おもいでファンタジア 第五話 廣田のねぶた 鵜飼真守

懐かしさとほろ苦さが渦巻く想い出には、ふたたび辿りつこうにも叶わない切なさがある。幼い記憶はしだいに薄れゆき、あの、ひと粒のハッカ飴がもたらした不思議な体験すら、現実のできごとなのか自信がない。

裁判所の前を横切る国道を突き当たりとして、廣田神社に挟まれた通りは廣田通りと呼ばれている。いっぽう裁判所を背にしてから山手の道筋を眺めれば、左手には神社から自動車の整備工場とガソリンスタンドがあって交差点をまたいで床屋と続き、右手は神社から寿司屋、駄菓子屋や化粧品店が並ぶ。良太が友達と待ち合わせるなら、廣田・香取・善知鳥の神社や駄菓子屋にすることが多いが、なんといっても近場の廣田神社に集まることが多かった。

夜来の雨があがった休日の朝。神社の方々にできた水たまりが干上がるのを待ちきれず、子供たちがどこからともなく集まりはじめる。廣田神社は、本殿側と通りをはさんだ稲荷社と龍神宮のある側に分かれるが、子供が集まるのは児童公園に接する稲荷社のほうだ。本殿側にも男子の発想を刺激してやまない笹藪があるが、とうの本殿が工事なことから、自ずと子供らは稲荷社側で遊ぶことになる。

自動車整備工場脇の入り口から境内に入ると、丸く切られた堀のなかに龍神宮がある。堀といっても干からびた空堀で、中には錆びた遊具の骨組みや古タイヤがうち捨てられていた。老人によれば、戦後まもなくでまだ堀が水で満たされていたころ、ここは格好の遊び場だったらしい。しかしアメリカ軍の不発弾が埋もれているとして、その撤去に自衛隊が繰り出す騒ぎになったことがある。それがきっかけなのかどうかはわからないが、良太の知る堀は水をたたえたことがない。龍神宮の横に茂る笹藪をはさんで稲荷社があり、そこへ児童公園が接している。公園には滑り台や回旋塔、そしてシーソーやブランコから鉄棒まであり、大きな鐘楼跡に接した砂場もある。公園だけでくらべれば善知鳥神社をしのぐ広さだから、長島の子が新町まで赴く必要はなかった。

良太は、老人からもらった十円玉を握りしめて境内に入った。あちこちにできた水たまりには、あめんぼうが行儀よく一匹ずついて、手足を動かすたびにしずくを落としたように波紋をたてる。そうした水たまりを避けながら稲荷社の前に立つころには、呼吸を合わせたようにマモルと妹のタカコがやってきた。

「来るべが?」

良太が呟くと、

「日曜だはんで来る来る!」

と、二人は口を揃える。こうした問答は良太が握りしめる十円玉と深い関係があって、道すがらにある駄菓子屋の誘惑を断ち切った理由もそこにある。

三人は鉄棒で覚えたての飛行機飛びをしながら、そのときを待った。

「来た!」

龍神宮前の入り口に、ゆっくりと屋台を引く老女が現れた。老女はバケツを片手に屋台から離れると、道を渡って本殿側に水をくみにゆく。これらすべてお決まりのことで、もどってから小麦粉を溶き始めるのだ。先走った子供が屋台に群がるが、まだ支度ができていないと追い払われる。良太ら三人は、そのへんのところをよく心得ていて、鉄棒からジャンプをしながら、そのときを待った。

陽の光が高くから差し込むようになって、水たまりとともにあめんぼうが消え失せたころ、老女が手先をクルクルとまわす仕草をはじめた。

「もういい塩梅だべ!」

マモルが我先にと駆けだしたので良太もそれに続くが、タカコだけは迷いがちで後追いになる。良太はタカコの思いに気づいていた。自分と同じく十円しか持っていないから、今それを使うべきか迷っているのだ。

「おばちゃん、たご焼き十円ちょうだい!」

マモルに良太もならったが、タカコはついに注文をしなかった。老女は舟をかたどる薄い木の器にたこ焼き三個を盛りつけて、爪楊枝をさしてから差しだす。

「おめは、かねえのな?」

「……おらは、もうわんか待ってみる」

マモルは小遣いを多めにもらうが、妹のタカコは良太とおなじく十円しかもらえない。たこ焼きが大好物の良太は注文したが、タカコにはたこ焼きを我慢してでも待つ理由があることを、兄のマモルはわかっている。

男二人は鐘楼跡の上に腰をおろしてたこ焼きを頬張るが、タカコはひとり、ベソをかきながら鉄棒で逆上がりを繰り返す。

「今日来るんだべが?」

「どんだべなぁ。日曜だはんで来るんでねが」

そう返したマモルは、鐘楼跡から砂場に飛び降りて妹に一個残していたたこ焼きを与えた。マモルには、妹に対するこうした優しさがある。タカコがたこ焼きを我慢してまで十円を温存した理由。それは、神社を訪れる紙芝居を期待してのことだ。紙芝居では水飴を使ったゲームができて、一等を取れば景品がもらえる。

三人は笹藪から適当な長さの笹を折り、葉を取り除いたものを刀に見立てた。こうしたとき、誰もが赤影でありサスケになった。漫画やテレビで見聞きした必殺技を繰りだして、笹の先っぽが頬をかすめて血がでようが、お構いなしに遊び続ける。

「紙芝居が来たよ!」

タカコはチャンバラの最中でも境内の入り口に注意をむけていたようで、笹を放り投げて駆けだした。

紙芝居のおじさんは稲荷社前のひらけたところに自転車を停めると、よっこらしょっとスタンドを立てた。荷台に積む大きな木箱にはいくつもの引き出しがあって、ゲームで使う水飴や白煎餅が仕舞われている。木箱のうえに飴色の木枠を組み立てたころには、境内のあちこちから子供が十人ほど集まった。

「さぁーさ、飴競争は誰がでるば!」

高々と手をあげたのは六人で、それにはマモルとタカコが含まれていた。なけなしの十円を使い果たした良太は我慢するしかない。

おじさんは割り箸を二本束ねたものに水飴をつけて、参加の六人に配った。誰もが知るルールの説明は無用で、おじさんが竹棒で黄金バットの絵を叩いたのと同時に、六人は紙芝居そっちのけで割り箸を激しく動かし始めた。手持ち無沙汰な良太は、何回となく聞かされた黄金バットの物語に耳を傾ける。

黄金バットの話が中盤を過ぎたころ、みんなの水飴は白くなっていた。水飴は激しくこねられるほど気泡を含んで白くなる。まだ雲母ほどに濁っている子もいれば、やっきになるマモルの飴は練乳に見まがうほどの白さになっていた。タカコも頬を真っ赤にしてがんばるが、兄には到底およばない。はじめかたい水飴は、こねるほどに柔らかくなって、トロトロと割り箸の間を行き来する。その白さは練乳はたまた降り積もったばかりの雪のようだ。

「うわっははは! 突然現れた正義の味方黄金バット!」

お決まりの台詞とともに吹く一陣の風。風は紙芝居の一団をすり抜けて稲荷社の笹藪を騒がせる。良太の目がそちらに吸い寄せられると、そこには知恵先生の顔がぽっかり浮いていて、揺れる笹の隙間から白い手指がのびてくる。

「ぼくは食べないよ!」

思わず叫んで口を真横に引き締めるが、まわりは紙芝居のただなかで、良太の声が耳に入らないのか懸命に水飴をこねている。あれもこれも幻の前触れはいつもの通りで、良太は現れるであろう人物を探す。

目当ての人は、すぐにみつかった。児童公園側の入り口に立っていて、相手と目が合うことで確信をした。その人は紙芝居や公園の遊具で遊ぶ子供らと交わることのない隔絶された存在で、まるで切り貼りをされたように佇んで見える。淡いベージュのワンピースに白く小さなバッグをたすき掛けにした若い女だ。ワンピースは、脇の下からスカートの裾まですとんと落としたようなデザインで、良太がひごろ目にしているものとは違う感じがする。良太がためらうことなく近づくと、先方もまた踵のない奇妙な靴でペタペタと歩み寄った。

「ねえ、ぼく。ここの駐車場は、いつから公園になったの?」

女は自分の問いに矛盾を感じたのか、形のよい唇をわずかにゆがめた。置かれている遊具のどれもが赤茶色に錆びていて、どう見ても新たに作られたものではないからだ。そして良太もまた、女の質問が未来を示すことに気がついて、切ない気持ちになる。

「こごは、ずっと公園だはんで……」

「そんなはずないわ。いつのまにか、あっちの公園には大きな建物が建ってるし」

女は後背を顧みて、裁判所の隣を指で示した。

「あそごは県病!」

よほど驚いたのか、女はたすき掛けのバッグからハンカチを取り出して額にあてる。

「わたしは県病に勤める看護士なのよ。県立中央病院は造道にあるんだから」

県病が長島からなくなる。それは良太にとって、バスセンターが新町から消え失せることよりショックに思えた。知恵先生をきっかけにして現れる誰もが青森の将来を語るが、それだけに好奇な思いがわき起こる。

「ねえねえ、お姉さんの知る県病の場所さは、なにがあるの?」

この言いようが釈然としないのか女はかすかに眉を寄せて、

「公園があるわよ」

と、つっけんどんな返事をしたが、良太の顔は幾分晴れやかになった。児童公園が駐車場に成り果てると知って失望したものの、しっかりと新しい公園ができているからだ。 良太は核心に迫るように工事中の社殿を指で差し、お姉さんの知る神社は、あの社殿ができているかと聞いた。

「えっ、あの……ここは廣田神社よね? なんで……」

示した本殿は工事中であり、もし女が先の時代からきたなら、きっと完成した社殿を見ているはずだ。

「……おかしいと思ったのよ。国道は見たこともない車ばっかり走ってるし、青い森公園には建物があるし。もう、どうなっちゃってるの!」

戸惑う女におもしろいものを見せるといって、良太は神社の奥へと導く。そこは稲荷社と龍神宮の間をとおり抜けた裏手の突き当たりで、ちょうど自動車整備工場の裏手にあたる。行きつくと、大きな骨組みに白いビニールを四角に張った小屋があった。

「これって、もしかして!」

歯を見せた良太は、シートをまくり上げて中に誘う。

「おらほのねぶただよ。長島のねぶた。廣田のねぶた」

女はねぶたを隅々まで眺めまわす。それはよく見られる子供ねぶたで、きりりとした墨引きを終えていて、彩色も八割方済んでいる。

「長島って、町内会でねぶたを出すの?」

「んだ。したはんで、おらほのねぶた」

それからと、良太は真顔になって言葉をつなぐ。ここはお姉さんが暮らす時代より、ずっと前の青森なこと。そして、すぐに戻れるから心配がないこと。

「とても信じられない話だけど……そうでもない限り説明がつかないわよね。君がいうとおり、夢から覚めたみたいに戻れればいいんだけど」

そう言葉を切った女は、テントからでて感慨深げに辺りを見まわした。

「きっと、これは両親が見てきた風景なのね……」

児童公園の方角から、数珠つなぎに破裂音がひびく。誰かが駄菓子屋で買った爆竹を持ち込んだに違いなく、その煙こそ見えないが、音とともに女は煙のように消えていた。こんどは幾分軽い音が弾ける。それはクラッカーと呼ばれる花火で、黄色の煙が煙ってから時間をおいて破裂する。良太は、我にかえって紙芝居にむけて走った。

紙芝居のゲームではマモルが見事に一等で、景品の水飴に薄煎餅でパンダを模したものをもらった。タカコはしきりに悔しがったが、兄からパンダの耳をもらった途端に機嫌をなおした。ふたたび三人は鐘楼跡に座り、マモルが戦利品の煎餅をパリパリと食べながら良太に語りかける。

「おめだのかっちゃ、青森さ来たんだべ?」

うんと頷く良太は、マモルをチラリと横目で見る。母は東京での療養を終えて青森に帰っている。嬉しいことには違いないが、面とむかって友達から聞かれれば、このように口ごもる。幼いころから父方の叔母や祖父に育てられ、父の記憶はほとんどない。良太にとって離婚という言葉はピンとこないが、話の流れから父の話題におよぶことを恐れていたのかも知れない。母は、祖父の家をでてアパートで暮らそうと話している。それが嫌では決してないが、祖父との暮らしを終えるのがさみしい思いもある。

「よがったべな」

「んだな……」

タカコが、

「よかったよかった」

と、蟹のように手鋏で踊りだす。邪気の微塵もないタカコのあかるさに、良太はどんなに救われただろう。爆竹がまた鳴って、風に流された火薬の臭いが鼻先をよぎった。この音は、もうあのお姉さんには届かないのだと、良太は思った。

第五話 廣田のねぶた(了)

Author: 鵜飼真守

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