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家中安泰
2-1 桜散る
桜は満開だったが、夕刻より降り始めた雨が強まり、次第に風も吹き始めた。一晩にして木々は緑の姿をあらわにする。平川の両岸の砂利や流れの淀むところに、桜のその淡い色が重なっているようだ。
窓より遠目で川原をみる。きっと外はすがすがしいだろう。雨が通り過ぎたのもあり、空は晴れわたる。……館の中というと対照的で、白と黒の色、香木のしけたような匂い。
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「まこと、この様なときに亡くなられたのが不憫でならぬ。大浦家三代にわたり仕えた忠臣が、桜をじっくりと眺める暇も与えられずに、あの世へ去ったのであるから。」
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大勢の家来衆が、一人の男を見つめる。上座にいるその男はたいそうな”あご髭”をはやし、まだ二十七にすぎないが相応以上の風格を持つ。
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彼こそが、津軽為信である。
「そう、森岡信治という人物は、まこと雷のような男であった。昨晩の嵐はまさにそうであり、信治が、嵐を出迎えて、そして従えて、天上界へ昇ったのだろうと私は思う。」
一同、静かである。少しだけすすり泣く声も聞こえるが、この場にいるほとんどは武士なので、わめくことはない。
ちなみに為信の横に座すのは、この福村館の主である森岡信元。信治の跡取りとしてすでに代替わりをしている。無論悲しいことは当然だし、主君の為信が自らこちらへ出向いてくれたことには感謝している。ただこれまでの経緯があるので、なんとも複雑な思いがある。
……今、津軽家臣団はこの館に集結している。為信は名舌を、家来衆は感激し、葬儀は滞りなく終わったのである。
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2-2 家族
為信は頷く。
そして今一番の課題が解決できればなおよろしいことか。できれば大きな戦は避けたいものだが……。
為信は平太郎の頭をやさしくなで、総五郎は自らそばへ駆け寄って為信の脚をつかむ。……ただし為信には少しだけ戸惑いもあるのだが、いつも心の奥底へしまっており、他の者へ見せることはまずない。
2-3 転がる先
……廊下の角に光る一つの灯。そちらのほうへ鞠は転がる。その鞠を拾うは沼田祐光。子供二人は当然彼を見知っている。平太郎は上に手を伸ばして、笑顔で鞠を求めた。沼田は“夜は危ないですよ”とだけいい、やさしく平太郎へ返す。沼田はその足で為信のいる一室へと向かうのである。
2-4 殺さずにて
…………
「亡き森岡殿、死して当人にとってもよきことでございました。」
為信は少しだけ顔をしかめつつも、その言葉に頷いた。
為信は沼田の顔を見た。沼田は笑みとも違う、ある意味で一種の軽蔑に似た表情。……いや、軽蔑とも違う。よくわからない感じ。……人はなぜ意味のない行動をするのか。信念にとらわれ、全体とみることのできない男。そういう思いで死んだ森岡信治をみている。
……それでも沼田はかつて面松斎という名で占いもやっていたので、そのような行動をする人間が一定数いることはわかっている。だが考えが固まりつくとなかなか曲げられないことも熟知していた。
……結果的に、非情な決断をせずに済んだ。取り決め通り信治の跡継ぎである信元には遺領をこれまで通り治めることを認め、福村より和徳へ入ってもらう。
2-5 説得工作
沼田は一息おく。
元をただすと、為信決起以前に遡る。かつての津軽地方は南部氏しが実効支配しつつ、古くからの権威として浪岡北畠氏しが存在した。しかし永禄五年(1562)、“川原御所の乱”という浪岡家中で内紛が発生。これを契機に浪岡の地位は衰え、南部氏及び南部氏のおく津軽郡代の力がさらに強まった。
説得のために重要になるのが、大義名分である。
揺れる笹と竜胆
2-6 狂い
2-7 宿敵滝本
滝本重行という人物は今風に言えば為信のライバルであり、生涯交じり合うことは決してないだろう。滝本は為信のいない津軽こそ正しい津軽だと信じているし、かつ為信を死地まで追い込んだこともある。その男が動いている……。
…………
養子、何のことだ。それとこれとで何の関係がある。
2-8 二の舞
それはもちろん兼平も知っている。永禄五年(1562)なので、十五年も前の出来事。弟が兄の家を討ち、その混乱をおさめたのが浪岡北畠一門の長老、北畠顕範である。当時残された御子は今や成長し、御所の北畠顕村となった。
……戻らぬ多田を探して、誰かがうろついている。これはまずいと兼平は後で話そうと無理やり約束し、すぐにその場より退散した。
2-9 二子殺し
兼平は多田に問いかけた。
「急にそこまで……何がそこまでさせたのだ。」
「ほう、我が主君がそのように見えると。」
2-10 心苦し
「……もちろん浪岡北畠を考えれば、治水の話は大いに素晴らしいことかと存ずる。尾崎殿も同じです。しかしこうなってしまった以上、家中は分かれます。……この気持ち、わかってくださらぬか。」
多田は兼平の両肩をつかみ、必死になって頼んでくる。兼平は初めて見せるその多田の表情に当惑するのみ。
「多田殿……それでも、水谷殿が違う考えでも、御所が為信に与するとご決断さされれば、それで済むこと。……もうひと踏ん張りしていただけませぬか。」
「それはもちろん……。正直なところ、為信を敵にしたくはない。無論、兼平殿を信じてはいるが……。だがこれもわかってほしい。私一人だけで助かるわけにはいかぬ。これでは多田の名折れ。浪岡すべて助けてこそ多田の名が立つ。」
多田は泣きこそしないが、顔を見せまいと下の方から目を離さない。兼平の両肩はつかんだまま。次第に握る力は強まる。
「……わかっている。私は多田殿を信じている。」
兼平は優しく多田の手を肩よりおろし、肩を慰めの意味で軽くたたいた。……多田をここまで追い詰めてしまった。兼平にとっても一年の長きにわたる交渉を不意にしたくない。……その想いが知らぬうちに出てしまっていたのだろう。そのようなところは直さねばならぬなと反省した。