唐突ですが、青森市の過去の風景覚えていますか?
駅前の市場、松木屋デパートなどなどありますが……ここで1つジョインクイズ。
青森駅には巨大看板。そんなイメージを持つ人が多いはずですが……昭和の頃にあった看板は何の企業の広告でしょうか?
答えは
①ナショナル②サンポット石油スト―ブ③ねぶた漬け
あの時はいつも見ていたはずですが時間が経つとすっかり忘れてしまいます。
そんな何時も見ていた昔の風景が少しづつ……。油川でも貴重な物が多数取り壊されてしまいました。
青森飛行場 格納庫
東京・札幌・仙台を結ぶ青森が誇る飛行場の格納庫で戦時中は陸軍が接収、燃料や弾薬、機体が隠蔽された場所です。
平成16年に解体されてしまいました。(解体前は肥料倉庫として活用)
鉄骨には戦時中についた弾痕が残っていたそうで、戦争を語る中では非常に重要な場所だったそうです。
同・青森飛行場 燃料庫
格納庫と一緒に建てられ、戦後は進駐軍の詰め所として利用されていたのを、個人の方が所有していましたが、戦後72年の2017年に保存が厳しいという事で解体となりました。
イタリア館
1917年から1918年にかけて、ジュセップ・ファブリーによって鰯油漬缶詰工場の事務所として建てられた建物です。モルタル等の補修を行い、水産加工会社の事務所として利用されてきましたが16年に廃業。土地や建物が広く、維持管理が不安になり取り壊しが決まりました。
今現在は跡地に建っていたゆかりの地表示板がリニューアルされました。
150年前の旧家 福井家家屋
今の西田酒造の隣にあったこの家屋ですが、過去に油川がまだ「大浜」と呼ばれていたころ……大浜街道のなごりを残していた豪商福井家の家屋とこみせがかつて存在していました。
こちらは昭和50年に取り壊されています。
神社も……貴船神社
江戸時代前期の天和3年に創建。1683年に作られた非常に歴史あるものでしたが、更地となってしまったそうです。336年の歴史ある場でした。
水神を祀っていたそうですが……もしや特派員かんからさんが調べた奇祭「モロモロドーレ」に関係したりしないかな?なんて。
って、ちょっと待って。歴史的遺構が無くなっている理由って……
「ちょっと待て、共通する点があるぞ?」
①あまり知らない。
弾薬庫、格納庫ってあったの知ってますか?なんてゲンサンの飛行機好きの後輩に聞いても「知りません。というか、油川って飛行場だったんですか?」の一言でした。
京都といえば清水寺、奈良といえば大仏、東京といえば帝釈天みたいに油川の歴史的遺構といえば?と聞いても中々出てこないワゲモノばかりです。中には「田酒」と答える奴もいますが、せめて「西田酒造」と答えてほしいものです。
②個人管理だったが、維持できなくなってしまった。
歴史的建造物自体は維持管理となると補修や補強が必要となります。
文化財として認められても個人の管理では到底維持できなくなり、最後には取り壊しとなってしまうケースが多々あるそうです。
燃料庫、イタリア館、福井家、貴船神社はこれが当てはまるかと。
③地元の人にも興味を持ってもらいたい…けど
油川は歴史を大事にされている方が沢山いるのでこれはあまり当てはまらないと思いますが…
例
外ヶ浜の太平山元遺跡、ウィキと縄文遺跡を紹介する大手サイト、県のサイトがあるのになぜ検索結果の上位に外ヶ浜町の公式サイトが載ってこないのか
あるのは簡単なブログ?
http://www.town.sotogahama.lg.jp/blog/log/eid616.html
世界で最も古い土器の可能性があるのに何故推さないのやら……これって人類の文化の最古って意味なんじゃ……(人類の文化の起源は蟹田だった!?)
…といったように、沢山の地元の方に知られると保存に関して何かかしらのチャンスが生まれると思います。人が集まればその分知恵も増える!
(結構、忘れ去られている凄い場所って色々あるんです…マジで。)
こことか。
というわけで……もっと油川の歴史資源を知ろう! 11月8日に「油川の歴史資源について」の講演会があります。
といった風に折角なので、ここで心が揺れ動く方に油川の歴史資源についての講演があるのをお知らせいたします。
講師は新青森市史の編さんメンバーでもある石山晃子様をお招きいたしまして、油川80周年祝賀会と併せて開催致します。
講演の具体的な部分は不明ですが、熊野宮、浄満寺、油川川がチラシ背景にあるという事は何かかしらの興味深い事実を聞ける……かもしれません。
是非皆さんお越しください。ゲンサンでした。 うーん……