【小説 津軽藩以前】最終章 大光寺の戦い 天正四年(1576)正月

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見果てぬ夢

10-1 運

 この頃より、津軽ではある噂が広がる。

 “為信様は津軽を治めるお方。津軽の王者たるべきお方。為信は民の安寧を求めている。……民は競って為信に従うべき”

 乳井らが仲間の僧侶らと協力し、村々を歩いて喧伝。次第に南部氏を良しとしない風潮と併せ、為信への民衆の期待は高まった。

 そして秋が来る。前年とは違い、豊作であった。本来なら年貢をきっちりとるところだが……特例として、その年だけはいつもの半分でいいこととした。理由は、正月に落成する岩木山神社と百沢寺の前祝いである。民衆は喜び、為信待望論はさらに沸騰した。


 同じ頃……静かに死にゆく者が一人。巷の熱気を浴びることなく、果たせなかった夢を見る日々を送る。


 万次である。

 高山稲荷の社殿、そのような目立つところにはいない。奥離れた林の中、ひっそりと建つ朽ちかけた小屋の中。

 体調が悪いのを仲間らに隠すため、わざと人気のないところで臥す。

 ……そして、木の陰から覗く男があり。小笠原だ。万次をいつ仕留めようかと企んでいた。しかし……病に罹る人間を殺すのも、心にさわる。躊躇っているうちに、日々は過ぎていった。

 万次もとっくに気付いている。たまに来る者らも注意を促すが、あえてそのままにさせておいた。


 いつ、殺されようか。俺の役目は終わっている。

 ……津軽統一を先に考えたのは、俺が最初だ。“我らが津軽を征する”と叫んだ瞬間を、ありありと今でも思い出せる。

 俺は生贄として、為信をも殺そうとした。しかし、為信は生き残った。

 俺と為信で違うものは……“運”だ。


 ここは潔く、夢を託そうと思う。

10-2 死際

 外より、落ち葉を踏みつける音が近づく。一人、戸の前で止まった。……たて付けの悪い木戸は、強く押さないと開かない。


 小笠原は、万次を殺さんと現れた。

 万次は床に就いたまま顔を向け、笑みを浮かべて出迎えた。小笠原は近くに寄り、布団の横で座す。


 無言のまま、時は過ぎる。


 ……小窓からは、秋の寒い風が入る。万次のその弱った体にはきつい。いくら布団で覆っていても、しみるのだ。

 小笠原は一切表情を変えず、座り続ける。

 そんな彼に、万次は語りかけた。

 「殺しに来たのか。」


 頷きもしない。


 「やれ。」

 万次はそういうと、布団を少しだけ足の方へずらした。首元を隠す物は、何もない。

 小笠原は刀を抜く。静かに、そしてゆっくりと、輝く部分を首に近づける。そして刀と首は接し、動きを止める。

 ひんやりとした感触。氷の冷たさのようだ。少しだけ皮膚と刃がこすれ、赤い血が隙間より漏れだす。

 万次はなおさら笑顔を作って、小笠原に言った。

 「やっぱり、死ぬのは痛いな。」

 小笠原の、仏頂面は変わらない。万次は……最後の語りを始めた。


“俺の周りに集まった下衆ども。やつらに夢を見させてやることができたかな”

“安心しろ。仲間にも言い含めてある。俺が死んでも……為信に従い続けろってな”

 片方の手で、早く殺せと急かす。万次は目を瞑り、今にも逝かんとする。

10-3 最期

 小笠原は、その体勢から一向に動かない。万次はしばらく目を瞑っていたが……次第に心が揺れる。

 いざ決心がつく。小笠原は刀を振り上げた。

 すると……突然。万次は布団を両手でつかみ、小笠原の方へ投げた。刀は布団の綿を顕わにさせた。

 万次は叫ぶ。

 「聖人君主の如く、だまって死ねるか。」

 辺りの物、ことごとく投げつけた。小笠原は甘んじて全てを受けた。近くに物がなくなると、万次は体当たりを仕掛ける。残っていた力を振り絞り、小笠原へ向かう。


 ……一振りで斬り捨てられた。斜めに刃は入り、万次の体は横へ倒れこむ。

 命は、一瞬のうちについえた。

 万次は口を大きく開け広げたまま。顔の皺を際立たせ、この世の者でない形相を示す。

 小笠原は……涙を流す。万次が死んだのを確かめると……その場から立ち去った。振り向くことはしない。

 万次は、かつて小笠原を助けた。信州より逃げてきた時には食べ物を恵み、大浦家への仕官も薦めてくれた。大恩人を斬る羽目となる。

 小笠原は……このまま何処かへと放浪しようかなとも思った。ただ……それでは万次のしたことが無駄になってしまう。


 万次も夢見たこと。

 “津軽を平らげる”

 為信の元、果たそうではないか。

 その後、小笠原は大浦家に戻る。万次党は分裂こそすれ、多くは為信に従った。一部は港町鯵ヶ沢を燃やそうと企んだが、鯵ヶ沢代官の秋元が未然に防ぐ。彼らは舟をこぎ出し、さらに北へと逃げていったという。

 万次党は、大浦家臣として浪岡攻略戦など多くの活躍を見せていく。


 ただしその徒党は……平和な時代が訪れるとともに、形を失い消滅した。すなわち他の民衆らと同化したことを意味する。

10-4 卍の意志

 天正三年(1575)春、田植えがすみ余裕ができたころ。南部信直に対し、九戸政実らは再び反旗を翻した。裏では安東氏が資金援助をし、大浦と九戸の連携も成立させている。


 そして……晴れ渡る吉日、八月一三日。

大浦為信は三千の兵を集め、大光寺へと出陣しようとする。沼田祐光はもちろん、後に大浦三家老と呼ばれる兼平綱則、森岡信元、小笠原信浄もいる。知恵者の八木橋や仏門の乳井ら含む大浦家臣団はここに集まった。さらに浅瀬石の千徳政氏も加わる。

 敵は大光寺城の城代、滝本重行。武勇知略に優れ、為信を倒さんと企む相手。田舎館の千徳政武も滝本に味方した。千徳は本家と分家で対立するに至る。

 辰の刻、大浦軍は真新しい旗を掲げた。以前の様に南部の旗は使えぬ。二羽鶴の文様は、全て燃やした。

 ……白地に赤く描かれたのは、錫杖の先。岩木山の加護に預かり、津軽を征することを示す。何百も掲げられ、新生大浦家の初陣を飾った。

 そんな中、小笠原は一本の旗を持参した。丸められたままで中は見えないし、少し古びているように感じられる。為信は“構わぬ”と申し、改めさせた。

 褐色に化した布地に、黒い墨で “卍” が描かれている。小笠原は言った。

 「津軽を平らげることは、万次の意思です。」


 為信は許した。何百もの錫杖の中に、一本だけ馬鹿でかい “卍” の旗が掲げられる。

 大浦軍は出陣した。

 第一陣は大光寺より南西の館田口に乳井らが七百。

 第二陣は南東の唐竹山に小笠原ら八百。

 第三陣の五百は北に座し、田舎館千徳からの援軍を遮断。

 そして本陣の千兵は大光寺より真西に位置する館田林に置かれた。兼平や森岡、八木橋らもここにいる。

 遠くより大光寺を包囲するに至ったが、城へ向かおうとすると、田が広がっている。水で満たされ、泥で足がとられることだろう。

10-5 開戦

 沼田は一人、敵の様子を探るため農夫に扮する。大光寺城の兵らは意気揚々で、為信が攻め来るのを今か今かと待ち受けているようだ。かつて堀越騒動でしたように……民らにも石を投げさせ、枝葉を道に置かせるつもりだ。

 ……やすやすと攻め滅ぼすことはできないだろう。さすがは滝本、味方ならさぞ頼もしいこと。

 ……大浦軍は、大光寺を包囲したまま夜を迎えた。松明を大いに焚かせ、大軍であることを敵に示す。しかし、大光寺勢は怯まない。滝本は城兵を鼓舞し、意気を高めた。

 さて、次の日に移る。為信は第一陣と第二陣を城へ近づけさせ、太鼓など音のなる道具で挑発しようと仕掛ける。滝本は動かず。彼もまた”ならばこちらも”と法螺などを吹いて城から出てくるのかと身構えさせたり、笛に歌をのせて諳んじたりした。

 二日目も、刃を交えることなく終わる。

 三日目となり、空が少し怪しくなり始めた。ここらが頃合いだと為信は思い、北の兵以外のすべてに城への攻撃を命じた。

 大浦軍がこちらに動く。……勝負をかけてきたなと滝本は考えた。……よし、城を囮として、七百だけ分けて出陣する。林を抜け、為信の本陣を狙う……。

 城内にいた沼田はこの動きを知らせるため、本陣へと戻ろうとする。まんまと抜けることはできたが……滝本の急な動きについていけず、しかも為信の本陣も城へ向かって動いているため、正確な位置が分からない。

 第一陣と第二陣は何も知らないまま、大光寺城へと襲い掛かる。中の城兵は必死に抵抗し、互いに無傷ではいられなかった。火縄でも狙ってくる。

 乳井と小笠原は先頭に立ち、門を壊そうとかかる。……少しして門は破れたが、足の裏に石や草の棘が刺さる。多くの兵が痛みを訴えた。いくら草履をはいていたところで、激しく動くうちにやぶれさる。こうして勢いは削がれた。

 暗くなってきたので、一旦引き上げようと後ろへ下がろうとすると……突然大声をあげて、農夫らが鎌を携えて襲ってきた。慌てて逃げる兵らだが、城から出た後も追ってくる。一面に広がる田んぼに足を取られ、殺される者も多く出てしまう。

天地否

10-6 強敵滝本

 本陣も大光寺城へと進む。座していた林を抜け、見晴らしのよい田んぼの、細い畦道に入った。すると……向こう側の林から、南部の二羽鶴の旗が見えた。

 滝本勢七百、大浦の本陣を急襲する。予想外の事態に兵らは乱れ、倒されていった。組織していた火縄隊は無意味。敵兵は一斉に矢を浴びせかかり、怯んだところを討ち取っていく。田んぼに転げ落ちた者、泥まみれになりながらも起き上がって、敵兵と取っ組み合いをする者。ただし助太刀に入った敵に横より刺される。


 為信の危機だ。

 すべてを捨て、大浦城へと戻ろうとする。滝本は “あれが為信ぞ” と指さす。敵の意気は高まり、こちらへと向かってくる。

 己の馬は、どこかへと行ってしまった。おい、そこの者。馬を貸せ。……よし、そうだ。大将が死んでは、津軽統一は果たせぬ。今は退いて、様子を見るべきだ。

 その時、為信の乗る馬の尻に、槍が突き刺さる。馬は大声をあげ、高く足をあげた。為信は後ろざまに倒され、田んぼの泥の中に転げ落ちる。


 兜が外れた。紐が切れる。長く伸びたあご髭が、汚泥に浸かる。虫などは毛をつたい、体の至るところをまわる。為信にそれらを払う余裕はない。

 ……近くの者が兜を拾い上げて、自らかぶった。田んぼのあぜ道に仁王立ちし、敵兵へ刃を向ける。“我こそは為信だ” と叫び、勇ましく敵兵の中に飛び込んだ。

 為信はなんとか田んぼより足を出す。草履は失い、裸足のまま大浦城へと駆けていく。

 そのうち、異変に気付いた第一陣と第二陣がこちらへ来る。滝本は仕方なしに襲うのをやめ、大光寺城へと引き上げていった。……沼田は本陣を見つけることができず、近くにいた第二陣の小笠原に知らせた。こちらの兵らも弱ってはいたが、本陣が倒されては元も子もないと急いで探したのだ。

 こうして、大光寺の初戦は滝本勢の勝利に終わる。数多くの錫杖の旗は戦の泥にまみれ、神仏の加護だけでは勝てぬ相手だと証明していた。ただ一つ、卍の旗だけが汚されることなく戻ったのは幸いか。

10-7 勝鬨

大光寺は色めき立った。二倍以上の大浦軍に勝利したのだ。この勢いのまま、大浦城へ攻めかかろうと多くの者が唱える。しかし滝本は冷静だった。

“為信という男は運が強い。大浦家もすべての力を出し切ったわけではない”

そのように諫めたが、従わない者もいた。田舎館の千徳政武である。いまこそ本家の浅瀬石千徳を倒し、わが領地へと組み入れようと考えた。

こうして攻め込んでみたのはいいものの、大浦の援軍が到着して返り討ちにされた。これ以降、千徳分家は勢いを失う。


……そのようなこともあったが、滝本はとりあえず安堵していた。為信はしばらく攻めこんではこれまい。信直公が九戸らを鎮めれば、次には津軽へ援軍が来る。それまでの辛抱……。


収穫の秋を迎え、また冬が来る。大光寺では新たなる時を祝おうと、いつもより増して盛大に正月を祝った。前年に為信を退け、滝本の津軽における地位は高まった。近い将来、津軽郡代の襲名も夢ではない。
滝本は“いやいや” と話をそらす。私はあくまで家来の一人。大光寺の遺子を守っている城代に過ぎぬ。分はわきまえておる……。


…………


天正四年(1576)正月。大浦軍は再び、大光寺城へ攻めかかった。

雪は横なぶりに吹く。逃げようにも、どちらが東か西か分からぬ。酒に酔いつぶれ、抵抗することなく殺される者。なんとかよろめきながらも立ち上がり刀を振るうが、腹わたに何本もの槍で刺されて絶命する者。……外に出ても疲れ果て、凍死する者。


城代、滝本重行。大光寺の遺子を胸元に抱え、東へと逃げた。山を越え谷を越え、三戸を目指す……。この人物は為信生涯の敵であり、今後も六羽川合戦などで幾度となく為信を追い詰めることになる。

こうして為信は、大光寺城を落とす。

南部からの謀反は成った。

津軽為信と名乗りはじめたのは、この時よりである。それは津軽郡代ではなく、津軽の王者として。

10-8 地獄絵

 ここは新しく建てた奥座敷。為信は子らに囲まれ、楽しそうに語らう。……あくまで“楽しそう” にだ。

 一昨年生まれた平太郎(信建)と、昨年の冬に生まれた総五郎(信堅)。なんとも愛くるしい限りだが、……心の底より楽しめぬ。

 隣には正室の徳姫が座す。深いところでどう思っているか知らぬが……。もはや覚悟を決め、津軽家の母となったらしい。為信は徳姫に問う。

 “お前は、幸せか”

 “はい。殿の傍にいることができ、幸せでございます”

 万遍の笑みで返してくる。そんな彼女の腹を見ると……こんもりと盛り上がっている。徳姫はこのように言った。

 “男が二人続きましたので、今度は女がよろしいですね”

 侍女らも共に微笑む。

 ……これが、目指してきた平和なのか。

 影には、地獄で漂う亡霊が見える。


 ……とある春のうららかな日。為信は家来を連れ出し、城下にある長勝寺へと向かった。為信は命じた。

“各々、気が向くままに地獄を描け”

 和尚は、硯と墨や半紙などを配る。黒と白の世界、どのように描いてもいい。


 一人目は、なんともありきたりな絵を描いた。鬼が金棒を持ち、罪人たちを懲らしめようとしている。

 二人目は、いくばくかは絵心があるようで、針の山や灼熱の様をありありと描いていた。……ただし、心には響かない。

 三人目はというと……閻魔大王が大きく、小さい無数の蟻のような人間がひれ伏している様だった。このようなとらえ方もあろう。


 為信も自ら筆を取り、己の思う地獄を描き出す。

10-9 慈雨

 家来らには到底理解できなかった。それは黒い筆の跡がありありと散りばめられ、雨が横なぶりに降っているようにも見える。ただしこれと地獄、どう関わるのか。

 和尚は肩の間から分け入り、じっくりとそれを見つめる。そこに人間や鬼といった形はなく、ただただ同じ模様が続くだけ。


 “……涙ですな”

 為信は頷いた。


 “これほど、優しい世界はありませぬ”

 己は死んだら地獄行き。そう為信は思っている。大勢の人を殺め、誑かした。これからもそうだろう。本心とは違うと分けていたが……最近では同じ人格だと思えてくる。二つの何かがまじりあい、一つになった。

 和尚は言った。

 “神仏を頼りなされ”


 為信は首を振る。

 “これが、己の定めだ”

 いまさら、曲げるわけにはいかぬ。


……その夜、為信は沼田と集う。ふと、昔の名で呼ぶ。

“面松斎”

 沼田は“懐かしい響きですな” と少しだけ笑う。

 「して、次にどのような手を打ちますか。」

 急に現実へと戻された。為信は答える。

「田舎館の千徳分家を討ち、浪岡も併合する。」

 沼田は腕組みをして、唸りながら悩む。

 「田舎館はいいとして浪岡となりますと……安東をどうなさいます。」

 安東氏と浪岡北畠氏は婚姻関係がある。浪岡を攻めることはすなわち、安東との手切れを意味する。為信も考え込んだが……今夜は深く想うことが難しい。手を大きくたたき、沼田にとあるお願いした。


 ”ひとつ、昔の様に占ってみないか”

10-10 幕引き

 沼田は訝しむ。

 「ええ……それは、次の計略が成功するかどうかでございましょうか。」

 為信は首を振る。身を乗り出し、耳元で囁いた。

 「……私が、地獄に落ちるか否か。」


“いや……のような占いは初めてです”

“だろうな”


 沼田はその場から退き自室へと戻る。しばらく蓋がされていた、埃かぶる八卦の道具。あけ放つと、古めかしい匂いが辺りへ広がる。


 占いは、始まる。筮竹を持ち……為信は竹のこすれ合う音を聞く。


 …………

 本掛、天地否。


 本来の意味でとらえれば“停滞” を意味し、”あせらずゆっくりやりましょう” と声をかけるところ。


 この場合は……天に昇ることを叶わず、地獄へ入ることもできない、ただ世間を漂う幽霊。

 為信は、大いに笑った。腹がはち切れるかというくらいに。

「世に未練たらたらで、彷徨い続けるのだろうな。」


 沼田は “もしや” と感じた。為信をなんとか落ち着かせる。

「これにはもう一つ、考え方がございます。」

 “地蔵菩薩こそ、そうです。天や地獄でもない。人間界に在り、衆生をお救いなさる……”

 “では、私は神仏に化すと”

 “はい。魂は常世に残り、津軽を守り続けるのです”

  そんなことあるはずなかろうと、為信はあざけた。

 

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挿絵(By みてみん)

出典元:特集 津軽古城址

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/castle.html

鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様のご厚意こういあずかりまして掲載が許されております。小説家になろうの運営様にも、本文以外でのURL明記の許可を得ております。

 

Author: かんから
本業は病院勤務の #臨床検査技師 。大学時代の研究室は #公衆衛生学 所属。傍らでサイトを趣味で運営、 #アオモリジョイン 。

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