSに上げていたけど)殿様商売風情で置きに行ってないか?と。まだ答えは出ないけど、Callaとワノさんのプレイを見て、自分の健康、自然の移ろいや人の感傷に目を向けたものはそこに通ずる価値を携えている気がした。
ローカルで活動する人や物事ってとっても大切だと思っている。妬みだとか、気に食わないだとか、そう言う感情を超えて我々はどう進化して行けるのだろうか。ローカルをつないで行った先にシティがあるのならば、この単位では何を紡いで行こうか。
|Calla|@the_calla_is_four
|ワノ|@wano_ongaku