おもいでファンタジア 第三話 やなぎゆらゆら 鵜飼真守

懐かしさとほろ苦さが渦巻く想い出には、ふたたび辿りつこうにも叶わない切なさがある。幼い記憶はしだいに薄れゆき、あの、ひと粒のハッカ飴がもたらした不思議な体験すら、現実のできごとなのか自信がない。

国鉄の線路は青森市を東西に横切るから、山手からながれる川は線路の下をくぐり抜けてから海にむかう。市の中央を縦につらぬく柳町の川も例にもれず、水は線路の盛り土に掘られたトンネルをくぐり抜けている。長島と中央町の狭間にある盛り土には、トンネルの出口に大きな堰があって、あたかも水が湧いているように見えるものだから、良太はそこから川が始まると思い込んでいた。川は、そこから国道を越えて新町を横目に青森港まで流れるが、その川端には通りの由来になる柳の並木が風に揺れている。

長島の子が遊ぶ東限はこの辺りまでで、市役所の並びにある書店で漫画を読むか、市民会館に子供映画を観にいく場合でもないかぎり、柳町通りをこえることは滅多にない。小学生になった良太は線路下の堰まで足をはこぶようになったが、柳町といえば柳が主役であり、地面すれすれまで垂れさがる枝葉にぶら下がっては、雄叫びをあげながらターザンになりきった。

ひとしきり柳で遊んでから漫画を読みにいく。つまり柳町へむかうときは書店に寄ることが暗黙の了解になっていて、この点、駄菓子屋が多い長島界隈とは遊び方の棲み分けができていた。柳町通りは子供に人気な店や食堂が点在していて、柳町交番のはす向かいにある釣り具屋を皮切りに、国道を渡って金しめの食堂、千葉室内の並びにある遠藤書店、むかい側のコロンバンと続くが、良太ら男子の人気を独占していたのが横山模型店だ。

「リョウ、月刊チャンピオンのジオラマ見だ?」

「見だ見だ。 兵隊の手足ば付け変えるやつだべ?」

うなずくマモルとシンジが模型店のガラスケースを覗きこむと、良太もそれにならう。このころの月刊漫画誌の巻末にはプラモの記事がよく載っていて、塗装や改造のテクニックを披露している。なかでもジオラマ作りの記事がもっとも人気があり、プラモ小僧はこぞって読んでいた。ジオラマとは戦場の兵士や戦車を風景とともに再現したもので、子供なりに史実の再現することに価値を感じていた。いつか雑誌にジオラマ写真を投稿する。これを夢見て、手の届かないプラモを眺めてはため息をついていた。

店の奥では、黒縁メガネの店主が竹ひごを削っている。ひとしきり削り終えた店主は塗料皿をだしてきて、白いエナメルを溶剤で薄め始めた。

「飛行機ばこしらえる前に、色ば塗るんだべ」

物知りげに語るマモルに誘われて、良太は塗料皿に目を落とした。光沢を帯びる白いエナメルが、水彩絵の具さながらに渦をまいて薄れてゆく。それを筆にとり、長さの異なる竹ひごに塗り始めた。シンジとマモルは店主の筆をなぞるようにして目を凝らすが、良太はそのぬらりとした白いエナメルにめまいを感じ、外へ目をそらした。道むこうの柳並木が、おだやかな風で揺れている。良太はその枝葉の隙間に目を凝らした。見え隠れするのはエプロンの青で、枝が大きく揺らぐと、じっとこちらを見る知恵先生の顔があらわになる。

「知恵先生――」

良太は、声にならない声を飲み込む。すると枝葉の隙から白い手指がひょろりとのびて、道を挟んだ良太に迫る。その指にあるのはハッカ飴だ。

「こっだらだプラモ屋、なんだが懐かしいなぁ!」

忽然と現れた客は、方々に積まれた模型の箱や天井を見まわしている。それは二十代ほどの男で、あちこちほころびる無作法なジーパンを穿いている。男は天井の竹ひご飛行機が気になるようで、一緒につられた千歳飴のような飛行機の袋を丹念に眺めている。

「白鳥号やコメット号って、なんだがレトロなネーミングだなぁ。したけど、こごさはガンプラだのミニ四駆は置いでねんだな?」

そう呟くなりこちらを見るものだから、良太はガンプラってなんだと問い返した。

「ガンプラってへば、ガンダムだべな。おめ、わがんねんずな?」

「がんだむ?」

良太が要領を得ないものだから、男はロボットのプラモデルだと教えた。すると合点がいった良太が店の一隅を指でさす。ここはミリタリーが主な品揃えだが、キャラクターものも置いていて、マグマ大使やジャイアントロボなどのロボットものから、マッハゴーゴーに登場するマッハ号まで積んである。それを見た男は目を丸くして、あらためて店内を見まわしてみる。

「なんだばこの店。徹底した昭和のコンセプトだべな……」

男が昭和と口にしたことで、良太はこの人も先生がもたらした幻だと理解した。バスセンターや銭湯で出会った人たちとおなじで、言いたいことをいったあげくに忽然と消えるに違いない。

見まわすと店主は相変わらずエナメルを塗っていて、友達はそれに見入っている。すると、男がまた驚きの声をあげた。

「なんぼ凝ってるんだ! タミヤのロゴは星ふたつだべ。このロゴは……」

「田宮のロゴは、丸にカタカナでタミヤだよ」

男は濃い眉をにじり寄せてこちらを見るので、核心の質問を口にする。

「おじさんは、いつの時代の人ですか?」

「いつの時代って、令和に決まって……」

良太の唐突な切り出しに血の気が失せた男は、外へ駆けでるなり、慌ただしくまた戻る。

「――のっけがら変だと思ったんだね。いづだが来たとき、この通りさ川はながった」

柳町通りに川があるのは当たり前だ。この男は五所川原に住んでいて、ここを訪れたのは二年振りらしい。

「とごろで、おらはなしてこごさいるんだ。わげわがんねまま、通りばあさいでだばって、なんも憶えでね」

銭湯の男とおなじで、この男も知恵先生の幻に巻き込まれたに違いない。

「おじさんの時代は、レイワって呼ぶんだべ?」

男はうなずいて、二〇二四年だと答える。

「いまは、昭和四五年だよ」

ある意味残酷な答えを返した良太の袖を、マモルが強く引っぱった。

「サンダーバードの秘密基地あったど! おらも欲しいなぁ」

サンダーバードは外国の人形劇で、国際救助隊の乗り物が飛び立つ秘密基地は、男子憧れの的だ。良太の好きな二号が、この島の形をした基地のプールから出発する仕掛けも忠実に再現している。このプラモを持つ同級生は何人かいるが、三人は買ってもらえていない。

良太が後背を顧みると男は消えていて、柳のむこうに立つ知恵先生の姿もなかった。マモルが袖を引いたことで現実に戻れたのか、それとも、解けたからこそマモルは袖を引けたのだろうか。

横山模型店をでた三人は、柳町通りの柳に沿って山手にむけて歩いた。公園は途中国道で途切れるから、渡るためには右の歩道へ移動してから信号待ちをする。道を渡った正面には薬局があって、国道で寸断された公園が再開するところに大きな交番がある。そしてまた道路をはさんで日銀、市民会館、市役所と続く。こうした見慣れた光景を眺めるうちに、良太は祖父に連れられた子供劇をおもいだした。劇団四季という小さな劇団が青森にやってきて、市民会館で公演をした。たしか、イチムラとかいう新人が主人公の小坊主を演じたはずだ。

信号が青に変わり国道を渡った三人は、柳町通りに面する香取神社の境内に足を踏み入れた。良太は家が近いことから廣田神社で遊ぶことが多いが、柳町に来たときには、こうして香取神社に寄ることもある。廣田神社は敷地が広くて笹藪が多いのに対し、香取神社はすっきりとしていて、本殿のほかは石碑や石灯籠と、それに寄り添う柳の木が何本か立つだけだ。石灯籠の石段は柳を使ったジャンプの足場にぴったりで、地べたから枝にぶらさがるより遠くに飛べる。我さきにと石段に駆け寄るなかで、先頭をとったのは良太だ。最上段までのぼった良太は、枝のできるだけ高い位置を掴むなり、ふと空を見あげた。真っ青な空に浮かぶちぎれ雲が、尋常ではない速さで流れている。なぜだか底知れぬ恐ろしさがこみ上げてきて、背筋が寒くなる。下では二人がまんじりともせずにこちらを見あげていて、次は自分だとばかりに待っている。良太は思い切って石段を蹴って宙に浮いた体をエビのようにまるめると、放られた体は弧を描いて高みにあがった。そのまま着地に成功した良太は、はしゃぐどころかしゃがみ込んだまま動こうとしない。異変に気づいたのはマモルだ。

「リョウ! なした?」

良太は地べたに尻をついたまま、ゆっくりと足をのばした。ズックの靴底にゴムを貫通した琥珀色の硝子が見える。それは明らかに割れたビール瓶で、見る間に靴底から血がにじみでてきた。そうとわかった二人が騒ぎだすが、とうの良太は照れくさそうに口もとをゆがめた。不思議と痛みはそれほどでもなく、しだいに足裏が熱くなる。

「すげえ血だ!」

「リョウどごの、ジサマ呼んでくるはんで!」

シンジはそう叫び、神社の裏手から平垣を乗り越えてゆく。良太の足はふくらはぎまで熱くなり、それに反して顔や手先が異様に冷えてくる。マモルがなにかと話しかけるが、良太の耳に入らなかった。良太は危険を暗示したような空を見あげていた。空は真っ青なままだが、目まぐるしく駆けていたちぎれ雲は、役目を終えたようにどこかへ失せていた。

第三話 やなぎゆらゆら(了)

Author: 鵜飼真守

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