スタンフォード大学が保管している資料で大正~昭和初期の青森にタイムスリップ?

青森再発見ってよく聞くけど……?

 
A-join 特派員のゲンサンです。すっかり間が空いてしまいました。本日は青森再発見!!というお題で進めていきたいと思います。その通り、大正~昭和初期にかけての青森市の様子をタイムスリップして覗いてみましょう。それでは皆さん机の引き出しへ……
 
……と、冗談はここまでに致しましょう。でも、好きな時に過去の青森市へタイムスリップ出来たら、過去の建物や公園等の思い出話でご年配の方と盛り上がる事間違いなし、また過去を知らない子供とも過去の青森を再発見できるいい機会だと思います。
 
 

陸軍測量5万分の1地図 ※スタンフォード大学保管

 
ちょっとした発見なのですが……大正に大日本帝国陸軍が測量、昭和初期に加筆修正および発行の5万分の1地図がアメリカにあるスタンフォード大学のデータベースに残っている事が解りました。(正確には日本全国の地図が殆どの割合で残っています)
 
 
青森は上磯地区、大間~脇ノ沢、西目屋の西側以外の地図は殆ど揃っています。
昔の地図なので、精巧さや画質うんぬんの心配をしていましたが、よく覗いてみると書込み具合がトンデモレベルの精巧な地図である事がわかりました。
 
 

青森西部の地図を見て驚いた箇所

 
地図データはこちら https://purl.stanford.edu/hk968xp6833
 
1.青森工業高校がある件
 
はっきりと書かれています。青森工業です。
青森工業高校として名称変更されたのが昭和13年の事、この地図の加筆修正が14年なので丁度名称変更から1年後に直されたんで「工業高校」と記載があるんですね。……なんかロマンを感じるな
 
2.長島ではなく、大野
 
長島周辺の地名が大野になっています。丁度今の4号線あたりの道路を挟んで海側が古川、山側が大野という地名になっています。ちなみに、現在の大野周辺は「大野村」という地名になっています。
大野でけぇな。
 
3.刑務所の位置が変わっていない
 
刑務所の位置が大野の真下に位置している事から殆ど変わっていないと思われます。と言う事は、すぐ北側に数十年後環状7号線及び高速道路が通る予定となる場所という事ですね。ちなみにこの時はまだ田んぼです。
 
とまぁ、西部地区の記載はこんな所です。地図の記号の意味は端っこに記載があるのでそれを見ながら地図を読むとより一層風景を想像しながら楽しむことができます。
 
とはいっても、昔の青森市は田んぼと原っぱだらけですね(苦笑)
 
 

青森市東部、山間部

 
地図データはこちら https://purl.stanford.edu/kc798mf1081
 
 
1.月見野霊園は存在しない
 
昭和45年に土地の供給開始とあったので、この地図から30年後に完成したとの事。というか、月見野霊園って結構新しいんですね。
 
 
2.幸畑ヒルズは森と果樹園
 
陸軍墓地から南西の方角に幸畑ヒルズが有るはずですが、流石に今の状態ではありませんでした。
これから100年後に高級住宅街として生まれ変わると……そして大学も……
 
 
3.堤川から八重田まで全部砂浜
 
岸壁なるものが存在していません。きっと見晴らしは抜群だったはずです。
ちなみに合浦公園は存在していますが、ど真ん中に鳥居が。神社らしい建物は今の合浦公園に無かったような……
 
 
4.本町ではなく、大町
 
夜のお店が沢山の本町は大町という名前だったそうです。昭和40年代に本町1~5丁目となったとの事。 そして大町のど真ん中に大きな銀行が……恐らく昔あったとされる安田銀行の位置かと推測されます。
 
 
 

昔の地図でおらほの町を家族皆で見直してみよう

 
自分の家の周辺、昔からある建物は当時どういう立地だったのか?などなど……この地図を活用してみては如何でしょうか。
「青森市今昔マップ」なるものを宿題として提出してみるのも良いかもしれません。
 
爺さまや婆さまと地図を見つつ、昔は青森はどうだった、ここに店があった、学校が有った等……素敵な活用をしてみましょう。
 
ゲンサンでした!

シェアして拡散して頂けたら、もっと青森が盛り上がります。

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