【虹倉きりのアオモリライフ!】#30 「別れのブルース」ってめっちゃ文学的じゃない?

物書きナレーターの虹倉きりです。

先日、カナダ在住の日本人作家の方とスタエフでコラボ配信しました。再生数が少ないのでよかったら聴いてやってください。
(スマホからだとアプリインストールの誘導があるかもしれませんがWebでも聴けます)

コラボ相手の千本松由季さんはYoutubeで小説の書評や書き方について発信しておられます。
動画ではよく「小説は物語ではない」「小説に説明はいらない」と仰っているんですね。詳しくは千本松さんのYoutubeを見ていただきたいのですが、かなり古い歌の歌詞で「なんか文学っぽいな」と感じることがありました。

とどのつまり朝ドラネタなわけですが、それしか書けるネタがないので許してやってください。

 

ブルースの女王・淡谷のり子(青森市出身)の代表曲といえば!

「別れのブルース」ですよね!!

 

当たり前のように書いていますが、おそらく常識として知っているのは私(平成6年生まれ)の父母世代くらいでしょうか?
私は物心ついたときに淡谷先生の訃報で、後にものまね番組で「別れのブルース」を知りました。
(日テレでコロッケさんがマトリックス仕立てでやっていましたね……懐かしい)
今の朝ドラ(ブギウギ)では茨田りつ子が一番好きなんですが、たまに出る津軽訛りがすごく良いんですよね。だからなんだって話ですけど。

話を歌詞に戻します。
千本松さんが提唱する「説明不要論」小説での話なのですが、結局のところ「文学として昇華されている」ってのがオチだと私は思うんですよね。

つまり何が言いたいかというと……説明なしの文章で情景がきちんと浮かべられれば、歌詞だってちゃんとした文学になっているのではないかと思うんです!

「別れのブルース」の歌詞には、説明は全くありません。
さすがに歌詞を載せるわけにはいかないので↓のサイトで確かめてほしいのですが……

触りの部分で海が舞台であることが分かりますよね。
でも歌詞に「海」は一文字なくて、代わりに「港」「波止場」「船」などの関連ワードが出てきます。
一見すると説明に見えなくもないですが……浮かんでくる情景は海であって、それ以上でもそれ以下でもないわけです。

青森には定期的にクルーズ船がやってきます。
船が乗客それぞれの想いを乗せて離れていくと考えると、やけに感慨深いものがありますよね。

今年初の寄港は3月21日。
そこで船室の窓を開けると、青森が見えます。

Author: 虹倉きり
事務の仕事をしている物書きナレーター。アオモリコネクトではエッセイを毎週連載しています。

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