【小説 津軽藩以前】 プロローグ 相川西野の乱 永禄十一年(1568)秋

A-join特派員のかんからです。

世界全体が殺伐とした空気になってしまいましたけど……去年これを誰が予期していたことか。普通であれば「わーおりんぴっくだー」「すごいすごーい」でよかったはずなんですよ。それがこんな有様。新型肺炎、コロナ……びくびくしながら過ごさなきゃいけません。

僕から言えることは、まずは手洗いうがい、休息をしっかりとること。本当は記事にして出すのもいいんですけど……前にやったのを覚えていらっしゃいますか?マスク着用率の件。でもあえて書いてません。誤報まがいのことを出して混乱させてもいけませんし……行政や専門家の話をよく聞くのが一番です!

殺伐とした……ピリピリとした……。必然と家にいる機会も多くなるかと思います。

そこで 読書タイム!をしていただければということで、

アオモリジョインに初上陸。僕の代表作である 小説 津軽藩以前 を投稿します。

プロローグ+10章10話+エピローグ+番外編で構成される今作は、調べてみると4年前の作品でした。なので今とは若干書き味が違うかもしれません。なんかおかしいなーというところは直しつつ、お手柔らかにお読み頂ければと思います。

本日はまずプロローグを更新。あしたは第一章を投稿します♪

なお挿絵等に関しては、鯵ヶ沢教育委員会 教育課 中田様(統括学芸員)より許しを得ておりまして、一切賞とかもらっていない無名の人間に対する破格の待遇っぷりですから。これは自分でもすごいなーと思います。許可頂いたのは確か2年前……。

津軽藩以前

 プロローグ 相川西野の乱 永禄十一年(1568)秋

……北の国には、人が足りない。田畑を耕すにせよ、魚を獲るのも獣を射るにも。度重なる飢饉や災害で、人は死んでいく。
 ではどうすればいいか。……人を他国より呼べばいい。
 しかし決して、好人物がくるとは限らない。他国でのけ者にされているようなのが逃げてきて、慣れた頃には狼藉を働く。そうでなくとも、地元の習俗に溶け込もうとしない者もいる。
 ……こういうことがあったので、在来の民には他国者を毛嫌いする者が多かった。さらには “彼らなら虐げてもいい” と、むやみに酷使する者もいた。なぜならここよりほかに、行くところはないのだから。逆らうことはできまい。

 とある秋の日。その年は雨が全く降らず、作物が育たなかった。苦しいのは皆同じ。しかし支配者層は激しい収奪をした。そのなけなしの食べ物を、在来の民に優先して配ったのだ。同じ人間なのに……ひどすぎる。
 …………他国者の怒りは、頂点に達した。
相川と西野。一人は宮城野の出身、もう一人は常陸の出という。かつては武門に仕えていたが、殿さまが敗れてしまって一族路頭に迷った。そうして北へと逃げてきたという。
 二人は他国者の民を集め、支配者であった南部氏を討たんとした。まずは手始めに津軽郡代の津村氏を破る。一気に外ヶ浜全体を支配下に置き、後継者争いに明け暮れていた南部家中に衝撃を与えた。
 これはまずいと、一族の重鎮である南部高信は制圧を命じられた。大軍をもって、反乱をつぶす。以降は新たな津軽郡代として石川という土地に腰を据え、石川高信と名乗った。
 南部の者らは、生き残った他国者をとことん虐めた。誰も止めようともせず、彼らにとって地獄のようであっただろう。
 ……そんな中、口にはださないが、苦々しく思っている人物がいた。大浦為信、のちの津軽為信である。物語は、相川西野の乱が平定された直後から始まる。
→→第一章へ←←

©鯵ヶ沢教育委員会
出典元:特集 津軽古城址
鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様のご厚意に与りまして掲載が許されております。

シェアして拡散して頂けたら、もっと青森が盛り上がります。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする